【16】憎悪の育成


 そこは一見すると古めかしい調度品の並んだ立派な書斎だった。

 しかし、入り口から左手の壁一面をしめる本棚の前の書斎机は傷だらけで、向かって右手にあるランプシェードは支柱に添え木がしてあった。

 値の張りそうな絨毯じゅうたんを明かりで照らし、つぶさに観察すれば擦れたあとや穴が散見された。

 何よりも異様であったのは、入り口から正面奥にある応接の周囲だった。そこにはゴミをまとめたと思われるビニール袋が無数に転がり、白御影石を使った大きな座卓の上には空ペットボトルが林立していた。そこに埋もれるように鈍色にびいろ燭台しょくだいが置いてある。

 その手前のソファーの上には衣服や下着が積み重なっていて、奥の壁を背にして置いてある革張りの長椅子には捲れあがった毛布が乗せられていた。明らかに、誰かが生活していたような形跡が見られる。

 右側の壁際に置かれた棚の上にも、こうした書斎には似つかわしくないような、生活用品が乱雑に置かれている。

 その上部の壁に掛けられている振り子時計は、文字盤の硝子こそ割れていたが、しっかりと正確な時を刻んでいた。

「……かなり、奇妙ね」

「だね。今までのスポットにはないふんいきがある」

 桜井と茅野が辿り着いたその部屋は、阿武隈礼子のかつての書斎を再現した一男の私室であった。

 二人は慎重に入り口から室内へと足を踏み入れる。

「……本棚に並んでいるのは……魔術とかオカルト関連のものが多いけれど……ノートもあるわ」

 茅野が本棚の隅に差してあった数冊のノートの中から一冊を抜き取って開いた。ノートの表紙は泥で汚れており、中のページの端にも茶色い染みがあった。

「何か魔術や呪術に関する事らしいけれど、専門的過ぎてよく解らないわね……」

 茅野は眉間にしわを寄せながら、ノートを捲っていった。

 一方、桜井はというと奥の散らかった応接の周囲を見渡して悲しそうな顔をする。

「コンビニ弁当ばかりだと身体を壊すよ……」

 それから、しばらくの間、茅野はノートをあらためて、桜井が室内をスマホで撮影し始める。

 そして、数分後。

「梨沙さん……ちょっと、これを見て欲しいのだけれど」

 そのとき、書斎机の上にあった木製のレターラックをのぞき込んでいた桜井が顔をあげた。

「どしたの?」

「なかなか、興味深いものを見つけたわ……」

 茅野が手にしていたノートを書斎机の上に開いて置いた。

「どれ」

 桜井がその湿気でたわんだ紙面に視線を移す。

 すると、そこには鉛筆書きのしなびた人間の右腕のスケッチと、細かい文字で何らかのメモが書き込まれていた。

「循……これは……」

「どうやら、例の右腕に関する研究レポートみたいね」

「おお……じゃあ、りょーめんすくなの右腕はやはりここにあった事は間違いないんだね」

「ええ。そして、なぜ、阿武隈礼子が右腕を欲したのか、なぜ、彼女が虐待されていた子供を集めていたのか、だいたい・・・・わかったわ・・・・・

「おお」

 桜井梨沙は知っていた。

 この言葉が彼女の口から出たという事は、彼女が本当にだいたいの事を解ったときであるという事を……。

「で、けっきょく、どゆことなの?」

 桜井に促され、茅野は確信に満ちた口調で言葉を発する。

「……まず、右腕を欲した理由だけれど、これは、このノートを見る通りで、阿武隈礼子は単純に両面宿儺の製法が知りたかったんじゃないかしら?」

「ああ。物部なんちゃらさんが死んでりょーめんすくなの製法は失われたとか言ってたね。九尾センセ」

「そうね。彼女は何か大きな災厄を引き起こしたかったのか……それとも、単に呪具製作者としてチャレンジしたかったのかは解らないけれど、彼女は両面宿儺を自分の手で作るつもりだった。しかし、その製法は自分で推測するしかなかった」

