【06】愛されし子ら


「儀式……?」

 国枝はお盆の上に乗せられていたコップと皿の上の生米を見つめながら、疑問を口にした。

 すると、丸い男がすすりあげるような引き笑いをしたあと、甲高い声を発した。

「……それは、ただの綺麗な水と、もち米だから安心しなよ。これから七日間、それだけを食べて、身体を内側から清めるんだ」

 ひひひ……と、再び不気味な引き笑いをする丸い男。

 国枝は眉間にしわを寄せて、鉄格子の向こうに立つ丸い男を見あげる。

「……お前には、ママの魂の入れ物・・・になってもらう」

 すると、その次の瞬間だった。

 一男が突然、丸い男の方へと向き直り、たぷついた首元を鷲掴みにすると、彼の鼻っ柱を思い切り殴った。

 鈍い打撃音と呻き声。

 丸い男は尻餅をついて鼻を両手で抑え、背を丸めた。

「……痛てえええ。何をするんだよ!? あにぃ」

二男つぎお。てめえよ、余計な事をくっちゃべってんじゃあねえよ!」

 一男が怒鳴り散らす。

 二男と呼ばれた丸い男は唇を尖らせながら「ごめんよ、あにぃ……」と言って、よろよろと立ちあがった。

 その間も大きな女は無表情のまま微動だにせず、国枝をじっと睨みつけていた。

 ともあれ、一男は嫌らしい笑顔を浮かべながら、再び国枝の方へと向き直る。

「……お前の母は、ママ・・に捨てられたんだ」

「ママ……? 母……?」

 一瞬、戸惑うが国枝は『ママ』が阿武隈礼子で『母』が自らの実母である国枝麗菜の事であると悟った。

 一男の話は更に続く。

「だって、そうだろう? ママが離婚したとき、お前の母親を手元に残しておこうとはしなかった。だが!」

 そこで、一男は天井を扇ぎ見て、げらげらと笑った。

 それに釣られるように、二男と大きな女もげらげらと笑う。

 三人の笑い声が暗闇を震わせる。

 そして、ひとしきり笑い、落ち着いたところで一男が再び言葉を発した。

「……俺たちは、ママに大切に育てられた。ママに救われ、ママの元で愛情を注がれて、ママに必要とされた! 実の娘であるお前の母親なんかより、ずっと僕たちの方がママに愛されていたんだよ! ざまぁみろッ!」

 再び三人が肩を揺らして笑い始める。

 国枝は瞬きを繰り返しながら、必死に一男の話を理解しようと試みるが、さっぱり訳が解らなかった。

「あの……」

 三人はまだ笑っている。

 浮かれた様子で顔を見合せ、楽しそうに声をあげている。

 懐中電灯の乏しい光の中に浮かびあがる三人の笑顔は、あまりにも狂気じみて見えた。

 国枝は怖じ気づくも、勇気を振り絞って声を張りあげる。

「あのッ!」

 三人はぴたりと笑い止んだ。

 六つの眼球が一斉に国枝を睨む。

「……だから、その、何なんですか? その、私が何でこんな……入れ物ってなんですか?」

 すると、一男が鹿爪らしい表情で、その質問に答える。


「僕たちは、ママを復活させる。そのとき、お前の身体をママの魂の入れ物として使う」


 国枝は彼が何を言っているのか理解できなかった。

 死んだ人間を生き返らせる……そんな事がそもそもできるはずがないのだ。

 言葉が出てこずに絶句していると、一男はよこしまな笑みを浮かべた。

「……お前の母は、ママに捨てられ、いっさいママのためにならずに死んだ。ならば、その娘であるお前が、ママの役に立ってみせろ。それがお前の存在理由だ」

 そう言って、一男は国枝に背を向けた。そのまま、鉄格子の前から歩き去ろうとする。二男と大女も、それに続く。

「ちょっと、ちょっと! 待って!」

 国枝の声を無視して、三人の足音と懐中電灯の明かりは遠ざかる。

 やがて、すべては悪い夢だったかのように、暗闇の向こうへと消えた。



 彼は阿武隈一男になる以前の事をあまり覚えていなかった。

 断片的に覚えているのはかび臭く狭い団地の一室と、母親がたまに家へと連れてくる男たち。

 その全員が酒臭く似たような顔つきで、自分の事をなじってきた。ときには手酷い暴力を振るってきたりもした。

 しかし、母親はそんなときでも、彼を助けようとしなかった。楽しそうに煙草をふかしながら笑い、ときには男と同じように暴力を振るった。

 そんなとき、よく言われたのが次の言葉だった。


『お前なんか、いらない。産んでやっただけ感謝しろ』


 それでも、母はごく稀に優しいときがあったし、たまに泣き喚きながら彼に許しを乞うてきた。

 だから、彼は母の口から出る酷い言葉や暴力は本心ではないのだと思い込んでいた。

 彼はそこまでされても、まだ母を憎む事ができていなかった。

 しかし、そんな歪んだ母との関係性にも終焉しゅうえんのときが訪れる。

 それは雪深い真冬の夜だった。

 深夜、酒に酔った母と、そのときの男が激しい口論をし始めた。理由や切っ掛けは覚えていない。

 口論はすぐに取っ組み合いの喧嘩となった。

 その男はこれまでの男とは比べ物にならないくらい凶暴だった。酔うと必ず母や彼に暴力を振るい、怒鳴り散らして物を壊した。

 すっかり、脅えていた彼は男が怒鳴り声を上げて母親に掴み掛かったところで、奥の和室の押し入れの中へと逃げ込んだ。

 二人の立てる物音や罵声は随分と長い間、響き渡っていた。彼は母親を助けたかったが恐怖で身体がすくみ、動けなかった。膝を抱えてうずくまる事しかできなかった。

 神か悪魔か、得体の知れないモノに祈りを捧げながら……。

 そうしていると、おもむろに襖の向こうから聞こえ続ける騒音がぴたりと止んだ。

 いぶかしげに首を捻っていると、唐突に彼が隠れていた押し入れの襖が開け放たれた。

 彼は驚いて視線をあげる。

 すると、そこに立っていたのは、黒髪の痩せた女だった。

 灰色のトレンチコートを着ており、母親よりもずっと綺麗な顔立ちをしていた。

 その女は屈み込むと、呆気に取られたままの彼に覆い被さるようにして優しく抱き締めてきた。

「……可哀想に。私があなたのお母さんだったら、あなたをこんな酷い目に遭わせはしないわ」

 女は煙草の臭いも酒の臭いもしなかった。心が安らぐような優しい花の香りがした。一度も嗅いだ事がないはずなのに、彼の心をくすぐり、懐かしい気持ちにさせてくれた。

「ねえ……」

 女は彼の肩に手を置いたまま身を離し、まっすぐにその恐怖と絶望に濡れた瞳を見つめながら言った。

「あなた、私の子供にならないかしら? 私の所にくれば、誰もあなたをぶったり、悪く言ったりしない。好きなものを好きなだけ食べさせてあげる。新しい名前もつけてあげる」

 鼓膜から染み込む柔らかい声が彼の脳を優しく撫でる。

「で……でも、僕はお母さんの子供だよ……お姉さんの子供じゃないよ……?」

 彼がそう言うと、まるで童話か何かの絵本に出てくる天使か女神のように微笑んで、その言葉を発した。


私には・・・あなたが必要なの・・・・・・・・


 この人が本当のお母さんだったら良かったのに、と思ってしまった。

 こうして、彼は女――阿武隈礼子の子供となり阿武隈一男と名前を変えた。

 一男は新しい母親の元で何一つ不自由のない生活を送る事となった。

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