【13】本当のピンチ


「両面宿儺ですってぇ!」

 茅野が興奮した様子で声をあげる。何も知らない者がこの場に居合わせたとしたら“リョウメンスクナ”という名前の男性アイドルがいて、茅野はその熱烈なファンなんだろうなと勘違いしたであろう。

 それはさておき、桜井が首を傾げる。

「りょうめん……すくな……?」

 これに答えたのは九尾であった、

「両面宿儺は強い怨念を抱いて死んだ二体の木乃伊ミイラを繋ぎ合わせた最悪の呪物よ。そこにあるだけで、周囲にありとあらゆる災厄を引き起こすとされているの。循ちゃんは知ってるだろうけど、元は呪術の実践に重きを置いた活動で知られる“天傀教”という団体の教祖、物部天獄が作りあげたとされているわ。その製法は彼の死と共に失われたんだけど」

「ふうん、超こわいね」

 桜井がまったく怖くなさそうな調子で言った。

 すると、茅野は補足する。

「両面宿儺の名前の元ネタは、一六〇〇年前、飛騨に現れたとされる鬼神の事よ。双頭で手足が二組ずつあったとされているわ」

「鬼神……強そう」

 桜井が戦闘者の眼差しで言った。いつもの事なので茅野は特に取り合わず話を続けた

「日本書紀においては武振たけふるく熊命まのみことに討伐された凶賊とされているけれど、岐阜県の在地伝承では毒龍を退治したり、寺院などを作った豪族であるとの逸話も残されているわ」

 そこで篠原が話を本題に戻した。

「……それで、ちょっと前に、某所から物部天獄にゆかりの深かった人物の手記が発見されたんだけど、そこに物部が作りあげたという、二体の両面宿儺のうちの一体の隠し場所が記されていたの」

「二体? もう一体は?」

 その桜井の質問に九尾が答える。

「昭和四十年頃、運搬中の船ごと、九州の西の海に沈んだわ」

「かいようおせん……」

 桜井が微妙な表情で言った。そして、篠原は再び話を再開する。

「それで先月、九尾先生と警察関係者が、その手記に書かれていた場所へ向かったんだけど、そこにあった宿儺は、右腕が一本だけ切り取られていたの」

「その右腕を探して、この牛首村へとやってきたのね?」

「ええ」

 と、首肯する九尾。すると、篠原が二人の顔を見渡してから声をあげる。

「……私たちの事情は、こんなところよ。それで、あなたたちは、なぜ、ここに?」

 桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合せた。

 いぶかしげに表情を曇らせる九尾と篠原。

「……ど、どうしたの?」

 と、九尾が尋ねると、桜井はさも当然とばかり言う。

「それは、この前の大神町の一件だよ」

「大神町の?」

 篠原も大神町のクダンサマゲームについては九尾経由ですでに報告を受けて把握していた。

 そして、そちらの案件は現在、いざなぎ流の陰陽師である田中太夫と別の担当官が調査に当たっているはずである。

 しかし、特に今のところ、牛首村と大神町の一件に関係があるという話は聞いていない。

 眉間にしわを寄せていると、茅野が補足を加える。

「……例のクダンサマゲームの落書きが記してある場所の一つで五頭堂という祠があるのだけれど、その中の壁代かべしろの布に、この家の家紋が記されていたのよ。それで、私たちは、クダンサマゲームの謎を解き明かすために、ここへやって来たっていう訳なのだけれど……」

