【18】後日譚
二〇二〇年九月二十日。
この日の朝、国会議員の湯崎瀬緒は起床すると朝食を済ませ、所属政党本部で行われる政策勉強会に出席した。
それから議員会館内の事務室で、時間まで雑務をこなす。
このあと昼頃に新幹線で地元まで戻り、支援者などと
その電車時間までにどうにか作業を終わらせようと、キーボードを懸命に叩いていると、内線のインターフォンが鳴った。手を伸ばして受話器を耳に当てる。
すると、どうやら来客が来ているらしい。
湯崎は首を傾げスケジュール帳を確認するが、この日のこの時間にアポイントは入っていない。
一応、誰なのか聞いてみると警察庁の穂村という者らしい。
どうも、取り急ぎ耳に入れたい事があるという話だった。
心当たりがなかったので、帰ってもらおうかと思ったが、次に受話口から聞こえてきた言葉に湯崎は大きく目を見開く。
『何でも、クダンサマ? について、話があるとか……』
湯崎は穂村を部屋に通すように言って受話器を置いた。
現れた男は、銀縁眼鏡の神経質そうな顔立ちの男だった。
入室した彼と応接のテーブルを挟んで向かい合う。
名刺を見るに“特定事案対策室”という部署に所属しているらしい。
あまり詳しい事は知らなかったが、警察庁に常識では考えられないような事案への対策を専門とする者たちがいるという話を聞いた事があった。
たぶん、この穂村の所属する部署が、それなのだろう。
そして、わざわざ、この場にやって来たという事は、クダンサマゲームについて、すべて知っているに違いない。
湯崎はそれらの事を瞬時に悟る。
しかし、彼女はいっさい取り乱す事なく、言葉を紡いだ。
「……それで、要件は何でしょう? 電車の時間があるので、手短にお願いしたいのですけど」
彼女が落ち着いている理由。
それは、この国の法律では、呪いや祟りなどは存在しないものとして扱われるからだ。
すなわち、呪いの儀式で人を殺したとしても、殺人罪にはとえないという事になる。
いくら状況が不自然極まりなくとも、呪いで死んだ犠牲者と、術者が行使した呪いの儀式についての因果関係は存在しないものとされる。
だから、この穂村の来訪目的は、せいぜい単なる注意喚起か警告……恐らく、その程度であろう。湯崎はそう判断した。
そして、穂村の第一声は、その予想を大きく外れたものではなかった。
「……実は、あなたが大神町で行った儀式についてですが……」
「何か問題でも?」
「いえ」
穂村が小さく首を横に動かした。
湯崎は強気に、いっさい悪びれる事なく、罪悪感などまるで感じられない調子で、言葉を続ける。
「……確かに、私は子供たちにクダンサマを呼び出す儀式を教えました。そして、その子供たちは死にました。でも、それが何なんですか?」
呪いや祟りで何人死のうが、それはこの国の法律では偶然とされる。何も問題はない。
「あれは、痛ましい事でしたけど、すべて偶然です。呪いや祟りなんか存在しません」
「ええ。ですが、あなたが、あの儀式を行った事は間違いありません」
穂村が淡々とした口調で言葉を返した。
湯崎は更に捲し立てる。
「……だから、いったい何なんですか!? もう一度言いますが、この国に、呪いや祟りといったものは存在しないんです! もしも、おかしな事を言い触らして回るようなら、こちらにも考えがありますからね!?」
すると、穂村はどこか面倒臭そうに、溜め息を一つ吐き出した。そして、湯崎を真っ直ぐに見据えながら口を開く。
「言いたい事は、それだけですか?」
「な、何なのよ?」
「なら、こちらも暇ではないので、手短に本題へと移らさせていただきますが、昨日ある案件の調査に当たっていた担当官が、阿武隈礼子の元住居へと立ち入りました」
“阿武隈礼子”の名前が出たとたん、湯崎の顔色が一気に青ざめる。
穂村は構わず話を先に進めた。
「……そこで発見された組木細工の箱の中に、あなたの名前が記された札と、人のものと思われる毛髪が発見されました。今日は、ただ、それをお伝えしにきました」
「……ああ、待って。あなた、あの箱を開けたの?」
「ええ。そのようですね」
あの箱を暴かれたとき、儀式を行った者は代償を支払わなければならない。
穂村の顔色は変わらない。しかし、湯崎は一気に平静さを失い、明らかにうろたえていた。
「……一応、こちら側の慣例として、
穂村は立ちあがる。
「待って……待って! 待ちなさい!」
退室しようとする穂村を必死の形相で止める湯崎。
彼はドアノブに手を掛けたところで足を止めて振り返る。
「何か?」
「あなたたち、何て事を……」
「それが、私たちの仕事ですので」
あくまでも冷静な穂村に向かって、湯崎は叫び散らす。
「この! 人殺し!」
すると、穂村は冷静な口調で言い放つ。
「
「あ……あああ……」
膝から崩れ落ちる湯崎。
「それでは」
そんな彼女に背を向け、穂村は事務室をあとにした。
この後日だった。
国会議員の湯崎瀬緒の変死体が自宅で発見された。
その彼女の顔は酷く恐怖に歪んでおり、身体の八ヵ所に漢字の“牲”に見える
しかし、それらはすべてなかった事にされ、死因は心筋梗塞であると公表された。
同日、二十日の昼過ぎだった。
県警庁舎の使われていない会議室での事だった。
「ごめんなさい」
「すいませんでした」
背筋をピンと伸ばした桜井と茅野。
その表情は真剣そのもので、靴を脱ぎ、椅子の上で正座をしている。
そして、楕円のラウンドテーブルを挟んで、その対面に座るのは怒り心頭といった様子の篠原であった。
「まったく。あなたたちは……」
説教である。
さしもの二人も、これは茶化してはいけない雰囲気であると悟ったらしく、この日は大人しかった。
篠原の隣では、九尾が気まずい笑みを浮かべている。
さておき、篠原の叱責に、まるで普通の女子高生のような顔で耳を傾け続ける桜井と茅野。
そして、九尾の中で、だんだんと二人が可哀想になりかけてきた頃だった。
篠原が何かを諦めた様子で、深々と溜め息を吐いた。
「……で、あなたたちが、今解っている事を教えて欲しいんだけど」
すると、茅野が待ってましたとばかりに、テーブルの上の鞄から古びた封筒を取り出す。
「ええっと、宿儺の右腕は、大津町にある大津神社にあるわ。この手紙の送り主である是枝充という人物が言っている事が正しいなら、ある程度、呪いの力をコントロールできているらしいわ」
九尾は篠原と顔を見合わせてから口を開いた。
「それは、本当なの? 循ちゃん……」
「ええ」と、首肯する茅野。
続けて桜井が声をあげた。
「……それで、あたしたち、あのあと、その是枝って人の家に行ってみたんだ」
そうして、二人は自分たちが是枝充の家で目にした事のすべてを語り始めた。
(了)
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