「で、どうしても、その製法が解らなかったから、本物をこの目で見てみようと思ったって事? 本体全部は手に余るから、右腕だけにしたと」

「恐らく、そうよ」

 と、桜井の見解に同意を示す茅野。そして、話題を次に移す。

「で、例の三人が、ここに連れて来られた理由だけれど……」

「それも、この右腕と関係があるの?」

 桜井の言葉に、茅野は首肯を返す。

そうね・・・恐らく・・・阿武隈礼子は・・・・・・あの三人を両面宿儺・・・・・・・・・の材料にしようと・・・・・・・・していたのよ・・・・・・

「でも、それなら、何であの三人を大切に育ててたの? りょーめんすくなの材料になるのは、強い怨みを抱いて死んだ人のミイラなんだよね?」

「そうね」

「だったら、何で……」

単純よ・・・阿武隈礼子は・・・・・・あの三人を・・・・・裏切るつもり・・・・・・だったのよ・・・・・

 そう言って、茅野はノートの頁を一枚捲った。

 すると、そこには三体の木乃伊の各部位を切断し、繋ぎ合わせる過程を記したスケッチが描かれていた。

「うわ、まじか……」

 それを見た桜井は、流石にどん引きした様子で眉間にしわを寄せた。

「大切に育てて……大切に育てて……完全に信用を得たあとで、真実を明かして盛大に裏切る。そうして、より強い憎しみを抱かせる。すべては両面宿儺のために……」

「まぎれもない、腐れ外道だね」

「そうね。たぶん、あの大神町のクダンサマゲームも、阿武隈礼子の手によるもので確定ね。この人を人と思っていない感じ……よく似ているもの。まったく、恐ろしい」

 と、茅野は何一つ恐ろしいと思っていなさそうな顔で言った。 

「でも、正義の味方としては、腹パンしてやりたいよね」

 きりっと眉を釣りあげ、真面目な顔で言う桜井であったが、単に腹パンしたいだけなのは明白であった。

 ともあれ、茅野は苦笑して肩をすくめた。

「まあ、当人は、もう死んでいる訳だけれど」

「あ、そだ」

 と、桜井が両手を、ぽん、と叩いた。

「何かしら? 梨沙さん」

 茅野が聞き返すと、桜井は机の上のレターラックの引き出しを開けた。

「ここに、おもしろそうなものがあったよ」

「面白そうなもの?」

 茅野は首を傾げる。

 引き出しの中には古びた手紙がいくつか入っていた。




 二〇〇四年十月二十三日。

 壁に掛かった振子時計の針は、もう少しで十七時五十二分になろうとしていた。

 阿武隈礼子は書斎机の上に置かれた黒電話の受話器を手に取って耳に当てた。

 机の上に広げた便箋びんせんに視線を落としながら、人差し指で古めかしいダイヤルを回す。

 すると、しばらく呼び出し音が続いた。

 その間、手持ち無沙汰だった礼子は、肩と首で受話器を挟み、両手で便箋を折り畳むと、それを封筒に戻してレターラックの引き出しに入れた。

 その引き出しを閉めたところで通話が繋がる。

 定型的な挨拶を済ませたあと、礼子は話を切り出した。

「そうそう。手紙、読んだわよ。実験は上手くいったみたいね」

『ああ……』

 と、電話の相手が答えた。低い男の声だった。

『この方法を取れば、宿儺の呪いをある程度は制御可能だ』

「そう。なら、そろそろ頃合いかもしれないわね」

 礼子は受話器のコードを人差し指に絡めてほくそ笑む。

 茅野は、阿武隈礼子が宿儺の右腕だけを欲した理由について、その製法を調べるためであると推理したが、それだけではなかった。

 阿武隈礼子と電話相手の男の最終目標は、両面宿儺を自分たち・・・・・・・・・で製作し・・・・その力を完全に・・・・・・・制御する事に・・・・・・あった。・・・・

 製法を調べる以外にも、その制御方法を実験するために宿儺の右腕は使用された。

「……明日、二男の誕生日なの。ちょうどいいから全部、話そうと思うわ」

 そう言って、礼子はまるで悪戯を企む少女のように微笑んだ。

 そして、想像する。

 自分たちが呪物の材料になるために育てられていた事を知った三人の顔を……。

 絶望、恐怖、怒り。

 きっと、あらゆる負の感情がないまぜになっているに違いない。

 それを想像するだけで身震いがして、脳が甘く痺れた。

『すぐ殺すなよ? たっぷりいたぶってからだ』

「解ってるわ」

 礼子はくすりと笑った。

 あの三人は拷問した上でとどめを刺す。

 “愛しのママ”が酷い裏切り者である事をたっぷりと解らせる。

 そうやって、これまで三人に注いだ愛情をすべて憎悪に変換するのだ。

「ああ……楽しみ。あの三人は、最高の作品になるわあ……」

 恍惚こうこつの笑みを浮かべる礼子。

 彼女は小関紗由の前では、理不尽な世の中に変革をもたらしたいと願っていたが、そんなものは建前に過ぎなかった。

 すべては、この世のものならざる術法の実践と、それに関わる真の力を持った“作品”の製作。

 すべては、物部天獄の領域に一歩でも近づくために。

 それが、彼女の本心であった。

 全共闘運動に参加していたのも、単に力を振るうための大義名分が欲しかったに過ぎない。

『自ら手塩にかけて育てた子を喰らうとは……恐ろしい女だ』

 その男の言葉を阿武隈は鼻で笑い飛ばす。

「あの子たちは、私の子供じゃないわ」

 自分の本当の子供は、気まぐれで産んだ麗菜と、これまで作りあげた数々の作品のみ。

 それが、彼女の本音だった。

「でもね。あの三人は両面宿儺となったとき、そこではじめて他の“作品”たちと一緒に、この阿武隈礼子の子供となる事ができるの。そして未来永劫、阿武隈礼子という存在の偉大さを伝え続けるのよ!」

『相変わらず、イカれてるな』

 男が電話の向こうで苦笑した。

 同時に時計の針が十七時五十六分を指す。

 その瞬間、部屋にあるすべての物が小刻みに震え始めた――。

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