【02】謎の男


 桜井と茅野は少し離れた場所にあった総合庁舎の駐車場に車を止めた後で、狭い路地を縫うように歩いて目的地を目指した。

 やがて、沿道の片側には田園地帯が広がり、もう片側には古い家々が建ち並んだ路地に辿り着く。田園地帯の向こうには、大津神社が所在する木立に覆われた丘が見えた。

 その道をしばらく進むと、やがて現れる。

 風化した透かしブロックからはみ出した庭木。

 茶色いトタンの外壁の平屋。

 是枝の家である。

「あれか……」

 桜井が、きりっとした表情で屋根の上を見あげた。

 すると、錆びついたアンテナに止まっていた鴉が一声鳴いて飛び立つ。

 そこで茅野がブロック塀の向こうを覗き込みながら小声で言った。

「玄関前に誰かいるわ」

「ほんとだ」

 桜井が小声で返した。

 生い茂る庭木や雑草の枝の隙間から、玄関前に立って背を向ける男の姿がうかがえた。

 ポロシャツにすね丈のパンツ、サンダルといった格好で、歳は二十歳前後に見えた。

「初手で行っていい?」

「待って、梨沙さん。相手の出方を窺いましょう」

 と、茅野はいつも以上に士気の高い桜井をいさめた。

 その直後、二人は何食わぬ顔で門の中へ足を踏み入れる。

 玄関前に立っていた男が振り向き、怪訝けげんな顔をした。

 そして、男が口を開く前に、茅野は機先を制する。

「どちら様ですか?」

 すると、男が質問を返してきた。

「こ、是枝さんですか? もしかして……」

「ええ」

 茅野はいけしゃあしゃあと首肯し、質問を重ねた。

「貴方は?」

 そこで男が深々と頭を下げる。

「この度はすいませんでしたって、お爺さんに言ってください!」

 何とも言えない表情で、桜井と茅野は顔を見合わせる。

「それから、これはお借りしていたものです!」

 男はポケットから何かを取り出し、それを茅野の手に握らせた。

「お爺さんに渡していただけますか?」

 茅野は、その自らの手の中のものを確認した。それは、何の変哲もない交通安全のお守りであった。

「解りましたけれど、これ何ですか?」

「お爺さんに聞いてください」

 男が二人の横を通り抜け、足早に門の外へと出ようとする。茅野が呼び止める。

「待ってください。お名前をうかがいたいのですが……」

 男は立ち止まり、少し逡巡した様子で考え込んでから口を開いた。

村上剛むらかみごうです」

 名を名乗り、お辞儀をすると、今度こそ男は足早に門の外へと向かった。そのまま左方向へ姿を消した。

 桜井は狐に抓まれたような顔で茅野に問う。

「ねえ。今の何だったの?」

 茅野は肩をすくめた。

「さあ」

 そして、ポケットの中に男からもらったお守りをしまい込む。

「……まあ、この件については、後で考えましょう。そんな事より今は……こっちよ」

「だね」

 二人とも是枝の家へと向き直る。

「それにしても、ドアノブは壊れているし、人が住んでいる様子はまったく見られないけれど……」

「そだね」

 と、桜井が茅野の言葉に同意を示してから疑問を呈する。

「……さっきの男の人が言ってた“お爺さん”って、是枝充の事かな?」

「まだ何とも言えない」

 と、茅野が言って、玄関左横の郵便受けに差し込まれていた封書や葉書の束をあらため始めた。

「どんな奴なんだろうね。その是枝って」

 その桜井の質問に茅野は答える。

「何にせよ、ろくでなしである事は間違いないでしょうね」




 二〇〇四年十月二十三日。

 そこは古びた畳の六畳間だった。その薄暗い湿った空間で、壁に掛かった振子時計の針が、もうすぐで十七時五十六分を指そうとしていた。

『ああ……楽しみ。あの三人は、最高の作品になるわあ……』

 その固定電話の受話器から聞こえてきた言葉を耳にした男は、呆れ顔で鼻を鳴らす。白髪混じりの長髪で、歳の頃は五十くらいの痩せた男だった。

彼は皮肉めかした調子で言う。

「自ら手塩にかけて育てた子を喰らうとは……恐ろしい女だ」

 この男こそが是枝充であった。

 そして、電話の相手は阿武隈礼子。

 是枝が知る限りでは彼女は最強の呪術師で、特に呪具製作に於いては他の追随を許さない腕前を持っていた。

 是枝は彼女の力を借りて両面宿儺を製作し、祟り神として祀りあげ、強大な呪いの力を制御しようと目論んでいた。

 そのための試験として、彼は逗子の山中に眠っていた物部天獄作の両面宿儺の右腕を、特殊な儀式を用いて大津神社に祀られていた神とすげ替える事に成功した。

 現在、宿儺の右腕は、阿武隈礼子の作りあげた封印によって神社の社殿で静かに眠っている。そして、その力は丑の刻参りの儀式で誰にでも容易に引き出す事ができていた。

