【03】豹変
桜井と茅野の言う“ひきこさん”とは、子供を捕まえてはボロボロになるまで引きずり回す都市伝説上の怪異の事である。
その正体は、いじめや虐待を受けて引きこもりになった少女であるなどと云われているが、諸説あり判然としない。因みにフルネームは
以上の概要を茅野が説明し終わると、高阪は手を叩いて笑う。
「なあんだ。どうりで何か話が噛み合ってないなと思った。だいたい、そんな、お化けみたいなのいる訳ないじゃん」
そして、ひとしきり笑い終えると、彼女は再び桜井と茅野に問う。
「で、二人は私に協力してくれる気はあるの?」
「いや、あたしたちは心霊専門だし」
と、桜井。茅野も申し訳なさそうに微笑んで言う。
「そもそも、今日、陽希子さんの名前を知ったような私たちがでしゃばったところで、どうにもならないのではないかしら?」
「えー、でも、何か困った事があったら、オカ研の二人に頼めばだいたい解決するって……」
「誰から、そんな事を聞いたのさ?」
その桜井の質問に、高阪は思案顔を浮かべてから答える。
「いや、同じクラスの友だち……ていうか、けっこうみんなそう言ってるけど」
「みんな!?」
茅野が目を
「……何か、噂の中のあたしたち、相当ヤバい事になってるんだけど」
「尾ひれなんてものじゃないわね。翼まで生えているわ」
茅野が皮肉めかした調子で応じる。
すると、高阪がスクールバッグから何かを取り出し、テーブルの上に置いた。
それを見た茅野は大きく目を見開く。
「こっ、これは……『処刑軍団ザップ』のVHS……」
「茅野さんって、ホラーとか好きって聞いたから持ってきたんだけど」
「ええ。でも、どこでこんなレアモノを……?」
「うちのおじいちゃんが昔レンタルビデオ屋やっててさ、こういうのガレージにけっこうあるんだ」
「素晴らしい……」
何やら
更に高阪はスクールバッグから封筒を取り出し、それを桜井に差し出す。
「桜井さんには、これ」
「何?」
桜井は封筒を受け取り、中に入っていたものを指で摘まんで引っ張り出した。すると、その表情が驚愕の色に染まった。
「これは……」
封筒の中に入っていたのは、一枚のチケットだった。そこには牧草を
「この前の『FM藤見』の懸賞イベントの景品で当たったんだけど、こんなのでよければ……」
「こんなのとはとんでもない……」
桜井が呆気に取られた様子で首を横に振った。
因みに『FM藤見』とは、この藤見市における地域密着型のラジオ放送の事だ。そして、藤見牛とは昨今、品評会で高い評価を得た新しい地域ブランド牛である。
「おじいちゃんが希望商品の番号を間違えて応募したみたいで、それが偶然当たっちゃったみたい……私も他の家族も牛肉はあんまり好きじゃないし、店舗まで引き換えに行くのが面倒だし、一キロの牛肉なんて悪くなる前に食べきる自信ないし、もて余してて……」
そこで、高阪は再び桜井と茅野の顔を交互に見て問う。
「どうしても無理っていうなら諦めるけど、噂に名高いトラブルシューター二人に協力してもらえたら私としては心強いし……」
「よし、やろう」
「まかせて
即答であった。
すると、高阪は満面の笑顔で「本当!? ありがとう!」と二人に向かって礼を述べた。
次の日の放課後だった。
桜井と茅野は高阪に連れられて、さっそく荒井陽希子の自宅に向かった。
電車とバスを乗り継いで一時間半。
それは学校へ来るのも嫌になるだろうと、桜井と茅野は思わずにはいられなかった。そして、ときおりではあるが、遠く離れた荒井の家へと通っていたという高阪の熱意が本物である事を再確認する。
ともあれ、閑散とした車内で、三人は後部座席に陣取り、取り留めもない雑談に興じる。
高阪は少し言葉の選び方が下手なところはあったが、基本的に明るい性格で、そういった短所もどこか可愛らしく感じられた。優秀ではないが、周囲に愛されるキャラクターといった印象を、桜井と茅野は抱く。
そして、バスに乗りしばらく経った後だった。話は荒井陽希子の事に移り変わっていた。
