【08】帰郷
是枝充は村上のフォロワーの中からあっさりと茅野のアカウントを見つけだした。
“直近で村上のアカウントをフォローした県内在住の女子高生”
これだけの情報があれば、特定は容易であった。
そのアカウントに次のような文面のDMを送った。
『突然、申し訳ありません。貴女が嘘を吐いて村上さんから譲り受けたお守りを返していただけないでしょうか。あれは本来ならば私の手元にあるべきはずのものです。ご希望とあらば百万円までお金を出せます。ご一考ください』
今度は村上のときのように高圧的な態度で脅しをかけるような事はしなかった。そのせいで騒ぎが大きくなってしまったのは、是枝にとって手痛い失敗だったからだ。
彼は茅野の読み通り、あの五百円札にこれ以上の注目が集まる事を恐れていた。
ともあれ、返事はすぐに来た。
『明日十二時、是枝充のかつて住んでいた家で』
その短い文面を読んだとき、是枝は背筋を震わせた。
お守りを村上から騙し盗ったという女子高生は、是枝充の事を知っている。
確実に普通の少女ではない。
相手の出方次第では命を奪う必要があるだろう。
是枝は自宅のリビングのソファーに腰を掛けたまま、手元のスマホ画面を見つめ続けた。
二〇二〇年九月二十二日。
古びた家々と田園地帯に挟まれた路地を行く県外ナンバーのオデッセイは、その透かしブロックの塀の前で静かに停まった。
運転席の扉が開き、その中から姿を見せたのは是枝充であった。彼がこの場所にやって来るのは、およそ三年振りの事だ。
浮かない表情で田園風景の向こう側に横たわる丘へと視線を向ける。そこには、あの大津神社があった。
因みにこの場所から見えないが、境内へ続く階段は立入禁止のフェンスで閉鎖されている。表向きは修繕工事という事になっているが、数日後から始まる宿儺の右腕の封印作業に備えた措置であった。
そうとは知るよしもない是枝の胸中には言い様のない不安が渦を巻いていた。
十六年前の恐怖は既に記憶の彼方に沈み込んで、
しかし、一方で何か大切な事を思い出せていないような気がして心がざわつく。
それは記憶を取り戻してから
是枝は目を
「……大丈夫」
たぶん、気のせいだ。
口元を覆ったマスクの位置を直し、ジャケットの胸ポケットに差してあったサングラスをかける。それから彼は荒れ果てたかつての住居の門を足早に通り抜けた。
「……来たわね」
上り
向かって左の少女は、小柄で癖のある栗色の髪を後頭部で結んでいた。目つきは、どこか遠くを見ているかのようにぼんやりとしている。
そして、右側の少女は反対に背が高く、黒い長髪と理知的な眼差しが印象的だった。その少女が再び口を開いた。
「……貴方は? 是枝充と、どういう関係なのかしら?」
是枝は言葉に
どうやら、この少女たちは、是枝充の存在を知っているようだが、肉体を捨てた事までは知らないようだ。
その秘密をどこかで明かした事など一度もないので当然である。小林美不音と、あの少年、そして自分自身しか知らない。
その事実を再確認した是枝は冷静になって、
ふと右手の靴箱の上の壁に掛かった古い鏡が横目に入る。そこに映し出されているのは、マスクとサングラスをかけた今の自分の姿だった。
その鏡を
「……それより、あのお守りを返して欲しい」
率直に自分の要求を告げると、懐から現金の入った封筒を取り出す。
「これで、頼む」
すると、背の高い少女は首を横に振る。
「そんな、はした金はいらないわ。私たちの欲しいものはただ一つ」
そう言って、彼女は悪魔のように笑い、右手の人差し指を立てた。
是枝は眉間にしわを寄せる。すると、今度は少女が要求を述べた。
「……両面宿儺の右腕をあの神社に祀った是枝充に関する情報よ」
是枝はサングラスの奥で大きく目を見開いた。
この少女たちは宿儺の事も知っている。
それにも驚いたが、今の名前ではなく“是枝充”という名前を他人の口から聞いた事が衝撃的だった。転生して以降は自分でも一度も口にしていない。
「……お前ら、どこまで知ってるんだ!?」
「
少女はそう言ってクスクスと笑い、言葉を続けた。
「二〇〇四年頃に匿名掲示板のスレッド『すげー効くぞwwww』を立てたのも是枝ね。あれは実験だったのかしら?」
是枝は言葉を失う。
彼女の言う通りだった。
右腕の力を使ったとき、どれぐらいの効果があるのか。そして、呪いを行使した者が、どの程度の代償を支払わなければならないのかを調査するための実験だった。自分が試す訳にもいかないので、ネットで情報をばら撒き、他人にやらせた。
転生の際の記憶障害により、その実験結果を得る事はできなかった訳だが、数年前にあの神社の呪いに見舞われた女性と偶然にも面会する機会があった。
けっきょく彼女は凄惨な死を遂げ、是枝は未だにあの神社の力が健在である事を知った訳だが……。
いずれにせよ、この二人はそちらの世界に通じる知識を持ち合わせている。いっけんすると、普通の十代の少女にしか見えないのだが。
しかし、是枝は知っていた。そんな外見から得られる情報がまったく当てにならない事を……。
自分自身もそうだし、あの小林美不音の息子もそうだ。この二人も、見かけと中身が違う化け物なのかもしれない。
そんな事を考えていると、背の高い少女は血溜まりのような色素の薄い瞳を瞬かせながら、右手を眼前に掲げた。その指先には、あのお守りがぶら下がっている。
是枝は、はっとした。
少女は
「……このお守りの中に入っていた五百円札、いっけんすると普通の紙幣だけれど、とんでもないものね」
「な、何を言っているんだ……」
是枝の動揺を完全に見透かした様子で少女は口にする。
「XF228915A」
この文字列は、お守りの中に入っていた五百円札に記された番号である。覚えていた訳ではなかったが、是枝は瞬時にそうだと悟った。
そして、この少女が本当に何もかも解っている事を確信する。
「ああ……糞」
是枝は右手に持った封筒を投げ捨て、懐からバタフライナイフを取り出した。
指先で回転させ刃を出しながら、二人の少女に飛び掛かる――
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