 両面宿儺は本来ならば存在するだけで周囲に様々な災厄を引き起こす。それは右腕だけとはいえ変わらないはずだった。しかし、その兆候は今のところ見られない。

 この方法を使えば本当に世界を変える力を手にする事ができる。是枝は興奮していた。

 しかも、これから阿武隈が製作しようとしているのは、通常の二体の木乃伊ミイラを材料にした両面宿儺ではなく、三体の木乃伊を使ったより強力なものだった。

 しかも彼女は、その最悪の呪物の材料に、自分が手塩にかけて育てた子供たちを使おうとしていた。

『あの子たちは、私の子供じゃないわ。でもね。あの三人は両面宿儺となったとき、そこではじめて他の作品たちと一緒に、この阿武隈礼子の子供となる事ができるの。そして未来永劫、阿武隈礼子という存在の偉大さを伝え続けるのよ!』

「相変わらず、イカれてるな」

 と、是枝が受話器を耳に当てたまま苦笑した。そのとき、時計の針が十七時五十六分を指す。

 すると、周囲にある家具や襖、障子戸などが小刻みに揺れ始めた。

「……な、何だ!?」

 じきにそれは大きな揺れとなった。



 揺れが収まり、片膝を突いていた是枝は立ちあがり、室内を見渡した。

 彼の住居のある大津市は震度五弱だったので、そこまでの大きな被害はなかった。棚の上のペン立てや卓上カレンダーなどの小物が倒れた程度だった。

 天井の真ん中では蛍光灯が未だに激しく揺れ動きながら笠に溜まった埃を降らせている。

 是枝は恐る恐る台の上からぶら下がったままの受話器を握り語りかける。

「阿武隈……?」

 返答はない。

「おい! 阿武隈!」

 何も聞こえてこない。

「おい……おい!」

 返事はない。

 是枝は慌てて受話器を戻すと、畳の上に転がっていたリモコンを拾った。すかさず、テレビに向けて電源を入れる。

 すると、そこで、先ほどの地震が思った以上に規模の大きなものであった事を知った。

「嘘だろ……」

 是枝は、この地震が宿儺の右腕によって引き起こされたのではないかという疑念を抱く。しかし、ニュースを見る限り震源は遠く離れた地だ。やはり、宿儺の呪いと地震の発生に因果関係はなさそうだ。

 しかし、嫌な予感がした。

 是枝はもう一度固定電話へと視線を移し、連絡の途切れた阿武隈礼子の身を案じた。そして、彼は駆け出す。靴を突っ掛けて家から飛び出し、門から外に出ると、道を挟んで正面に広がる田んぼの畦道を駆ける。

 その向こうには、木立生い茂る丘がある。あの大津神社の丘だった。

 是枝は両側からすすきや背高泡立草などがはみ出した石段を急いで登り、息を切らせながら鳥居の前へと辿り着いた。

 境内を見渡すと、右側の狛犬が台座ごと倒れている以外に変わった様子は見られない。

「思い過ごしか……」

 そう独り言ちて、是枝は大きく息を吐いた。すると、その次の瞬間だった。

 

 どん。

 

 鈍い音がなった。

 正面の奥。

 社殿の御扉が、内側から激しく叩かれた。

 是枝は大きく目を見開きながら固まる。

 

 どん。


 再び音がして閉ざされた扉板が大きく揺れた。

 ぶらさがっていた南京錠が、がちゃりと音を立てた。

 もう、間違いない。

 あの右腕は・・・・・制御しきれて・・・・・・いなかったのだ・・・・・・・

「ああ……あ……あ……」

 是枝は唇を戦慄かせ、意味のない声を漏らす。それは恐怖の感情そのものであった。


 どん。


 扉が大きく揺れる。

 是枝は絶叫した。

 きびすを返し、再び石段を駆け降りる。背後で、ばたん、という大きな音と共に金属が爆ぜたような音がした。

 是枝は悟る。御扉が開かれた。

 逃げなくてはならない。

 どこか遠くへ。

 あの右腕の呪いが届かない場所まで。

 恐らく、あの右腕は偶然発生した地震の力を利用して封印を解き、阿武隈礼子を殺した。間違いない。

 是枝は獣のように喚き散らしながら石段を降り、畦道を走り抜け自宅に着いた。

 玄関に飛び込み、現金や通帳など簡単に手荷物をまとめると、再び急いで自宅を後にする。外へと飛び出し、かろうじて残された冷静さで扉に鍵をかけた。

 そして、門を通り抜けると、田んぼの向こうへと視線を向ける。

 真っ赤な夕焼けを背負った大津神社の丘は、まるで憤怒に燃えた巨大な怪物のように思えた。

 是枝は背筋を震わし目線を逸らす。

 そのまま右手のガレージに向かい、急いでシャッターを開けると慌てて車に飛び乗った。

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