「実は二人に相談したのは、陽希子さんの様子がちょっと、おかしくなって。それで、自分の手には負えないかなって思って」
「おかしい?」
桜井が獲物を捕捉した
「どういう事なのかしら?」
茅野に促されると、高阪は自らのスマホを指でなぞり始める。
「実は、今年の春頃……四月の初めくらいだっけな」
「じゃあ、まだ緊急事態宣言の真っ只中ぐらいかな?」
桜井の言葉に高阪は頷く。
「それくらいの時期に陽希子さんから、こんなメッセージが来て……」
桜井と茅野は、高阪の膝の上のスマホを左右から
『学校、行ってみよっかな……』
そのメッセージが送信された日付は二〇二〇年四月五日二十三時四分であった。
「……凄いびっくりして。だって、私、陽希子さんにメッセージ送り過ぎてブロックされてたし」
「そ、そなんだ……」
桜井は引き気味で相づちを返した。
「……何か心境の変化でもあったのかしら?」
その茅野の言葉に高阪は首を横に振った。
「解らないけど……取り敢えず『今はコロナ禍だから学校やってないよ』って、軽い感じで返したんだけど」
荒井陽希子は緊急事態宣言で休校になっている事を知らなかったのだという。
「……何かあんまり時事系のニュースとかチェックしてなかったみたい。SNSも彼女やってないし」
「そんな人、いるんだねえ」と、桜井は妙に感心した調子で言うと、高阪は苦笑する。
「何か伝染病が流行ってるみたいなのは、何となく知ってたけど、そこまで大事だとは思っていなかったみたい」
それから高阪は荒井に、コロナ関連の世界の動きをかいつまんで説明したのだという。
「彼女、凄いびっくりしてた」
「それで、どうなったのかしら?」
茅野に促され、高阪は話を続ける。
「……そしたら陽希子さん『じゃあ、その緊急事態宣言とかいうのが終わったら学校行くから、また、いろいろ教えて。お願い』って」
「やっとデレた」
桜井がぱらぱらと拍手すると、高阪は照れ臭そうに微笑む。
「……それで、陽希子さんと、緊急事態宣言が明けたら学校で会おうって約束したんだけど……」
荒井陽希子は緊急事態宣言が明けても学校へ来る事はなかったのだという。
「前日とか、当日の朝とかにもメッセージを送ったんだけどね。返事はなし……」
心配になった高阪は学校が終わると荒井の家へと足を運んだ。在宅していた陽希子の母親に事情を説明し家にあがる。そして、二階にあった彼女の部屋の前に立ち、ノックをして声をかけた。
すると、しばらく経ってから高阪のスマホに荒井からのメッセージが届いたのだという。
「それが、これ」
『もう関わるな』
「は?」
桜井が困惑した様子で声をあげる。茅野は思案顔を浮かべながら続きを促す。
「それで、どうなったのかしら?」
「……それから、扉越しに『どういう事なの?』って陽希子さんに聞いたら、中からどんって音がして扉が震えて……たぶん、扉に何かを投げつけたんだと思うけど」
「やっぱ、けっこう凶暴じゃん」
桜井のツッコミに苦笑する高阪。
「でも、こんな事、これが初めてだったの。彼女は神経質なところはあるけど、どっちかというと気弱な感じだったから……」
その後も何度かメッセージを送ったが、けっきょく再びブロックされてしまったらしい。
「……もう、自分の手には負えないし、同じクラスでもないから無理に彼女に関わる必要もないんじゃないかって、正直思ったんだけど……」
高阪はそこで悲しそうに笑う。
因みに藤女子は二年から三年に進級する際にクラス替えは行われない。しかし荒井は休学届けを出して長期欠席していたため、進級に必要な単位が足りずに留年している。
「やっぱり、来て欲しいじゃん。私の我が
桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせた。
「それで、桜井さんと茅野さんの噂をいろいろと聞いて……ちょっと、頼ってみようかなって」
まもなくバスは目的の停留場に到着する。
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