【03】転生
時刻は深夜。
そこは、都内某所のファミレスだった。
自動ドアが開き、インターフォンが鳴った。
渋谷系のファッションを身にまとった男女が店内に姿を現した。店員に案内され、肩を寄せ合いながらテーブルの脇を通り過ぎて行く。
その背中が遠ざかったところを見計らい、是枝充は中断していた話を再開した。
「……本当に、大丈夫だと思うか?」
「ええ」
と、即答したのは、テーブルを挟んで是枝の正面に座った女だった。
歳は四十過ぎで、小綺麗な格好をしていた。富裕層の主婦といった印象の彼女は、
逗子に眠っていた両面宿儺の情報を白井博一に提供したのは彼女だった。
小林はカモミールティのカップを口許に運んだ後、己の見解を述べた。
「……見たところ、貴方に呪いの兆候は見られない」
それは是枝も自覚していたが、この手の知識を自分より豊富に持ち合わせている小林の見解がどうしても聞きたかったのだ。
彼女の言葉を聞いて安堵の溜め息を漏らす。
「ああ……それは良かった」
「恐らく、あの右腕は、まだ祀られた土地に縛られているみたいね。阿武隈の封印は完全に解けてしまった訳ではないみたい。ともあれ、彼女の死は運が悪かったとしか言えない。あの地震さえ起こらなければ、彼女は死ぬ事はなかった」
そう小林が言った直後、彼女の右隣でハンバーグを食べていた小学生くらいの男児がナイフを床に落とした。
身を屈めて拾おうとした彼を無言で制すると、小林は床に落ちたナイフを拾った。カトラリーケースに入れると、呼び鈴を押して店員を呼び、替えのナイフを頼んだ。
男児はどうやら、小林の子供らしい。申し訳なさそうな顔で彼女の顔を見あげ「ごめんね。ママ」と言った。
そのやり取りを眺めながら、是枝は今さらながらに、子供にこんな話を聞かせて良いのかと不安になる。
やがて、替えのナイフを持ってやって来た店員が遠ざかると、子供の存在をいっさい気にした様子を見せずに小林が口を開く。
「……ただ、このままでもいけませんね」
「いけない……?」
是枝の表情が歪む。
小林は神妙な調子で頷き話を続けた。
「もしも、あの右腕が完全に自由を取り戻したとしたら、
「ど、どうすれば、逃れる事が……」
小林は沈痛な面持ちで首を横に振る。
「……恐らく、そのときは、そう遠い事ではないでしょう」
是枝はテーブルに肘を突いて頭を抱え、絶望に表情を曇らせる。
「やはり、駄目なのか……」
是枝は涙目で絶望的な微笑みを浮かべると、椅子から腰を浮かせた。
「……すまない。相談に乗ってもらって」
「行くのですか?」
と、小林が是枝を見あげて言った。
「ああ。どこか、人のいない場所で、余生を送る事にするよ。あの右腕に脅えながら……」
そう言って、是枝は自嘲気味に笑う。そして、席から立ち去ろうとした、そのときだった。
「待て」
是枝はその声を発したのが誰か解らず、周囲に視線を這わせる。
すると、男児がナイフとフォークを皿の上に置くと、紙ナプキンで口元をぬぐって言葉を発した。
「一つだけ、両面宿儺の呪いから逃れる事のできる方法がある」
「え……」
唖然とする是枝。
男児の声音は年相応に幼いものであったが、その口調はまったくそぐわないものだった。
「まあ、座れ」
促され、是枝は狐に摘ままれたような顔で再び腰をおろす。
男児はお冷やを一口飲んでから言葉を発した。
「呪いから逃れるためには、別人になる以外にない」
「別人に……」
「そうだ。元の肉体を捨て、新たな肉体を手に入れるしかない。それで、あの右腕との縁は切れる」
転生の秘法。
聞いた事はあった。
魂を別な肉体に入れ替える。
しかし、そんな高度な術を成功させる事など、よほどの力を持った術師でもない限り不可能に近い。
そもそも、その秘法はすでに失伝しているはずであった。
「そんな事、できる訳が……」
その是枝の声を男児は己の声で打ち消す。
「できる」
あまりにも、きっぱりと確信に満ちた口調で男児は言い切った後、その言葉を発した。
「
是枝は目を丸くしながら訊いた。
「……あなたはいったい」
しかし、男児はその質問には答えてはくれなかった。
「儀式はすぐに執り行う事ができる」
その言葉によって、是枝の中で男児の正体への興味が遠退いた。
「じゃ、じゃあ、すぐにでも……」
「ただ、一つだけ問題がある」
男児が右手の人差し指を立てる。
「新しい肉体は“相性”のよいものでなければならない。もしも“相性”を考慮せずに、この秘法を行った場合、転生後に様々な後遺症が現れる確率が高まる」
「後遺症……」
是枝はごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「記憶損失や何らかの肉体的な疾患……この術は秘法と呼ばれるだけあって、そう簡単にはいかない。“相性”のよい新しい肉体を探す事は可能だが時間は掛かる。臓器移植のドナーを一から探す程度にはな」
「そんな……」
是枝の顔色が絶望に曇る。
それとは対照的に男児は淡々と話を続けた。
「……もちろん、新しい肉体を探すうちに、あの右腕の指先がお前の首に掛かる……という可能性も充分に考えられる。だから、どこかで妥協する必要はあるだろうな」
そこでいったん言葉を区切ると、男児は琥珀のような瞳で見据えながら、是枝にその問いを投げかける。
「どうする? 最終的な判断はお前に委ねる」
是枝はたっぷりと逡巡した後、答えを述べた。
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