【04】二度見
二〇二〇年九月二十日の昼過ぎ。
県警庁舎の使われていない会議室にて。
桜井はテーブルの向こうの篠原結羽と九尾天全に向かって、是枝の家で見たものについて端的に述べた。
「……でも、別に何もなかったよ。是枝の家」
その言葉に茅野が続く。
「溜まった郵便受けを改めたけれど、二〇〇四年の秋、もしくは二〇〇五年の年始辺りから、あの家には誰も住んでいなかったみたいね」
「本当にぃ?」
と、疑わしげな篠原の視線を軽々と茅野は受け流した。
「……本当よ。嘘だと思うなら家に行ってみれば解るわ」
「循は、そんなすぐバレる嘘は吐かないから。もっと巧妙だし」
などと、桜井はフォローしているのか何なのか良く解らない言葉を口にした。
すると、そこで静観していた九尾が口を開いた。
「……見たところ、おかしなモノに憑かれたり、呪われたような気配はないわね」
その瞬間、桜井と茅野が思い切り残念そうに顔をしかめ、それを見た篠原が盛大な溜め息を尽く。
「兎も角、これ以上は、もうこの件に首を突っ込まないように。良いわね?」
桜井と茅野は顔を見合わせてから素直に「はーい」と揃えた声をあげた。
「もう帰っても良いわ」
その篠原の言葉を待ってましたと言いたげに、桜井と茅野は席を立つ。そして、テーブルの上に置いてあった各々の鞄を手に取った。
そこへ篠原が念を押すように声をかける。
「……本当に是枝の家からは何も持ち去ったりしてないでしょうね?」
「
「嘘吐いたら、本当に窃盗で逮捕するからね?」
「だから、循はそんなすぐにバレるような嘘は吐かないって」と桜井。
そこで九尾が苦笑しながら「だから、厄介なのよね……」と独り言ちる。
篠原は諦めた様子で再び溜め息を吐く。
「何か聞きたい事があったら、こっちから連絡するから、それまで大人しくしてなさい」
「解ったわ」
「りょうかーい」
と、二人は軽い調子で返事をして、会議室の入り口へと向かう。そして、扉口で振り返る。
「……それじゃあ、篠原さん、九尾センセ。後はよろしく。頑張って」
「本当に今回は迷惑を掛けたわ。反省してる。それじゃあね」
そう言って部屋を後にした茅野の鞄には、あの村上剛からもらった交通安全のお守りがぶらさがっていた。
県警庁舎からの帰り道だった。
銀のミラジーノの車内にて。
「……九尾先生は無反応だったわね」
そう言ったのは、助手席の茅野だった。その右手には例のお守りがあった。
「という事は、心霊的に問題のない普通のお守りって事だろうけど、それはそれでますます謎が深まるね」
と、ハンドルを握る桜井が言った。
「取り敢えず、九尾先生のお墨つきがもらえた訳だし、中を開けてみるわ」
そう言って茅野は、お守りを開けた。そして、中から折り畳まれた紙片を取り出す。
「……これは、五百円札みたいね。日本銀行券B号……旧五百円札ね」
広げた紙幣をまじまじと見つめる。
桜井が前を見据えたまま問う。
「それって、値打ちのあるものなの?」
「どうかしら……」
と、茅野は五百円札に目線を落としたまま首を傾げる。
「ネットオークションなんかだと状態の良いものは十倍近くの値段がつく事もあるけれど、こんなに折り目がくっきりついてると、そうはいかないでしょうね。額面通りの価値にしかならないと思うわ」
「ふうん」
と、桜井が気のない返事をした。
茅野は更に五百円札の観察を続けながら
「……紙幣で、値段があがる場合はエラープリントや裁断ミス、特殊な番号のお札の場合ね」
「特殊な番号って?」
「紙幣の記番号は、頭に一つから二つのアルファベット、末尾に一つのアルファベットの間に挟まれた六桁のアラビア数字で表されているわ。『AB111222A』みたいな感じね。例えば、この六桁の数字がゾロ目だったり、連番だったりする場合は数万円くらいの値段になる事もあるみたいね」
「それでも数万円くらいなんだね」
「まあ、元が五百円ですもの」
と、言って茅野は苦笑すると話を続けた。
「それから、頭と末尾のアルファベットが揃っているものも、若干の値があがるわ。その中でも頭と末尾がどちらもAのものは更に値段があがる。これは最初に刷られた紙幣だからね。それよりは劣るけれどZZとZで挟まれた番号のものも値段がつき易い。これは逆に最後に刷られたものだからよ」
「なるほど。で、そのお札の番号は?」
その桜井の問いに茅野は首を横に振った。
「ゾロ目や連番ではないわね。頭と末尾のアルファベットも揃っていない」
「そっか……」
桜井がしょんぼりとした様子で言う。
次に茅野は五百札の折り目を観察しだした。
「今のところ、本当にただの五百円札ね。そうなると、これの持ち主は、何の変哲もない五百札をお守りに入れていたという事になるけれど、その動機がさっぱりだわ」
「循でも解らないなんて、よほどだね」
「一ペニーや一セント、ドイツでは生まれた年のコインなんかが幸運のお守りとされる事はあるけれど……」
「日本でも五円玉とか」
その桜井の言葉に茅野は頷く。
「そうね。でも、五百円札自体に特別な意味があるだなんて聞いた事がないわ」
「そもそも、呪術的な意味があれば九尾センセが反応しているはずだしね」
桜井のもっともな指摘のあと、茅野は五百円札を折り畳み始める。
「まあ、昨日、例の村上剛さんのFacebookから各種SNSを特定できたわ。あまりセキュリティへの意識は高くはないみたいね」
「流石、循だね」
「彼の方から、このお守りの謎を探ってみましょう」
「で、村上剛さんは、どんな人だった?」
「……いかにも陽キャって感じの人ね。大津市郊外の米菓工場に勤めてるみたい。SNSもほとんどが本名に近いアカウント名で登録していて、そこからの交遊関係はかなり広いみたいね。オフ会にも積極的に参加してるみたいよ」
と、言いながら、茅野は五百円札をお守りに戻そうとする。
そして、桜井が「いっけんすると、普通の人だね」と言葉を発した瞬間だった。
茅野の手がぴたりと止まる。
その様子を横目で見た桜井は怪訝そうに問う。
「どしたの? 循」
すると、茅野は桜井の言葉に答えず、お守りに入れかけていた五百円札を慌てて広げ直した。そして、再びその紙面を凝視する。
「循……?」
桜井が再び呼びかけた。すると茅野は興奮した様子で言う。
「……梨沙さん」
「な、何?」
「是枝充は思ったより、とんでもない人物かもしれないわ……」
そのまま茅野は五百円札を見つめ続けていた。
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