【06】ギャンブル


 榊原瑞江の実家には広い庭があった。

 鬱蒼うっそうと生い茂る有加利ユーカリや月桂樹によって目隠しされた空間を割って伸びる煉瓦の小道を歩くのは、まるでお伽噺とぎ話の世界にでもいるような気分がして、胸がどきどきした。

 奥には円形の広場があり、中央にある蓮が浮かんだ溜め池を囲むように花壇やガーデンアーチが配置してあった。

 そこでは春や秋になると、様々な種類の薔薇が咲き乱れる。

 その季節になると、瑞江は友だちと遊びに行くよりも、庭で時間を過ごす事が多かった。そうでない季節でも花や庭木の手入れをする祖母の手伝いを進んでおこなっていた。薔薇の花冠やドライフラワーの作り方も彼女から教わった。

 祖母はいっけんすると、小柄で丸まった身体の老婆であったが、庭の手入れを全て独りで行えるほど矍鑠かくしゃくとした人物であった。

 そんな祖母から興味深い話を耳にしたのは、彼女がまだ小学三年の頃。

 西洋せいよう人参にんじんぼくの紫の花が、もうすぐ見頃を終える九月の事だった。

 この日も瑞江は花壇の縁に腰をおろして、薔薇の手入れに勤しむ祖母の丸まった背中を眺めながら、剪定鋏せんていばさみの立てる小気味の良い音に耳を傾けていた。

 すると、祖母が作業の手を止めぬまま、唐突に次のような事を言い始めた。

「……瑞江ちゃん、薔薇の花にはね、良くないモノを退ける力が宿っているんだよ」

「良くないモノ?」

 きょとんとした顔で、首を傾げる瑞江。祖母は更に話を続けた。

「……だからね、瑞江ちゃん。もしもの事があったときには、私の代わりに、この子たちのお世話を頼むよ?」

「もしもの……事……?」

 その言葉の具体的な意味は解らなかったが、不穏な雰囲気を感じて瑞江は眉をひそめた。すると、祖母は手を止めて、彼女の方を向いて、しわくちゃな笑顔を浮かべた。

「……みんなが幸せなのは、この子たちが綺麗に咲いているからなんだよ」

 そう言って、再び作業に戻った。


 ……この一週間後だった。祖母が急死したのは。

 死因は心筋梗塞しんきんこうそくであった。

 このとき瑞江の脳裏に浮かんだのは、悲しみよりも曖昧模糊あいまいもことした不安だった。

 祖母の葬儀が済むと瑞江は言われた通り、薔薇の世話をやり始めた。

 父も母も兄も庭いじりにはまったく興味を示さず、ほとんど独りで瑞江は薔薇の世話をする事になった。

 しかし、当時九歳の彼女の力では限界があった。

 翌年の春、庭先の薔薇は病気になり、花をほとんど咲かせる事なく、夏頃には枯れてしまった。

 それからだった。

 家族が不幸に見舞われ始めたのは……。

 その年の年末、父親が仕事中に祖母と同じ心筋梗塞によって亡くなった。

 その翌年、中学三年生だった兄が、下校中に歩道へ突っ込んできた軽トラックにかれて死んだ。

 それから半年と立たずに母が自宅の物置小屋で首を吊った。

 その後、瑞江は叔母に引き取られる事となる。

 単なる偶然なのか、これらの死には何らかの因果関係が存在するのかは解らなかった。

 しかし、瑞江は家族を死に至らしめた何か得体の知れないモノが実在すると信じるようになった。

 叔母は瑞枝に甘く、物事のすべてを良いように解釈するような善人であったので、彼女との関係は良好であった。家庭のみならず学校での生活も特に問題がなかった。しかし、瑞江は常に脅えていた。

 実在するかしないかも解らない、家族を死に至らしめた何かの影に……。

 やがて瑞江は亡き祖母の言葉を思い出して、薔薇を育てるようになった。




 サムターンが回り、扉が開いた。

「……うううう」

 と、ゾンビのような声をあげながら、藤見第一ホテルの四〇四号室に雪崩れ込んだのは、最強霊能者の九尾天全であった。

「あぁ……疲れた」

 月が代わり十月二日の事。

 九尾は大津神社にて、あの両面宿儺りょうめんすくなの右腕を封印し、仮の宿であるこの部屋へとようやく帰還を果たしたのだった。

 大津神社の一件は片付いたが、このあとも牛首村の阿武隈邸で見つかった大量の呪物を鑑定し、危険な物は封印し破棄する作業を手伝わなければならない。

「あぁ……だっる……」

 鞄を適当に放り投げ、ベッドの上に身を投げ出す。

 そのまま眠ってしまおうかという、そのときであった。

 枕元のサイドボードで充電器に繋ぎっぱなしだったスマホが目に映った。そして、運の悪い事にLED通知が点滅している事に気がついてしまった。


 ……どうでもいい。もう眠ろう。


 そう思って、重たくなった目蓋まぶたをおろしかけるが、誰からの着信があったのかが気になり始める。

 また、あの二人からとんでもない画像が送られてきているかもしれない。それを見てしまったら、このまま呑気に眠る事などできなくなってしまう。

 しかし、桜井や茅野たちは、何もヤバい画像ばかりを九尾に送りつけている訳ではない。

 もしかしたら、封印作業に従事する自分への労いの言葉かもしれない。あの二人は頭がぶっとんではいるが意外に可愛いところもある。それは、これまでの付き合いで良く知っていた。

 そもそも、着信の送り主は、あの二人ではないかもしれない。

「……気になる」

 確認したい。

 だが、確認して、もし奴らからヤバい画像が送りつけられていたのだとしたら、ゆっくり眠るどころではなくなる。

 しかし、どの道、このままでは気になって眠るどころではない。

 ならば、見るしかない。

 九尾は賭けに出る事にした。

 腕を伸ばしスマホを手に取り、ベッドに身を横たえたまま指を這わせた。

 メッセージが一件届いており、送り主は桜井梨沙。

 そして、その添付されていたどこかの大きな屋敷の写真を目にした途端、九尾は虚ろな眼差しで消え去りそうな微笑を浮かべながら、自らが賭けに負けた事を悟った。

 それは、間違いなくヤバい画像であった。 

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