【05】悪の後継者
是枝充は一九四八年、日本海側の農村で生まれた。
彼の家は
常に劣等感に苛まれていた彼は臆病で、自信を持って何かに取り組む事ができないでいた。
そのせいか、彼はあらゆる物事において失敗を繰り返し、その失敗を周囲が厳しく叱責し、更に自信を失くすという悪循環から抜け出せずにいた。
そんな彼を、周囲の者たちは落伍者だと決めつける。とうぜん、親しい付き合いがあると呼べる存在は一人もおらず、彼は常に周囲から浮いていた。
それでも厳しい両親にせっつかれ、学業だけは怠らなかったので、都内の有名な大学へ進学する事となった。
しかし、それでも是枝自身の劣等感が癒される事はなかった。親に言われた通りやっただけで、自分自身の意思で成し遂げた事ではなかったからだ。
是枝は周りの若者が世界の変革を望んで過激な学生運動へと傾倒してゆく中、内なる悩みに鬱々と思いを巡らせる毎日を送る。
自分は何のために存在しているのか。
自分が成すべき事は何なのか。
それらの命題に対して彼は納得のゆく答えを得る事ができず、何も変わらないまま無為に時間だけが経過する。
そんな暗い青春を送る是枝の隠された才能を見いだし、呪術の世界に引き込んだのが、あの数寄屋満明だった。
是枝は数寄屋に呪術を習いながら、彼と行動を共にした。数寄屋は彼に優しく、両親のように失敗を責めるような事もなかった。
そこでようやく是枝は自己肯定感を得て、承認欲求を満たす事ができた。是枝は彼に心酔して、付き従う。彼はようやく自分の居場所を手に入れる事ができたのだ。
しかし、それは、単に手駒を欲していた数寄屋に洗脳されていたに過ぎず、その事に彼はまったく気がついていなかった。
ともあれ、是枝はあの隠首村で数寄屋が行おうとしていた
是枝は数寄屋の命令通りに首尾よく動き、満足のゆく結果を彼にもたらす事となった。
しかし、彼は数寄屋の計画に加わる事はなかった。
それは計画が始まる直前。
昭和四十四年の新宿ジャズ喫茶火災の翌日だった。
ガード下の赤提灯で、薄汚れたベニヤの天板にグラスの底を叩きつけ、是枝は声を張りあげた。
「どうしてなんですか!?」
数寄屋はシンナーでぼろぼろになった鋸のような歯を唇から
「お前には、まだ早いからだ」
是枝は二日後から隠首村で始める儀式には連れて行けないと、数寄屋から告げられたところだった。
因みに彼は、この儀式について“世界に変革をもたらす大いなる計画の一部”としか聞かされていなかった。
「……早いって、どういう事ですか!? 俺が役に立たないとでも言いたいのですか!?」
「まあ、まて。落ち着け」
数寄屋は是枝を右手で制すると、人差し指と中指の間で紫煙をあげていた煙草を灰皿に押しつけた。
「……お前には呪術の才能はあるが、まだ経験が足りねえ。だからこそだ」
「だからこそ……?」
是枝は首を傾げる。
数寄屋は新しい煙草を口に咥えると、片手で紙マッチに点火した。煙草に火を灯し、ゆっくりと煙を
「……お前には、これからも呪術の
「失敗……」
「そうだ」
数寄屋は再び煙草を吸って煙を吐き出す。
「……九月二十六日以降、この世界が何も変わらないようなら、俺の計画は失敗したという事だ。そのときは、お前が俺の代わりに世界を変えるんだ」
「俺が……」
「そうだ」
「でも、そんなの、どうやって……」
是枝の言葉に数寄屋はけらけらと笑った。
「……それは、自分で考えろ」
そう言って、薄暗い天井をしばし見あげた後に、再び口を開いた。
「そうだな。兎に角、でけぇ力でこの世を真っ平らにするんだよ。右も左も、けっきょく形は違えど上が下から
などと、数寄屋はもっともらしく述べたが、彼は例の禍つ箱製作において、臆病で足手まといになりそうな是枝を計画から切り捨てたいだけだった。
代わりに是枝と同じく自らに心酔しており、忠実で
ともあれ、このときの是枝は素直に、自分が数寄屋に見込まれた特別な存在であると勘違いした。
「解りました……貴方がそこまで言うのなら……」
こうして、是枝充は数寄屋満明の後継者となる道を選んだ。
「……もっとも、俺は失敗するつもりはねえけどなぁ」
そう言って数寄屋は笑い、取り皿の上で冷めたもやし炒めを割り箸ですくった。
しかし、彼のこの言葉に反して、一九六九年九月二十六日を過ぎても世界は何一つ変わらなかった。
是枝は数寄屋が失敗した事を悟り、彼に習った呪術で裏社会の仕事をこなしつつ
そして、一九八一年。
小林によって紹介された阿武隈礼子と共に両面宿儺の製作と制御の研究に乗り出す事となった。
妙に既視感のある夢を見ていた気がした。それはまるで他人の人生のようだった。
目を覚ますと彼は本当の名前も、今の自分が何なのかも忘れていた。
上半身を起こして辺りを見渡す。
「何だ……ここは」
壁も床も天井も、コンクリートの打ちっぱなしで窓はない。部屋の四隅に置かれた燭台の炎だけが唯一の光源だった。その乏しい明かりの中で、右の壁にある扉が浮かびあがっていた。見るからに頑強そうで覗き窓には鉄格子がはまっている。
まるで、牢屋のようだ。そんな思考が頭を横切った直後、自分が木の棺桶の中で寝ていた事を知った。
「……何なんだ」
そして、薄暗闇に目が慣れてくると周りの床に
「なあ……これ、何だ!?」
扉に向かって声をあげる。
「おい! おい! 何なんだ……」
自らの置かれている現状が理解できない。そもそも、自分が誰かも解らない。
「……何なんだよ、畜生」
頭を両手で抱えながら
小学生くらいの男児と、その母親らしき女性だった。記憶にない顔だった。二人は棺桶の傍らまでやって来る。
「……記憶を失っているみたいね」
女が無感動な様子で言った。
「……な、何なんだよ。これは……俺はどうしたんだ!?」
そう言って立ちあがろうとして棺桶の縁を掴んだ。すると、少年が右手を
なぜか従わなければならないような気がした。
そのまま少年を見あげていると、その幼い唇から淡々とした言葉が紡がれた。
「……ショーパブなどで手品を披露し、日銭を稼ぐ売れない芸人で腕は良かったが賭け事にはまり、莫大な借金を背負った。首が回らなくなり、裏社会の者たちに貸しを作ってしまった。結果、身体を借金のカタにした。それが、
「身体を借金のカタに……」
それが文字通りの意味である事も露知らず、少年の話に耳を傾け続ける。
「……もう借金はない。当面の生活費も援助してやろう。安心して第二の人生を歩むとよい」
「第二の人生……」
この第二の人生という言葉も、そのままの意味であった。
そして、少年は女に向かって言う。
「彼に着替えと荷物を」
女はまるで召し使いのように黙礼すると、部屋の入り口へと向かった。
その背中を眺めながら、何かとても大切な事を思い出さなければならないような気がしたが、それが何なのかはけっきょく解らなかった。
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