【14】形勢逆転


 一男は通路の奥から円形の空間へと姿を現す。その口元には勝利の笑みが浮かんでいた。

 本当ならば、彼は阿武隈礼子の遺産である“栄光の手”を使いたくはなかった。なぜなら、彼女は自らの製作物を“作品”と呼び、とても大切にしていたからだ。普段は一男たちにとって優しい母親だったが、自らの“作品”を粗末に扱われたときだけは、それこそ別人のように怒り狂った。

 だから、三兄妹たちにとって阿武隈礼子の遺物は、守護まもるべきものであると同時に、触れてはいけない禁忌であったのだ。

 しかし、一男は現在の局面が、その禁忌に頼らざるを得ないほど切迫していると判断し、ついに倉庫から、この“栄光の手”を持ち出したのだった。

 そんな訳で“栄光の手”を持った彼が、中央にできた大きな水溜まりを爪先立ちで横切り、まず真っ先に向かったのは妹の元だった。

 阿武隈一子は未だに目を閉じたまま動いていない。

 一男は彼女の元にそっとしゃがむと、少し離れた床に“栄光の手”を、そっと置いた。一子の頬を叩き始める。

「おい、起きろ!」

 こうやって誰かに起こされるか“栄光の手”に火が灯り続けている限り、この昏睡の魔術効果は続く。

 一子は目を瞑ったまま呻き出したがまだ起きる気配はない。

 一男は両手で一子の身体を転がしてうつ伏せにしてから、ジャケットの懐に手を入れる。

 すると、次の瞬間だった。

「……動かないで!」

 いつの間にか、一男の背後で眠っていたはずの篠原結羽が立ちあがり、両手で構えたシグザウエルの銃口を彼の後頭部に向けていた。



 篠原はわざと眠ったふりをして様子をうかがっていただけだった。

 彼女が“栄光の手”の魔術にどうにか抗う事が出来たのは、持って生まれた資質によるものだった。

 この手の事案の対処に当たる警察の担当官は、霊的な影響を受けにくい者が選ばれる。その資質は、こうした魔術や呪いなどに対しても強い抵抗力を発揮する。

 それは、九尾などが持つ霊能力とは別種のもので、限られた少数が先天的に獲得した抗体のようなものであった。

 ただ、この資質も、ある霊的な影響には強いが別な種類の霊的影響にはそれほど強くなかったりするなど、人によって様々であったりする。

「ゆっくり両手をあげて、そのまま立ちあがって!」

 篠原は鋭い声を飛ばす。

 しかし、一男はいっさい従う気配を見せない。一子の元でしゃがんだまま立ちあがろうとしなかった。

「聞こえていたでしょ? 早く! 言われた通りに……」

 一男が手をあげて背を向けたままゆっくりと立ちあがった。

 その懐から引き抜いた右手から、刃渡り十五センチほどのアウトドアナイフが床に落下する。

「そのまま壁際まで歩いて! 壁に手をついて! 早く!」

 黙って従うしかなかった。




 一男は手をあげたまま壁際まで行くと、壁に手をついた。後ろを振り向こうとすると、鋭い声が飛ぶ。

「動かないで!」

 すると、水溜まりの水が跳ねる音が聞こえた。篠原が近づいてくる気配を感じる。

 それから、手慣れた調子でボディチェックをされ、腰のベルトに挟んでいたS&Wを奪われた。からからと小さな金属音がした。装填された弾丸を抜いて床に落としたらしい。

 そのあと、一男の後頭部にシグザウエルの銃口が触れた。

「……それで、あなたたちは何者? 阿武隈礼子とは、どういった関係なのかしら……?」

 一男は含み笑いを漏らしてから答える。

「俺たちは……ママの……阿武隈礼子の子供だよ」

「子供……?」

 篠原が怪訝けげんそうな声をあげる。

「阿武隈礼子の子供は、数年前に亡くなった娘だけだと思ったけど?」

 再び一男は含み笑いを漏らす。

「違うね。ママは旦那と別れたとき、そいつを捨てた。俺たちこそ、この場所でママの愛を受けて育った阿武隈礼子の本当の子供だ」

 それから、一男は自分たちがこの家にやって来た経緯を滔々とうとうと語り始めた。

 


 篠原は銃を構えたまま一男の話に耳を傾ける。

 実の親に酷い虐待を受けていた事。

 阿武隈がいかに自分たちを愛していてくれたのかを誇らしげに語る。

 そのあまりの異常さに絶句しつつ、篠原は新たに浮上した疑問について思考を巡らせた。

 なぜ、彼ら三兄妹はこの場所に集められたのか。

 とうぜんながら、阿武隈礼子が虐待されていた彼らの境遇を見かねて保護するような慈善家だとは思わなかった。

 初めは呪術の材料にするつもりだったが、次第に情がわいたのか。篠原が、そう結論づけようとした、その瞬間であった。

 唐突に肩口の後ろから伸びてきた腕によって、銃を強引に奪い取られた。

 驚いて振り向こうとした瞬間、左側に突き飛ばされる。

 慌てて立ちあがると、その瞬間、腹を思い切り殴られた。

「うぐっ……」

 篠原は両膝を突いて、苦痛に顔を歪める。

 視線をあげると胸ぐらを左手一本で掴まれ、無理やり立たされる。 

 阿武隈一子であった。

 どうやら、一男が床に落としたアウトドアナイフで結束バンドをどうにか切断したらしい。

「……よくやった。流石は我が妹」

 一男が嫌らしい笑みを浮かべながら、彼女の右側に並んだ。

 一子は篠原の胸ぐらを掴んだまま、右手に持っていた銃を兄に手渡す。

 一男はスライドを引いて弾丸が装填されているのを確認しながら言う。

「形勢逆転だな」

 篠原は鋭い目つきで一男をめつけ、悔しそうに歯噛みした。

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