【08】榊原邸探索


 榊原邸に向かって右へと延びた小道を行く二人。

「……もう一つ、気になる事があるわ」

 歩きながら茅野は、右手の人差し指を立てる。

「何?」と桜井が応じながら欠伸をして秋晴れの空を見あげた。

「……九尾先生は電話で『隣の家に怨みを向けている』と言ったわ」

「だねえ」

「“隣の家を呪っている”でも“隣の家の誰かに取り憑いている”でもなく“怨みを向けている”よ。単なる言葉のあやで、同じ意味なのかもしれないわ。でも、そうではないとして、なぜ怨みを向けているだけ・・なのかしら?」

「自縛霊になって、隣の家に行きたくてもいけないとか……」

「かも、しれないわ」

「九尾センセに聞いてみる?」

 そう言って、ネックストラップのスマホを手に取った桜井を、茅野は制する。

「待って、梨沙さん。先生はお疲れよ。今は私たちみたいな面倒臭い連中の相手なんかしたくないはず。そっとしておきましょう」

「それは、優しさだね」

 桜井はあっさりと納得した。

 そうこうするうちに、二人は物置小屋の前に辿り着く。何の変哲もないプレハブで、入り口の戸にも鍵は掛かっていなかった。戸を開けると中は薄暗く蒸し暑い。

 むわり……と湿ったほこりの臭気が噴き出してきて、二人は顔をしかめた。

 中は六畳程度はあったが、三方の壁に棚が配置されているために手狭に感じられた。

 見渡してみると、スコップや熊手などの園芸用品が多く納められている。薔薇用の腐葉土や肥料、除草剤や殺虫剤などもあった。

「……ずいぶんと本格的にやっていたみたいだけれど」

「薔薇の花が好きだったのかな?」

 一応、棚をざっと検めるも特に興味を引くような物は見つからなかった。

 桜井と茅野は物置小屋を後にする。

「不審な点はなかったね」

「私たちが不審だわ」

 次に二人はすぐ隣の薔薇の温室に侵入を試みた。




 温室はドーム型で外壁は籠目に組まれた支柱にビニールを張ったものだった。全体的に砂埃で汚れていたが、まだ破損した箇所は見受けられない。 

 入り口の扉は南京錠で施錠されているが、そんなものは茅野にとってないも同然であった。

 中は外周に沿って通路があり、その内側に薔薇の花壇が配置されている。

 薔薇の花が咲いている株もあれば、そうでないものもあり控え目な印象を受けた。

 入り口の正面には黄色い蔓薔薇つるばらが咲き誇るガーデンアーチがあった。その先には花壇に取り囲まれた円形の空間が広がっている。

 テーブルと四脚の椅子が配置されていて、周囲には水瓶や天使の像などが置かれていた。

 その光景を見渡して桜井が言った。

「……何か、なろう系の悪役令嬢がお茶でも飲んでそうなところだね」

「そうね。そんな事より梨沙さん。これを見てほしいのだけれど……」

 近くの花壇の土を指差して茅野が言う。

「どれ」

 桜井がのぞき込むと、薔薇の株元から三十センチほど離れた場所に小さい穴がいくつか空いていた。まるで、何かの支柱を刺して、ひっこぬいた跡のような……。

「循、これは……?」

「エアレーションね」

 と、茅野が言うと桜井は首を傾げた。

「えあれーしょん……?」

「薔薇の花は夏の終わりになると、こうして花壇の土に穴を開けて土中に酸素を供給してあげなければならないのよ」

「ふうん」

 と、桜井が気のない返事をした。次に茅野は薔薇の枝にそっと触れて話を続けた。

「……それから、この温室にある薔薇、綺麗に剪定せんていされているわ。これなんか、切り口が比較的、新しい」

「つまり、誰かが薔薇の世話に訪れている?」

「ええ」

 と、茅野が頷く。すると桜井は思案顔を浮かべてから自らの思いつきを口にした。

「……夫婦の身内の誰か?」

「まだ何とも言えない」

 茅野はそう言って思案顔を浮かべた。

 そのあと、二人は温室を出ると、母屋の裏手を目指した。




 裏口は荒井家の裏手にある家に近い、母屋の左裏にあった。

 茅野はまるで当然のように鍵の掛かった扉を開ける。すると、その瞬間、何かが腐ったような臭いが鼻をついた。

 扉の向こうには三和土たたきがあり、そこにはほこりにまみれたぺらぺらのゴム製サンダルと、蓋つきの大きなポリバケツが置いてあった。正面の壁には納戸がある。

 まず、茅野はポリバケツの蓋を開けて、盛大に顔をしかめた。

「梨沙さん、これを見て……」

 桜井が覗き込む。すると、そこにはけっこうな量の生ゴミが放置されていた。グズグズに腐った野菜の中にパックごと棄てられた肉や魚の切り身、未開封の冷凍食品、マヨネーズやケチャップが容器ごと棄てられている。

 どうやら臭いの原因はこれらしい。

「金持ちの考えは良く解らん……もったいない」

 桜井が多少憤慨ふんがいした様子で言う。

「急に家を空ける事になったから、保存できない物を慌てて棄てたっていう感じね」

 茅野は蓋を閉めると、今度は正面の納戸を開けた。中には清掃用具や洗剤、荷造り用のビニールロープの束などが収納されている。特に変わった物はなかった。

 次に二人は三和土の左手にある引戸を開ける。すると、その向こうにはキッチンがあった。

 まるで、どこかの飲食店の厨房のような広さで、二人暮らしの個人宅にあるものにしては、明らかにオーバースペックに感じられた。

 棚には調理用具や調味料、皿が残っており、生々しい生活感が未だに感じられる。

「……まだ物が残ってるね」

「人がいなくなって、半年も経っていないもの」

 二人はキッチンを見渡す。

 そして、桜井が「おっ」と言って、調理台の上のラックに目を止める。

「あのフライパン、バーミキュラの高いやつだ」

 そう言って、ラックから飛び出たフライパンの柄に手を伸ばすが、背の低い彼女では微妙に届かなかった。

 代わりに茅野がそのフライパンを手に取る。

「これは、三万くらいするものよね?」

「うん」

「お金に困っていた様子はないみたいね」

 茅野が神妙な顔つきで、フライパンを戻した。ラックには他にも薬缶やかんや鍋などが納められている。どれも、有名なメーカーのものばかりであった。

「やっぱり、失踪したのは、自分の意思ではない?」

「どうかしら……」

 と、茅野は考え込む。

 それから、しばらく棚や戸棚を漁るも特に目ぼしいものはなかった。

 二人はキッチンを後にしてリビングへと向かった。

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