「おおう……」

 九尾は頭を抱え、あまりにも不運な偶然を嘆いた。一方の篠原はどこか納得のいかない表情で茅野に尋ねる。

「……いや、ちょっと、だから、そんな壁代の布の話なんか聞いてないんだけど」

 と、言って九尾の顔を見る。

 すると、彼女は「いや、わたしも聞いてないから」と、首を横に振った。

「そりゃ、そうだよ。言ってないもん」

 桜井のその言葉に目を丸くする篠原と九尾。

 続いて茅野が片目を瞑って舌を出し、右手の握り拳をそっと頭に当てて言う。

「ごめんなさい。忘れていたわ」

 嘘である。

 呆れ返る篠原と九尾。

 実は田中太夫の方も、二日前まで福島で別件に当たっており、クダンサマゲームの調査を始められたのが、この日からであった。

 したがって、まだ阿武隈家とクダンサマゲームの繋がりに辿り着いていなかった。

「……と、まあ、私たちの事情は、こんなところね」

 茅野が話をまとめに掛かる。

「それで、この地下室を発見して中に入ってみたら、斧持ったおっさんと、この強い女の人が襲い掛かってきて……」

 桜井が床に寝そべったまま動かない一子の方を見ながら言った。

「……ところで、この人たち何なの?」

「それは、私たちが訊きたいわよ!」

 と、突っ込む篠原であった。

「……ここの主だった阿武隈という呪術師に縁のある者かしら?」

 と、茅野は思案顔で床に転がったままの一子に視線を落としたあと、九尾に向かって問う。

「そもそも、その阿武隈礼子って、どういう人物なのかしら?」

 これに答えたのは篠原である。

「一九六九年頃までは、東京で左翼運動家として活躍していたらしいわ。ただ、それ以降は、そういった活動からすっぱりと足を洗っていたようね。呪術師としての活動も休んでいたみたい。ただ、離婚を切っ掛けに再び呪具製作を再開したらしいわ」

 そこで、九尾が話を引き継ぐ。

「解らないのは、阿武隈礼子がなぜ宿儺の右腕だけを欲したのかよ」

「確かに、何で右腕だけなんだろ」

 桜井が両腕を組み合わせて難しい顔をする。九尾は更に言葉を続けた。

「……誰かを呪い殺す程度なら、宿儺の右腕を使うまでもない。阿武隈は、その手の呪具を自分で作る事ができるのだから。何かもっと大きな事をやろうとしていたのだしても、なぜ宿儺の右腕だけが必要だったのか……」

「……循はだいたい解った感じ?」

 と、桜井が問い掛けると、茅野は残念そうにかぶりを振る。

「まだ、何とも言えない」

「そかー」

「でも、取り敢えずは、宿儺の右腕を発見するのが先ね。是非とも実物を見てみたいわ」

 と、茅野が不敵に微笑んだところで、篠原が声をあげる。

「駄目よ! 宿儺の右腕は、危険なんだから」

「えー、でも探しものなら人数がいた方がいいよ」

 と、桜井が反論するも篠原は譲らない。

「あなたたちが普通じゃないのは充分に知っている」 

「なら!」と、言い掛けた桜井の言葉をせいして篠原は言った。

「でも、宿儺の呪いを防ぐ手立てを持っていないわ」

「それは、篠原さんたちも同じじゃあなくて?」

 と、茅野が声をあげると、篠原は首に掛けていた革紐を胸元から引っ張りあげる。すると、そこには鈍色に輝くメダルが吊るされていた。

「これは……?」

 と、茅野が尋ねると九尾が答える。

「かなり強力な魔除けよ。これがあれば、完全にではないけど、宿儺の呪いを緩和できる」

「じゃあ、ちょうだい」

 と、桜井が無邪気に言い放つ。

 九尾は苦笑しながら、同じ魔除けを自分の胸元から引っ張りあげて言う。

「ごめんなさい。二人分しかないの」

「ええ……」

 と、桜井が不満そうに眉をハの字にした直後だった。

 茅野が額に手を当てて、唐突に膝を突く。

「循、どうしたの!」

 桜井が茅野の元に慌てて駆け寄ろうとした。すると、糸の切れた操り人形のように脱力し、床に転がって寝息を立て始める。

 そして、茅野が緩慢かんまんに瞬きを繰り返しながら言う。

「……この眠気……私たちは……何者かに何らかの攻撃を……受けてい……」

 そこで、彼女も床に沈み込んだ。

 遅れて九尾も両膝を突く。

「不味い。これは、何かの魔術……しかも、この魔除けじゃあ、防げないタイプの……」

 そのまま、うつ伏せになって泥酔したときのように眠り始めた。

 最後まで立っていた篠原であったが……。

「嘘でしょ……」

 彼女も床にふせせる。

 すると、満面の笑みを浮かべた阿武隈一男が通路の奥の闇から悠然と姿を現した。

「どうだ! これがママの作った力だ!」

 その左手には、火の灯った“栄光の手”が握られていた。

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