【File51】鉄砲坂の家

【00】九尾の母


 庭先に面した格子窓から、暖かな陽光が射し込んでいた。

 そのリビングは基本的にシンプルなデザインの北欧家具が並んでいたが、中には達磨だるま小芥子こけし、和柄のクッションなど日本的な意匠の品も見受けられた。

 そして、奥にある間仕切り棚の後ろのキッチンで、アビゲイル・クラマーはコンロのツマミを捻って火を止めた。

 マグカップの上でケトルを傾けて湯をそそぎ、ティースプーンでぐるぐるとかき混ぜる。すると、にわかにインスタント珈琲の匂いが立ち上ぼり始めた。

 そのカップを持ってリビングの方へと移り、ネイビーカラーのカウチソファーに腰をおろす。

 それから彼女は木目調の座卓にカップを置くと、代わりにライダー版のタロットカードを手に取った。何気ない調子で一枚だけめくる。

 引いたカードは小アルカナの『ソードの8』の逆位置。

 それは予想外のトラブルに巻き込まれる暗示であった。

 彼女は、占いの精度だけなら最強霊能者にして実の娘でもある九尾天全を凌駕する。

 アビゲイルは胸の内に湧きあがった暗澹あんたんたる思いを吐き出すかのように、深々と溜め息を吐いた。

 すると、その直後の事、インターフォンの音が鳴り響く。

 さっそく・・・・お出ましだ・・・・・

 アビゲイルは肩をすくめると、カードを座卓の上に戻して玄関へと向かった。

 突然の来客はスーツ姿で鳥の巣みたいな金髪頭の男だった。名前をマッティオ・ミュラーという。

 彼は玄関扉を開けた後、ばつの悪そうな顔で口を開きかけたが、それに先んじてアビゲイルは言葉を被せた。

「で、今日はどんな厄介事を持ってきてくれたのかしら?」

 するとマッティオは右手で頭を搔きながら「流石はクラマー先生。何でもお見通しだ」と言って苦笑した。

 すると、アビゲイルが呆れた調子で笑う。

「玄関先に立った刑事あんたの顔を見れば、誰だってそれくらいは察しがつくわ。さあ、入って。中でゆっくり話を聞かせて頂戴ちょうだい

「すいません」

 マッティオは申し訳なさそうに、家の中へと足を踏み入れた。




 アビゲイルは湯気を立ち上らせた珈琲カップをマッティオの目の前に置いた。それから、彼とは座卓を挟んで反対側のソファーに腰をおろした。

「で?」

 と、端的に話を促すと、アビゲイルは再びタロットカードを手に取る。すると、マッティオは珈琲カップに手をつける事なく口を開いた。

「昨日……いや、今朝早くの事です。市の外れで、八人の遺体が発見されました。全員、アメリカのケーブルテレビの撮影クルーです」

「そう……」

 と、アビゲイルは眉をひそめ、カードを何気なくシャッフルし出す。

「死因は?」

「全員が斧のような刃物で……酷い有り様でした」

「そう……犯人の目星は?」

「今のところ、有力な容疑者は、そのクルーのメンバーの一人で、バーディ・グリシャム。現在の彼の行方だけが解っていません。生存者の目撃証言や現場の状況から、彼が恐らく犯人で間違いないと思われています」

「そのバーディという男を探せばいいのね?」

 質問を発しながら、アビゲイルは手の中のカードを座卓の上に並べ始める。

 マッティオの答えは「はいヤー」だった。

 アビゲイルは座卓の上に並んだカードに視線を落としたまま、更に質問を重ねる。

「……で、精度を高めるためにも、そのバーディ・グリシャムの事をもう少し知りたいのだけど。何でも良いわ。彼について解ってる事を詳しく」

「彼はイギリス人で、普段は大学で超心理学パラサイコロジーを研究していたようですね」

 超心理学とは、平たく言えば超能力や幽霊などを大真面目に研究する学問である。

「超心理学……」

 アビゲイルは眉間にしわを寄せて顔をあげた。そのままマッティオの顔をじっと見つめる。

 彼が重々しい表情で頷くと、アビゲイルはついさっき脳裏を過った嫌な予感を口にした。

「もしかして、その撮影クルーは……」

「ええ。彼らが殺されたのは、あの“うそぶく悪霊の館”です」

「…………嘯く悪霊の館」

 アビゲイルは呆気に取られた様子で、その不吉な名詞を繰り返した。

 その廃屋の敷地には、かつて巨大なオークの木があった。そこでは古き時代にドルイドが生贄の儀式を行っていたのだという。そのドルイドたちは時の権力者により、悪魔を崇拝する魔女として皆殺しにされた。

 そんな歴史を持つ、血塗られた場所である。

 娘よりも占う力に秀でたアビゲイルであったが、視る方や祓う方は苦手であった。せいぜい、この世ならざるモノたちの言葉に耳を澄まして、どうにか彼らを説得するくらいしかできない。

 そして、彼女の見立てでは、あの館に巣くうモノは、とても話の通じるような相手には思えなかった。

「……まったく、何て厄介事を運んで来てくれたのかしら、あなたは」

「本当にすいません」

 マッティオは心底申し訳なさそうな顔で謝罪すると、その鳥の巣頭をぼりぼりと掻いた。

「……兎も角、生存した他の撮影クルーによれば、グリシャムは八人を殺したあと、凶器となった斧と一部の機材、少量の水と保存食を持って、現場近くの山林へと逃げ込んだそうです。彼がもしもハイカーなんかと遭遇したら……」

 確かにその周辺には、キャンプ場やハイキングコースがあり、彼の危惧する事が現実に起こる可能性もなくはない。

 何よりもまずグリシャムを見つけ出し、拘束する事が先決である。

「現状は把握したわ」

 そう言ってアビゲイルは集中し直し、テーブルの上のカードへと視線を落とした。

「……あの館に棲まうモノは、人を惑わす術には長けているけど、そこまで強い力はない。何とかグリシャムを捕まえてしまえば……」

 知り合いの腕利き悪魔祓いに頼めば、どうにかなるだろう。

 アビゲイルは、それで今回の一件は終わると思っていた。

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