【17】シリアス


「……たぶん、この人の言ってる事に嘘はないと思います」

 九尾が組み伏せられた一男を見ながら言った。

「ここには、やはり宿儺の右腕はありません」

「まあ、それなら、一安心ですけど……」

 しかし、この場所は、あのhogと並び称される呪具クリエイター、阿武隈礼子のテリトリーである。

 宿儺の右腕がなくとも、とんでもない呪物が眠っている可能性は高い。やはり、あの二人を止めなくてはならない。ろくでもない事が起こる前に……。

 すぐにでも後を追いたいところであったが、そうもいかなかった。状況は思ったよりも厄介である。

 まず、茅野の使っているナイロン製の結束バンドは、腕力だけで外す事は難しいが摩擦熱に弱く、意外にもろい。

 手錠は一つしか持ってこなかったので、一男たちを放置して奥に向かうには抵抗があった。

 かといって、九尾を残して自分が奥へ行くのも不安が残る。もちろん、自分が残って、彼女にあの二人を追わせるのは問題外である。

 そういった諸々もろもろを加味した篠原は、けっきょく一男たちを連れて、いったん引き返す事にする。そこで、応援を呼ぶつもりだった。

 あの二人の安否は気掛かりであったが、ここで木乃伊ミイラ取りが木乃伊になってしまっては洒落では済まない。

 一男と一子を立たせて、銃を向けて歩かせる。そうして、梯子の部屋まで戻った。

 すると、目を覚ました二男が床に落ちていた斧で、結束バンドを切断しようともがいていたので、銃を突きつけ、すぐに止めさせた。

 それから、いったん電波の届く地上へと出ると、スマホで応援を呼んだ。

 再び地下へ戻り、梯子のある部屋で応援を待つ事にした。

 そうしている間にも、あの二人が厄介な事をやらかさないか、篠原は気が気でなかったが、九尾は意外にも落ち着いていた。

「心配ではないんですか?」と尋ねると、九尾は苦笑する。

「……あの二人は無茶苦茶な事は確かですけど、案外、慎重ですから。少なくとも無鉄砲ではないです」

「慎重ぅ……?」

 と、いまいちピンと来ない様子の篠原に向かって、九尾は言った。

「そうでなければ、あれだけ危険な心霊スポットに凸を繰り返して、今まで生きていられる訳がないじゃないですか」

「ああ……まあ」

 これには、かなり納得できた。

 やはり、九尾は自分よりもあの二人との付き合いが長い分、理解も深いらしいと篠原は実感した。

 それは、ほんの少しだけではあるが、羨ましくもあり……。

「……今まで苦労されたんですね、先生」

 憐憫れんびんの情も抱く。

 九尾はなぜ同情されたのか解らず、きょとんとした表情で首を傾げる。

 それから、一男たちにもう一度宿儺の右腕のありかについて尋問をしてみるも、やはり答えるつもりはないようだった。

 一子は口を閉ざし、二男は拒絶の言葉を繰り返し、一男は煽り立てるばかりであった。

 そうこうするうちに時間が経過し、そろそろ

応援が到着しようという頃合いであった。

 梯子の部屋から奥へ続く扉が、おもむろに開いた。

 あの二人が戻ってきたのか。篠原と九尾の視線が、扉口に集まる。

 その向こうから顔を覗かせたのは……。

「あのー、す、すいません……」

 ペンライトを手にした見知らぬ女だった。恐る恐るといった様子で、扉口から室内をのぞき込んでいる。

 篠原は九尾と顔を見合せてから、その女に素性を問うた。

「あなた、誰?」

「あの……その、あっ……」

 その女は、拘束された一男たちを見るなり、気まずそうに顔を引きらせた。

 一子と二男は黙ってうつむき、一男は舌を打ってから視線を逸らす。

 すると、女は国枝美春と名乗り、次のように述べた。

「……えっと、その、私、その人たちに監禁されてて」

 一男が鋭い目つきで彼女を睨む。

 国枝は「ひっ」と小さな悲鳴をあげて怯んだ。しかし、篠原に「続けて?」と促され、話を再開する。

「えっと……その、私、この奥で監禁されてたんですけど、変な二人組に助けられて……このペンライトも、その二人にもらったんですけど。それで、こっちの方に行けば、警察の人がいるって教えられて……」

