【01】シスコン


 残暑も遠退き、秋の気配が強まった十月中旬の木曜日だった。

 藤見女子高校のグラウンド脇に建つ部室棟。その古びた木造建築の二階の端にあるオカルト研究会部室の扉に張り紙が貼られた。

 そこには、こうある。


 『心霊以外お断り』


 この豪快でのびのびした筆致の書は、オカルト研究会部長である桜井梨沙によるものであった。

 さておき、その日の放課後、その扉がノックされる。

「はーい。どうぞ」

 桜井のだらけた返事の直後、扉は開かれた。その向こう側から顔をのぞかせた人物は、間髪入れずに第一声を発する。

「……ここでトラブルシューティングを請け負って貰えるって聞いて来たんですけど」

 丸眼鏡をかけた大人しそうな雰囲気の二年生だった。

 彼女の発した言葉に桜井と茅野は「またか」とでも言いたげな顔をして視線を合わせた。

「うちは、心霊以外はやってないよ」

 まるで、頑固なラーメン屋のオヤジのような調子で、桜井はパタパタと右手を動かしてから、憮然ぶぜんとした表情でそっぽを向いた。

 すると、その二年生は室内に足を踏み入れ、扉を閉めてから苦笑まじりに言った。

「……その心霊に関わるかもしれない事で、相談があるんですが」

 途端に二人の瞳がぎらついた輝きを帯びる。

 桜井はすっと席を立つと椅子を引いて来客に着席を促し、茅野は手早く珈琲を入れ始めた。

 二年生は椅子に座ると「吉成愛美よしなりまなみと言います。先輩たちのお噂はかねがね……」と、慇懃いんぎんな調子で頭をさげた。

「まあ、それはそれとして、心霊に関わるかもしれない相談って、どういう事?」

 ワクワクした様子で促す桜井の言葉に、吉成は静かに頷いて語り始める。

「私には、二歳離れた妹がいるんですけど……」

「二歳というと、中三かしら?」

 茅野が尋ねると、吉成は頷く。

「藤見第一中学の三年で、来年はうちの学校を受けるつもりらしいんです」

「なら、あたしたちの後輩だね」

 その桜井の言葉に茅野は頷く。藤見一中は二人の母校であり、茅野循の弟である薫も通っている学校だ。

「茅野先輩の弟さんとは、違うクラスらしいんですけど、良く彼の話を聞いています」

 吉成がそう言うと、桜井と茅野は苦笑して顔を見合わせた。

 茅野の実弟である薫は、サッカー部のエースで女子によくモテる。

「……で、その妹ちゃんがどうしたのさ?」

 桜井がそこで脱線した話を元に戻しに掛かった。それを受けて吉成も話題を軌道修正し始める。

「その妹……りんって言うんですけど、先月の下旬だったかしら?  兎に角、それぐらいに友人たちと肝試しに行ってから、ちょっと様子がおかしくて……」

「それは、いけない」

「それで、具体的に、どうおかしいのかしら?」

 肝試しというワードが出るやいなや、一気に前のめりになる桜井と茅野であった。

 そんな二人の勢いに少々気圧されつつも、吉成は話を続ける。

「鈴の部屋は私の部屋の隣にあるんですけど、その肝試しに行って来たって聞いた日の夜……確か二時くらいかしら? それぐらいに壁越しに妹の声がして……誰かと会話しているみたいな感じで……」

 桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせる。吉成は更に話を続けた。

「それで、次の日の朝、妹にいてみたんです。昨日の真夜中、誰と話していたんだって……そうしたら『誰とも話していない。夢でも見たんじゃないの、お姉ちゃん』って。鈴ちゃん、すごく嘘を吐くのが下手くそで素直な天使ちゃんだから、明らかに誤魔化しているのがまるわかりで……今まで私に隠し事なんかした事がなかったのに……なんで……」

「あの、それって……」

 と、カップに載せたドリップコーヒーに湯を注ぎ入れながら、口を開き掛けた茅野の言葉を制して、吉成は言う。

「最近なんか、まるで、以前とは別人のように見た目も変わってきて……本当に鈴ちゃんじゃないみたいな感じで……」

「具体的にどういう風に変わったのかしら……?」

 茅野が珈琲カップをくばりながら、再び質問を発する。

 その問いを待ってましたとばかりに吉成がまくし立て始めた。

「前は長くて綺麗な黒髪を、可愛らしい三つ編みのお下げにしていたんですけど、急にばっさりと髪を切って、赤みがかったブラウンのセミロングに……それだけじゃないわ。先々週の日曜日、急にお父さんに新しい服が欲しいって、おねだりして買ってもらったのが、黒のふりふりのワンピース! 今までは、大人しめな清楚系だったのに突然よ! それから、ついに先週には、お化粧までし始めて……」

 桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせた。それに構わず、吉成は更に言葉を勢い良く吐き出し続ける。

「あんなの、私の可愛い鈴ちゃんじゃない……私、姉としていったいどうしたら……ねえ、先輩?」

 そう言って、吉成は血走った双眸そうぼうを見開いて頭を抱える。

 そんな彼女に向かって、席に着いた茅野は言った。

「えっと、吉成さん」

「な、何ですか? やっぱり、悪霊の仕業ですよね? ね?」 

 吉成は食い気味で茅野の方に身を乗り出す。

 桜井は目を瞑りながら、静かに淹れたての珈琲を啜りあげる。

 それを横目に茅野が口を開いた。

「落ち着いて聞いて頂戴ちょうだい

「は、はい……」

 多少、冷静に戻った様子の吉成。

 そんな彼女に向かって、どこぞの総司令のようなポーズになり、茅野は眉間にしわを寄せながら己の見解を述べた。

「……それって、単に妹さんに彼氏ができただけなんじゃないかしら?」

「カ……レシ……?」

 まるで始めて耳にする外来語のように、その言葉を復唱すると吉成は桜井の方へと視線を向ける。

 桜井は極めて真面目な顔つきで、ゆっくりはっきり頷き、死刑宣告をするかのように告げる。

「そう。恋人。部屋から聞こえてきた話声は寝落ち通話とかしてたんじゃないかな?」

 すると、吉成は再び頭を抱え、まるで死霊に墓場で出くわしたときのような表情で言った。

「私の可愛い鈴ちゃんに、恋人だなんて……そんなはずがない! きっと、何かの悪霊に取り憑かれたに決まっているんです!」

 こいつ、駄目だ。

 桜井と茅野は同時にそう思った。

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