【07】爆釣


 是枝充は村上剛のスペース配信を聞き終わると、マウスを握ったまま眉間にしわを寄せた。

「……何て事だ」

 歯軋はぎしりと共に、その言葉を吐き出し、彼は座卓のノートパソコンのディスプレイを睨みつけた。 

 村上の動向を監視していたために、このスペース配信を聞く事ができたのは不幸中の幸いであったが、怒りが収まらない。

 是枝に孫などいないし、村上の話にあった二人組の少女にも心当たりはなかった。

「……一体、何者なんだ」

 その二人組は、なぜ嘘を吐いて村上からお守りを受け取ったのか。そもそも、あの家に何の用があったというのか。

 村上の話によれば、平然と門の向こうから敷地へと入ってきたらしい。

 考えれば考えるほど、その二人組の少女の目的が良く解らない。

 あの例の五百円札はいっけんすると、単なる古銭以上の価値はない。エラープリントも截断さいだんミスもないし、記番号もゾロ目や連番などではない。 

 しかし、あのお守りは、彼にとっての青春時代の象徴で、自分自身への勲章だった。

 ままならない社会に生まれて初めて最初の一撃を与えた爪痕。何にも代えがたい宝物であった。

 しかし、二〇〇四年の十月二十三日。

 大津市の自宅から逃げ出したとき、臆病な彼は恐怖にかられて酷いパニックにおちいり、あのお守りを家に置いてきてしまう。そのあと、肉体を捨てた事が原因で記憶障害に見舞われる。

 けっきょく、お守りの事を思い出すのに、ずいぶんと時間が掛かってしまった。

 記憶が戻った後、是枝はお守りを回収するため、あの家へと向かったが、そこにあったのは床に転がった鍵付きの小箱のみだった。蓋が壊されており、中身のお守りはどこにも見当たらなかった。

 部屋は侵入者によって荒らされた形跡があり、何者かが持ち去った事は明白であった。

 もしも、あれを持ち去った愚か者が、普通の古銭と同じようにあの五百札を扱ってしまったのなら、再び探し出す事は不可能に近くなる。

 かといって、あの五百札の本当の価値に気がつかれてしまったのだとしたら、それはそれで取り戻す事が困難になってしまうだろう。 

 是枝は一度、あの五百円札をすっかり諦めていた。

 しかし、運命の悪戯かつい先日、あの村上のブログへと彼は偶然にも辿り着く。茅野の見立て通り、ネットリテラシーの薄い彼の個人情報を割り出すのは容易であった。

 是枝はさっそく、村上にコンタクトを取った。しかし、その矢先、お守りはまた別な人間の手に渡ってしまった。

「……まあ、いい」

 どうにか、その怪しい二人組を探し出すしかない。

 まずは村上の元におもむき、詳しく人相などを聞き出す。それしか現時点で打つ手はないように思われた。

 しかし、このあと村上剛により、謎の二人組の素性に関する有力な情報が、是枝の元にもたらされる事となった。




 村上剛@リア垢@go_murakami・1分前


 やばい! 例のお守りの女の子からDMきたんだけど……。一応、向こうから許可をもらったし、詳細をスペースで話します。今日の20時から。是非、ご参加ください。



 

 その日の二十時、予告された配信は時間通りに始まった。

 簡単な経緯の説明の後で本題に入る――。


 ……お守りを渡した女の子、県内在住の女子高生で、やっぱり、あの家に昔住んでたおっさんの孫らしい。その女の子が言うには、おっさんは亡くなっているらしくて……で、つい先月ぐらいから、おっさんが夢に出てくるようになって『俺の住んでた家にいって、お守りを取って来てくれ』って、泣きながら頼んできたんだって。女の子はお守りが何の事か解らなかったから、変だと思いつつも最初のうちは気にしてなかったらしいんだけど、あまりにも繰り返し同じ夢ばっかり見るから、友だちと一緒にあのおっさんが住んでた家に行ってみたら俺がいたんだって。

