【01】ひきこさん
牛首村にまつわる一件が一段落した九月の連休明けの放課後だった。
それは、藤女子オカ研の部室にて。
桜井はテーブルに上半身を投げ出して
その背表紙に記されたタイトルは『黒死館殺人事件』である。彼女がこの本を開くのは、よほどやる事がないときだけだった。
そんな室内に満ちた静寂と気だるさを一変させたのは、やや控え目なノックの音であった。
「ごめん、ちょっと、いい?」
その声に桜井は獲物の気配を感じ取った肉食獣の
「どうぞ」
恐る恐るといった様子で戸が開かれ、その向こうから姿を現したのは、スクールバッグを肩に掛けた同学年の少女だった。
黒髪のセミロング。顔にはナチュラルメイクを施してあり、その雰囲気はあか抜けていた。
桜井や茅野とは違うクラスで、顔に覚えはあったが名前までは知らなかった。
「何か用?」
と、桜井が尋ねると、彼女は戸を閉めてから再び室内に向き直り口を開いた。
「ごめんなさい。二人は報酬と引き換えにトラブルシューティングを請け負っているって聞いたんだけど、それって本当なの?」
「そだよ」
と、桜井が気軽な調子で言って、一つ
「貴女は?」
「あー、ごめん、ごめん。ぜんぜん、絡んだ事なかったもんね。二人とも有名人だからさ、こっちは知り合いのつもりだったよ……」
桜井と茅野は苦笑しつつ、彼女の自己紹介に耳を傾ける。
「私は
「よろしく高阪さん」と茅野。
「取り敢えず、座りなよ」
桜井に促され、高阪は空いている椅子に腰をおろした。茅野は珈琲を入れ始める。
「それで、依頼内容は?」
その桜井の問いに高阪は答える。
「……実は陽希子さんについてだけど」
「ひきこさんって……あの?」
桜井が尋ねると高阪は神妙な顔で頷く。
「彼女の事、知ってるのね」
「そりゃ、有名だもん」
「有名なんだ……」
高阪が何とも言えない表情で言うと茅野が話の続きを促す。
「詳しく話してくれるかしら?」
「実は私、陽希子さんに、学校へ来て欲しいんだけど……それで、二人に協力して欲しいの」
桜井は驚きに満ち満ちた表情で問う。
「ちょっと、高阪さん」
「何? 桜井さん」
「それって、ひきこさんを学校に召喚するって事?」
「ん?」
高阪は小首を傾げてから「あー」と声をあげた。
「まあ、そういう言い方もできるかも」
「そういうのは遊び半分で無闇にやらない方が……」
桜井は何らかの儀式で、彼女がひきこさんを呼び出そうとしているのだと考え、眉をひそめた。
数々の心霊体験を通じて、そうした儀式は
しかし、高阪は真剣な表情で桜井の忠告に
「遊び半分なんかじゃないよ!」
「高阪さん……?」
桜井が彼女の予想外のリアクションに戸惑う。高阪は少しだけ悲しそうに言葉を続けた。
「確かに、そういうのはデリケートだし遊び半分で首を突っ込んじゃいけないかもしれないけど、私は真剣だよ……」
「そこまで、ひきこさんにこだわるなんて、よほどの事情があるみたいね。もしかして、復讐かしら?」
茅野はそう言って、入れたての珈琲を高阪の前に置いた。
すると高阪は「ん? ふくしゅう……?」と少し考え込んでから手を叩き合わせる。
「まあ、陽希子さんには学校に来るんだったら
授業の、という意味である。しかし、茅野はそう捉えなかった。
「復讐
「うん。復習なら家でもできるし」
「家でも……?」
茅野が怪訝そうに言う。しかし、それに構う事なく高阪は話を続けた。
「そんな事より、私は兎に角、陽希子さんに学校に来て欲しいの。それ自体が目的」
「どゆこと?」
桜井が首を傾げる。
すると彼女は湯気立つカップに口をつけてとつとつと語り始めた。
「実はさ、私も中学生だった頃は、不登校でさ……自己アピールとか人と話すのが苦手で、学校へ行くのが辛くなっちゃって」
そうして、中学校へ入学してしばらく経つと、徐々に何かにつけて学校を休むようになり、一年生の二学期が始まった頃には、完全に登校する事ができなくなっていたのだという。
