【12】奇妙な優しさ
国枝麗菜が娘である美春を出産して
昼下がり、庭先に面した陽当たりのよい和室にて、麗菜は棚の上にあった固定電話の受話器を手に取り、電話番号をプッシュする。
呼び出し音がしばらく鳴り響いたあと、阿武隈礼子の声が聞こえてきた。
『どうしたの? 何かあったの!?』
酷く心配そうな声。いつもこうだった。
向こうからはいっさい連絡してこない癖に、こちらの事を気にかける態度を見せる。
麗菜はくすりと笑った。
「……何もないよ。母子ともに健康」
そう言って麗菜は、近くにあったベビーベッドで静かな寝息を立てる美春へと視線を移しながら言葉を続けた。
「昨日、病院から帰ってきたところ。美春も大人しいし、お母さん、どうしてるかなって……」
『そうなの……』
と、ほっとした様子の礼子だったが、すぐに小言を口にする。
『でも、駄目よ? 美春から目をはなしちゃあ。赤ちゃんなんか、すっごく弱いんだから、ほんのちょっとした事で……』
「はいはい、解ってるから」
麗菜は彼女の言葉を
美春が誕生した際に、麗菜の父親が礼子に連絡を入れてくれたらしい。彼女は電話口で泣いて喜んでくれたのだという。
しかし、礼子が母子の元へ面会に来る事は一度もなかった。
思い返してみれば結婚式のときもそうだった。麗菜は招待状を送ったが、礼子は欠席の返事をよこした。
そもそも、なぜ彼女は父と離婚して自分の親権を手放したのかも、麗菜はよく解っていなかった。
以前、酔った父親に彼女となぜ離婚する事になったのか、尋ねた事があった。
すると、彼は困り顔でずいぶんと考え込んだあと、こう答えた。
『……お前のお母さんは、
このときは、さっぱり意味が解らなかった。
「……ねえ」
麗菜は電話口の向こうの礼子に向かって尋ねる。
「お母さんは、何で、お父さんと離婚したの?」
沈黙。
明らかに礼子は何と答えるべきか、
麗菜はじっと耳を済まし答えを待った。
すると、その途端、唐突に美春が大声で泣き始めたではないか。
受話口から、くすくすと礼子の笑い声が聞こえた。
『じゃあ、そろそろ切るわね。頑張ってね?
麗菜も微笑んで「うん」と相づちを打った。
『それじゃあ、
そう言って、礼子の方から通話を切った。
これは、彼女へと電話をすると、いつも言われる事だった。意味はよく解らない。
麗菜は何とも言えない表情で受話器を置くと、急に泣き出した娘の元へと向かった。
篠原が九尾と共に梯子のあった部屋をあとにして先に進むと、茅野が桜井にしばき倒されたらしい大女を結束バンドで拘束していた。
篠原は糞でかい溜め息を一つ吐いて、二人に声をかけた。
「あなたたち!」
声をあげた途端、二人は一斉に視線を向けてきた。
「お、九尾センセと、篠原さんじゃん」
桜井が街中でばったり出会ったときのような声音で言った。茅野が続く。
「あら。こんなところで奇遇ね」
「白々しい……」
と、九尾は吐き捨てて苦笑した。
そして、二人の元に詰め寄る。
「あなたたち、どこで右腕の情報を……」
と、言うと、桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合せ、首を傾げる。
「右腕って……?」
桜井がきょとんとした表情で問い返してきた。
「何の事かしら?」
茅野もまったくピンと来ていない様子だった。そして、篠原が真顔で九尾に向かって言う。
「……先生、墓穴です」
はっ、とした表情で口元を抑える九尾。こうなるともう、桜井と茅野の好奇心を止める事はできない。
「センセ! 右腕って、何なの? ねえ、教えてよ! ねえ!」
「篠原さんと一緒という事は、かなりヤバい案件なのよね? どうなのかしら? 先生、どうなのかしらっ?」
二人に両手を引っ張られ、詰め寄られる九尾。まるで、デパートかどこかで玩具をねだられるお母さんのような有り様であった。
その光景を目の当たりにして、篠原は
「先生、もう諦めて、この二人と情報を擦り合わせた方が良いと思います」
「ご、ごめんなさい……」
九尾は申し訳なさそうな顔で謝罪の言葉を口した。
そのあと、事の経緯を話し始める――。
円形の空間から、梯子のある部屋とは反対方向に延びた通路の奥だった。
その暗闇の向こうから話し込む四人の様子をじっと眺める視線があった。
三兄妹の長兄である阿武隈一男だった。
私室で眠りについていた彼であったが、微かに聞こえてきた物音で目覚める。
それは、桜井梨沙と阿武隈一子が奏でる戦いのメロディーであった。
一男は侵入者かと、戸棚の中に隠してあったS&Wの五連発式リボルバーを片手に駆けつける。すると、ちょうど桜井梨沙が阿武隈一子を膝蹴りで沈めたところだった。
その光景を目の当たりにした一男は驚愕する。
三兄妹の中で、もっとも戦闘能力の高い一子が沈められた。しかも、小柄な少女によって……。
三兄妹でいちばん力が弱く臆病な一男は、すっかり怖じ気づいてしまった。
確かに銃は持っていたが、拳銃の射撃というのは案外難しく、よほど近づかない限りは確実に当たると言い切れない事を、彼はこれまでの経験則からよく知っていた。
かといって、これ以上、距離を詰めれば相手に気取られるかもしれない。
銃を見て怯んでくれれば、まだよい。
しかし、もしも逃げ出されたら自分の腕では仕留め切れないであろう事は充分に予測できた。たった一人ならまだしも、相手は二人。どちらか片方を取り逃す可能性はかなり高い。
したがって、二男が来てくれるのを待ちながら様子を窺っていると、侵入者がもう二人増えた。
これでは、二男がいたとしても二対四である。
状況はどんどんと悪化している。
「くそっ……二男のやつ、何をやっているんだ」
小声でぼやいた一男は、頼みの綱の二男がすでに拘束されている事など知るよしもなかった。
ともあれ、このままでは
足音を立てないように、通路を引き返す――。
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