 本当にお守りを手渡されたからびっくりしたらしい。

 どういう事なのか事情を訊こうとしたけど、俺がとっとと帰ってしまったから、それもできなくて……それで、あのとき俺が教えた名前で検索して、このアカウントまで辿り着いたらしい。

 これで、あの二人組の素性は解ったんだけど、ここで不思議になってくるのが、最初、俺に電話をかけてきた男は誰なんだろうって。

 あと、俺の部屋を荒らしたのも……。

 例の女の子によれば、夢に現れた彼女の祖父が死んだのは二〇〇四年の地震のすぐ後ぐらいだって話なんだけど。

 まさか死んだその子のお爺さんが俺のところに電話をかけてきた……なんつってね。あははは……。

 まあ、こんな感じなんだけど、何か質問のある人いる?




 赤と緑を基調とした色彩感覚のイカれた部屋……茅野循の私室であった。

「……これで、餌は撒かれた訳だけれど」

 茅野循はゲーミングチェアに腰を埋めたままスマホを耳に当てて、室内の壁掛け時計を見た。

 ついさきほど、村上剛のスペース配信が終わったところだった。とうぜん彼が配信で語った内容はすべて彼女が考えた虚構である。

『……でも、お守りを欲しがってるX氏が、村上さんのスペース配信を聞いていなかったら?』

 スマホの受話口の向こうで桜井梨沙が言った。それに対して茅野は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「なかなか鋭い指摘よ、梨沙さん。このスペースは、今年の四月から始まったばかりのサービスで、まだアーカイブを残す機能もついていないし、その可能性は充分にあるわ。だけれど、X氏がこの配信を聞いていなかったとしても同じ事よ」

「というと?」

「X氏は必ずもう一度、村上さんにコンタクトを取るはず。現状でX氏の持っているお守りに繋がる手掛かりは村上さんだけだし、X氏があのお守りを諦める事など絶対にあり得ないのだから。そのとき、村上さんは私たちに関する情報をX氏に提供するはず。そうなれば、もうこっちのものよ」

『ふうん……』と、いつもの気の抜けた相づちを打った後、桜井は新たな懸念を口にした。

『あと、気になるのは、このX氏が村上さんにコンタクトを取ったときに、彼に直接、何らかの危害を加える可能性は? 呪い殺すとか言ってたらしいし』

「ないとは言い切れないけど、私ならばやらないわね」

『そのココロは?』

村上さんのネット・・・・・・・・リテラシーが・・・・・・低いからよ・・・・・

『というと?』

「彼が例のお守りの話を配信してしまった事で、この事は第三者の知るところとなったわ。ここで彼の身に何かあれば配信で話した内容との関連性が疑われる可能性が出てくる。そうなれば、あのお守り……というか中身の五百円札に第三者の注目が集まってしまうわ。そうなる事は、X氏にとって避けたいはず。結果的にだけれど、村上さんは、この件を配信してしまった事により、自らの身の安全を確保したとも言える」

『ふうん』

 と、桜井の相づちが聞こえたところで、茅野は話をまとめに掛かる。

「何にせよ、これで上手く行けば、そのX氏から是枝充の消息を辿れるかもしれない」

『そだね』

「……それは兎も角、梨沙さん」

『何?』

「もし、是枝を見つけたらどうするつもり?」

 その質問に桜井は少し考え込んでから答える。

『まあ、本気の腹パン一発でかんべんするつもりだよ』

「殺さないでね」と、茅野は冗談とも本気ともつかない様子で釘を刺した。すると桜井は鹿爪らしい調子で言葉を続ける。

『それはさておき、純粋に何が目的だったのかは興味があるよ。あんな事・・・・をして、何の意味があったのか。何をしようとしていたのか……』

「そうね。確かに、そこら辺はゆっくりと尋問してあげたいわ」

 と、茅野は頷く。

 すると、すぐ目の前の書斎机に置かれたノートパソコンにDMの通知が表示された。それを目にした茅野はスマホを耳に当てたままマウスを握る。

もう喰いついたわ・・・・・・・・

 そう言って悪魔のように笑った。

 

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