「私が、その警察だけど……」

 と、篠原は呆れた様子で言って、大きく溜め息を吐いた。

 九尾が恐る恐る尋ねる。

「あの、その二人組は……」

「何か『帰る』って言って、奥にあった出入り口から出て行きました」

「奥にあった出入り口ぃい……?」

 そのときの篠原の顔がよほど酷かったらしい。

 国枝は若干、脅えた様子で「あ、はい、ええ、この奥に……」と、扉口の向こうに延びた廊下を指差して言う。

「地上に出る梯子があって、私もそこから出ようとしたんですけど、警察の人がいるからこっちに行った方がいいって言われて……」

 きっ、と、一男を鋭く睨みつける篠原。

 すると、彼はその剣幕に戸惑いながらも声をあげた。

「……ああ。ここの他にも、奥にもう一つ出入り口がある」

「もう、勘弁してよ……」

 篠原は左手で頭を掻きむしった。





 斜面を覆う熊笹の藪がガサガサと揺れ動く。

 そこから、ひょっこり顔を出したのは桜井梨沙であった。

「いやあ……久々のシャバだ」

 などと、冗談めかした調子で言いながら立ちあがり、数歩だけ横にずれる。

 そして、桜井が姿を現した場所から、次に顔を覗かせたのは茅野循であった。

「しかし、もう一つ出入り口があっただなんて幸運だったわ」

 そこは阿武隈邸を正面から見て、例の蔵があった場所とは母屋を挟んで反対側に位置する斜面の藪の中だった。

 国枝が篠原たちに語った“もう一つの出入り口”が、ここに通じていた。

 因みにこの位置からは、二階の窓の高さまで土砂で埋まった母屋の裏手がよく見通せた。そして、建物が全体的に前方へ微妙に傾いているのが解る。

 それはさておき、二人は藪の斜面を慎重かつ速やかに降り、山肌と川の間に横たわる車道へと出た。

 そして、阿武隈邸の正面門へと続く石段の前に停めた、銀のミラジーノに乗り込む。

 桜井はエンジンを掛け、サイドブレーキを下ろすと、器用なハンドル捌きでUターンをして車を発進させる。

 そして、村の中心部へと続く細い橋を渡ったあとだった。

 桜井が悪戯っぽい笑みを浮かべてほくそ笑む。

「……篠原さん、怒るかな?」

「まあ、怒るでしょうね」

 助手席で茅野がスマホに目線を落としながら言った。

 あの地下空間を探索中に、もう一つの出入り口を発見したとき、篠原と九尾を置いて先に帰ろうと提案したのは茅野である。

 その理由は、一男の私室で見つけた一通の手紙にあった。

 レターラックの中にあった、その封筒を見つけた桜井は目ざとくある事に気がついた。

 それは消印に記された郵便局支部名が“大津”

 彼女たちが住んでいる藤見市から在来線で五駅ほど離れたところにある町の名前であった。

 そして、その手紙の内容は……。

「まさか、阿武隈は自ら製作した両面宿儺を祟り神として奉りあげようとしていたなんて……」

 その前段階の試験として、逗子から持ってきた両面宿儺の右腕を、ある神社の御神体とすげ替えたのだという。

 そこは長年放置されて忘れさられ、完全に力を失っていた廃神社であった。

「……まさか、あの神社の名前がここで出てくるなんて、なかなか面白い偶然だね」

「そうね」

 と、茅野は頷きながら思った。

 もしかすると、自分たちは知らないうちに招かれていたのかもしれない……。

 その神社とは大津神社・・・・

 丑の刻参りが今も行われ、本物の呪いの力が宿るとされる心霊スポット。

 去年の六月の初め頃に桜井と茅野は一度だけ、くだんの神社を訪れていた。

 これから、事の真偽を確かめるために、その手紙の送り主の元へと向かうつもりだった。警察よりも早く……。

是枝充これえだみつる……いったい、どんな人物なのかしら……?」

 彼の連絡先の電話番号と住所は手紙の末尾に記載されていた。

 どうやら、あの神社に近い場所に住んでいるらしい。

これは・・・私たちの事件よ・・・・・・・

 その言葉を吐きながら、獰猛な笑みを浮かべる茅野。

 無敵の親友を一度だけ奈落の底に突き落とした元凶。その根源。

 このまま他人の手に委ねる事などできはしなかった。

 そして、彼女の口から漏れた言葉に、桜井は首を傾げる。

「循……それって、どういう意味?」

「梨沙さん……」

 そこで、茅野は一つだけ深呼吸をすると、いつになく真面目な調子で語り始めた。

 三年前の事故の真相と、一年前の夏の杉本奈緒についての出来事を――。

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