【07】阿武隈邸
九尾天全と篠原結羽が阿武隈邸前に到着する少し前。十時きっかりであった。
銀のミラジーノは、牛首村の入り口付近の杉林を割って延びる細い道を軽快に走っていた。
その最中、ハンドルを握る桜井が質問を口にする。
「……で、例の紋章が記された蔵はどこにあるの?」
助手席のサイドウィンド越しに沿道を眺めていた茅野が正面に視線を戻して答える。
「……村のいちばん奥の山沿いね。その斜面に建つ“阿武隈”という家の家紋らしいわ。例の紋章は」
「ふうん……」
「家紋は元々、戦国武将が敵味方を見分けるために用いた程度で、庶民の家もほとんど制限なく自由に決められたらしいし、公的にはまったく管理されていなかったから一概には言えないけれど、あの家紋は、かなり珍しいもので、この牛首村周辺でしか見られないらしいわ」
「ふうん……」
と、桜井は気のない返事をする。
すると、視界が開け、銀のミラジーノは杉林を抜ける。そのまま、元は農地だった藪を割って延びる道を奥へと進んだ。
「つまり、あの五頭堂にあった紋章と、その阿武隈っていう家には繋がりがある可能性が高い?」
「ええ。そして、その阿武隈という家がクダンサマゲームと深い関係があると思われるわ」
「それは、楽しみだねえ」
と、桜井は嬉しそうな顔をした。すると、茅野が悪魔のように微笑む。
「何にせよ、黒幕は相当なろくでなしに違いないわ」
そうして、二人は何事もなく阿武隈邸の前に辿り着いた。
ちょうど、同じ頃だった。
国会議員の湯崎瀬緒は公用車で移動中だった。
見栄えのするスーツに身を包み、後部座席に腰を埋め、その眼差しは膝の上に置いた議会の資料に向けられていた。
熱心に何度も読み返しながら、この国の未来に思いを馳せる……。
世界を覆い尽くす病禍の暗い影は未だに収まる気配を見せない。
コロナ感染者数は減りつつあったが、八月に入ってから、その減少傾向に歯止めが見られるようになった。
庶民には自粛疲れが見られ、与党は相変わらず頼りなく、野党は野党で足を引っ張る事しか考えていない。
やはり、この国は駄目だ。
すべての古い枠組みを根本的に変える必要がある。
そして、自分は、その力を持っている。
未来を操るクダンサマという偉大なる存在の加護を……。
この力で踏みにじられた弱者を救う救世主になるのだ。
「……そろそろ、やるか」
湯崎は資料に視線を落としたまま独り言ちる。
その言葉にハンドルを握る秘書が反応した。
「何か
湯崎は顔をあげてルームミラー越しに微笑む。
「何でもないわ」
再び視線を資料に落とした。
まだ力が足りない。
この日本を変えるための力が……。
そろそろ儀式を行う頃合いだ。
あの子供の遊びに見せかけた生贄の儀式を。
今の時代は昔とは違って、SNSが大きな発展を遂げている。上手く扱えば、より効率的にクダンサマの儀式を行わせる事ができる。
そして、そのために犠牲となる子供たちの事など彼女は何とも思っていなかった。
すべては崇高なる未来のための対価。本気でそう考えているのだ。
そして、自らが弱者を糧とする搾取者になってしまっている事に、まったく気がついていなかった。
川沿いに連なるガードレールに寄せて銀のミラジーノは停車する。
桜井と茅野はいつものハイカー
阿武隈邸であった。
「地震でぶっ壊れたんじゃなかったっけ? ぱっと見、別に無事そうだけど」
その桜井の言葉に茅野は答える。
「正面からだと、そう見えるけど、裏手は土砂でほとんど埋まっているそうよ。屋内にも大量の土砂が入り込んでいるみたい」
「そなんだ」
「とりあえず、蔵の方は無事らしいから、そっちを探索してみましょう」
「らじゃー」
二人はトランクから荷物をおろし、装備品のチェックを終えたあと、阿武隈邸の門前まで続く石段を登り始めた。
石段を登り、苔むした墓石のような門柱の間を通り抜ける。
その右側に母屋があった。近づいてみると、屋根や外壁がたわんでおり、今にも潰れてしまいそうだった。
そして、問題の蔵は門から左側にあった。
こちらは母屋とは違い、堅牢な佇まいを未だに保っているようであった。
二人は何食わぬ顔で、蔵の入り口の前に立つ。
両開きの蔵戸前は開かれており、その奥にある裏白戸も鍵は掛かっていないようだった。
そこで、茅野は地面を見ながら言葉を発した。
「……けっこう、人が出入りしているみたいね。足跡が残っているわ」
「廃墟マニアかな?」
「まだ、何とも言えない……」
などと、言葉を交わしながら、蔵の中へと足を踏み入れた。
蔵は奥に細長かった。両側の壁際には
床は砂埃で覆われており、中央あたりに捲れあがったブルーシートが置かれていた。奥の左側の壁際には二階へ続く階段が見える。
入り口前で桜井は腰に手を当てて、段ボール箱や木箱を見渡し「ふう……」と溜め息を吐いた。
「これは、どこから手をつければよいやら……」
すると、茅野が床に目線を落としたまま、入り口前から歩き始める。
桜井も彼女の後に続いた。
「砂埃にうっすらと足跡が浮いているわ……」
そう言って、茅野はぴたりと足を止めた。
「ここで、途切れている」
それは捲れあがったブルーシートの手前だった。その床をよく見ると四角い蓋がついていた。
「地下室があるのかな?」
茅野の後ろで桜井が声をあげた。屈んで扉を確かめる。
「鍵は掛かってないわね。それから蓋の上に砂埃が少ない。最近、開けられた事があるみたいね」
「どれ」
桜井が前に出る。そして、その床の蓋を慎重な面持ちで開いた。砂をかんだ
開かれた先には、暗闇に満たされた地下へと木製の梯子が延びている。
「梨沙さん」と、茅野がリュックから取り出したヘッドバンドライトを桜井に手渡した。二人は装着し点灯する。そして、桜井を先頭に梯子を降りてゆく。
三メートルほど降ると、湿った床があった。どこからか、したたりの音が聞こえてくる。
桜井は辺りを見渡し、ヘッドバンドライトの明かりで周囲を照らした。
モルタルの壁と天井。そして、錆びついた配管。
そこは八畳程度の部屋の中央だった。
正面の壁に扉が一つ見える。
そして、左手に並んだドラム缶の影から、何者かが飛び出してきた。
その影は両手に持った片刃の斧を大きく振りあげ、桜井梨沙に襲い掛かってきた――。
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