【05】何の成果もあげられませんでした。


 三人は富子に案内されて、玄関正面の右にあった階段を昇った。

 二階に辿り着くと、階段の左手に廊下が延びており、障子戸と裏庭へと面した窓が並んでいた。

 因みに荒井家の裏手の家にある家の右隣も榊原邸にあたる。くだんの邸宅の奥行きは隣家の裏表二軒分に匹敵する。階段正面の窓のすぐ右下には、三つの家の境目が交わる狭い隙間が窺えた。

 そして、左手に延びた廊下の突き当たりにあるのはトイレで、階段のすぐ右手の扉が陽希子の部屋らしい。その扉を富子が控え目な調子でノックする。

「陽希子ちゃん、お友だち。高阪さん……それから、桜井さんと、茅野さんだって」

 しかし、返事はない。しばらく待っていても、気詰まりな静寂が続くのみであった。

 その沈黙を桜井が打ち破る。

「たぶん、あたしたちが来たのは知ってるよ。さっき窓から覗いていたし」

 高阪が続いて言葉を発した。

「あとは私たちに……」

 富子が神妙な顔つきで頷く。

 そして、高阪と場所を入れ替わり「何かあったら、呼んでちょうだいね」と言い残し、階段を下っていった。

 母親の姿がみえなくなると、高阪が意を決した様子で扉をノックする。

「陽希子さん……ごめんなさい。しばらく、来れなくて」

 返事はない。しかし、高阪はめげずに沈黙を守り続ける扉に向かって声を掛け続ける。

「今日は、桜井さんと茅野さんを連れてきたよ」

「やあ」

「初めまして」

 と、桜井、茅野が高阪の後ろで順番に声をあげた。高阪は更に話を続ける。

あの・・桜井梨沙と茅野循だよ? 本物だよ?」

 本人たちは苦笑して顔を見合わせる。

 しかし、やはり返事はない。耳を澄ませても、扉の向こうからは身動ぎする音も聞こえない。

 そこで、茅野が、ふう……と、溜め息を吐いて小声で言った。

「これはらちが明かないわ」

「そだね」

 と、桜井が同意して扉の前に立つ高阪の肩を掴んだ。

「あたしに任せて」

 場所を入れ替わり扉の前に立つ。

「ちょっと、下がってて……」

 そう言うと桜井は半身になって扉に向き合う。次に足を開き、ぐっと重心を下げた。左拳を腰の高さで捻り込むように後方へと引き、右拳は前腕と胸が平行になるような形で構える。

 琉球空手の基礎にして奥義、“ナイハンチ立ち”であった。

 それを見た高阪が慌てる。

「ちょっ、ちょっ、桜井さん、何をやるつもり!?」

 桜井が構えを解いて、高阪に向かって言う。

「いや、扉をぶっ壊そうと思って」

「駄目だよ! てか、壊せる訳ないでしょ!?」

 高阪が突っ込み、茅野が桜井を説き伏せる。

「待って、梨沙さん。こういうのはデリケートな問題なのだから、そういった力技は逆効果よ」

「取り敢えず話ができるようにしないといけないかなって」

 桜井が申し訳なさそうに頭を掻いた。

「暴力で部屋の扉を強引に開いたとしても、彼女の心の扉を開く事はできないわ」

 何か良い事を言った風のどや顔をして茅野は、桜井と場所を入れ替わった。

「私に任せて頂戴ちょうだい

 そう言うと茅野は扉でしゃがみ込み、鞄の中から革のスマホケースのようなものを取り出して開いた。

 その中には、細い金属製の工具が何本か収納されている。

 高阪がいぶかしげに問う。

「か、茅野さん……それは?」

「ピッキングツールよ。この程度のシリンダー錠なら簡単に開ける事ができるわ」

「だから、物理的に開けようとしないで!」

「もちろん、冗談よ」

 と、言って茅野は立ち上がり、ピッキングツールをしまった。そして、真面目な顔つきで言う。

「……こうして扉の前で騒いで我々が愉快な人間であると解れば、彼女も対話に応じてくれるのではないかと思ったのだけれど。名付けて“天岩戸あまのいわと作戦” そうよね? 梨沙さん」

「お、おう……当然、そ、そのつもりだった」

 桜井が目を泳がせながら気まずそうに返事をした。

 すると、次の瞬間だった。

 どん……と、室内から音がして同時に閉ざされた扉が震えた。

 どうやら、扉に何かを投げつけたらしい。

 そして、スマホの着信音が鳴る。

「あっ。陽希子さんからメッセージだ」

 高阪がスマホを手に取り指を這わせる。

 それを桜井と茅野は横からのぞき込んだ。

 送られてきた文面は……。


 『帰れ』


 それを見た茅野は肩をすくめてから、桜井と高阪の顔を順番に見た。

「出直した方が良さそうね」

 二人は無言で頷いた。




 荒井家の一階に降りると「せっかく来てくれたから……」と富子に居間に招かれ、お茶をご馳走になる。

 桜井はさっそくお茶請けの芋羊羹いもようかんを平らげ、茅野は静かに綠茶をすすりながら富子の話に耳を傾ける。

 どうやら陽希子には三つ歳上の姉がいるらしい。その姉は藤女子の出身で、現在は都内の有名私立大学に在籍する優等生なのだとか。

 陽希子はそんな姉に憧れて藤女子へと進学したのだそうだ。

「陽希子がやる気だったから、私たちは黙って見守っていたけれど、だいぶ無理をしていたみたい」

 富子の話では、何でも小器用にこなす姉に対して、陽希子はのんびり屋で不器用なタイプだったのだという。

 頑張って姉の後を追ったはいいが、そこで力尽きて勉強についていけなくなってしまった。それが不登校の原因なのではないかと語る。

 その話が一段落したところで、茅野が「ところで、話は変わりますが……」と、質問を切り出す。

「……陽希子さんは、トイレや入浴はどうされているんですか?」

「トイレは二階のものを使っているみたいね……」

 入浴に関しては父親が仕事に出て、富子が買い物に行くなどして家を明けているときや、深夜に済ませているらしい。

 その形跡はあるが、一度も入浴しているところを見た事がないのだという。

「……つまり、ずっと、部屋の中にいる訳ではない……と」

 と、桜井が独り言ちた後、かっ……と、目を見開く。

「閃いた!」

「それは駄目よ。梨沙さん」

 茅野が声を被せる。

 この日はけっきょく何の成果もあげられずに帰路に就く三人であった。


 ……事態が進展したのは、この日から一週間後の事だった。 

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