そのうち、部屋から一歩も出る事ができなくなり、彼女は完全な引きこもりとなってしまった。
「……両親は『無理しなくていい』って言ってくれたんだけど、それがまた辛くてさ。だから陽希子さんの気持ち、凄い解るんだ……」
そのまま中学二年生になり、もう自分は駄目かもしれないと思い始め、脳裏に死がちらつき始めた矢先の事だった。
当時のクラス委員がやってきて、高阪の事を部屋から連れだそうとした。
「最初は、本当にうざったかったんだけどさ……」
高阪は遠い目で昔を懐かしみながら笑う。
「でも、彼女、一生懸命で……私の事を考えてくれて……毎日、毎日、私のところに来てくれて……」
そして、引きこもってから約一年。ついに高阪は部屋から外に出て学校へ登校する事を決意したのだという。
「……それでさ、勇気を出して学校へ行ってみたら、何て事なくってさ、みんな優しくて、凄い楽しかったんだ。私、何を怖がってたんだろうって……それで、そのクラス委員の子に、何で私のために、ここまでしてくれたのかって聞いたらさ、彼女、何て言ったと思う?」
桜井と茅野は首を横に振ると、高阪はその自らの胸の奥にあった大切な言葉を吐き出した。
「同じクラスなんだから、ほっとけないじゃん……だって。たったのそれだけ。凄いよね」
そのクラス委員だった子は、中学卒業と共に親の仕事の都合で県外へ越してしまったらしい。しかし、今でも連絡を取り合っており、大親友といえる間柄なのだとか。
「……だから、今度は私の番。陽希子さんに学校の楽しさを知って欲しいの」
高阪は邪気が一欠片も感じられない満面の笑みを浮かべた。
そこで茅野は呆れた様子で溜め息を吐く。
「……でも、貴女、ずいぶんと変わっているのね。赤の他人のひきこさんのためにそこまで」
「赤の他人じゃないよ、陽希子さんは」
高阪が唇を尖らせる。
桜井はというと、両腕を組み合わせて深々と頷くと、きりっとした表情で言い放つ。
「解った。協力するよ」
「本当に!?」
高阪が表情を綻ばせた。
桜井は再度重々しい表情で頷くと、虚空に向かって左のジャブを二回突いた。
「もしも、万が一、召喚したひきこさんが暴れたら、あたしが何とかするから」
高阪が苦笑する。
「いやいやいや、暴れるって……陽希子さんは、そんな子じゃないから。引きこもりに対する偏見、酷くない?」
「いや、偏見とかじゃなくて、聞いた話では、ひきこさんは引きずる力……つまり、かなり腕力が強い。侮れない」
「ん?」
「ん?」
高阪と桜井が顔を見合わせる。
ここで、ようやく話が噛み合っていないと感じた茅野は高阪に尋ねる。
「ひきこさんって、あのひきこさんよね?」
「そうだよ。あの陽希子さん。引きこもりの。まだぜんぜん、絡んだ事ないけど、きっと仲良くなれると思うんだ。私たち」
「本当に貴女、変わっているのね。相手は子供を
「え?」
「え?」
高阪と茅野は顔を見合わせた。
ここでようやく何かがおかしいと気がついた高阪が言った。
「陽希子さんって、同じクラスだった荒井陽希子さんの事よ?」
視線を合わせる桜井と茅野。
そして、長い沈黙を経た後に、桜井が高阪に訊いた。
「心霊は?」
「シンレイ? シンレイって、どういう意味?」
高阪は訳が解らないといった様子で首を傾げた。
そこで茅野が問う。
「じゃあ、高阪さん、貴女の依頼って……」
「うん。私たちのクラスの荒井陽希子さんを、どうにか学校へ来させたいんだけど、何か良い方法がないか、二人にも一緒に考えて欲しくって……」
「何で、あたしたちに……?」
桜井がまったく訳が解らないといった調子で問う。すると、高阪は平然と言いはなった。
「え? だから、二人はトラブルシューティングを請け負ってるんでしょ?」
桜井と茅野は共に「うーん」と唸り、黙り込んだ。
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