【04】不審車両


 沿道に連なる緑は晩夏の名残を強く残す陽光を受け、薄暗い木陰を路上に浮かびあがらせている。

 それは、二〇二〇年九月十九日の十一時を少し過ぎた頃だった。

 九尾天全は県警の篠原結羽がハンドルを握る黒のアリオンの助手席に腰を埋め、県南の山間部にいた。

 これから、彼女と牛首村へと赴き、宿儺の右腕を探索しようというのである。

 たったの二人というのは、いっけんすると心細く思えるかもしれない。

 しかし、この手の案件では霊能力を持たない人員をいくら投入しても、どうにもならない場合が多々ある。最悪、その全員が霊障にあい、甚大な被害を被るだけという事も充分にありうる。

 九尾が以前に穂村から聞いたところによれば、昔はそうではなかったのだという。この手の案件でも、ちゃんと事件の規模によって相応の人員数が割り当てられていたのだとか。

 しかし、あの夜鳥島にて、逐次投入した人員がことごとく箜芒甕子の犠牲になった事を切っ掛けに、今の形が取られるようになったらしい。

 自分の関わった事件が、穂村たちの仕事に多大な影響を与えていたのを知った九尾は、何とも言えない微妙な気分におちいった事を思い出す。

 ともあれ、山深い峡谷と崖に挟まれた山道は蛇行を繰り返し、九尾と篠原を目的地へといざなう。

 いつの間にか道の両脇には苔むした杉の巨木が立ち並び始め、その木立の隙間からは崩れかけた木造家屋や赤茶けた波板の小屋が姿を現し始めた。

 どうやら、牛首村へと辿り着いたらしい。

 すると、早々に九尾の第六感が不穏な気配を察知する。

 人為的な呪詛の残滓ざんし

 それは、巧妙に隠されており、彼女ほどの能力者でなければ感じ取れないほどのわずかなものであった。

 思わず眉間にしわを寄せていると、運転席の篠原が声をあげた。

「先生、何か視えましたか?」

「いえ……」

 九尾は何とも言えない表情で、首を横に振った。

「何か嫌な感じはするんですが、ちょっと、まだ何とも……」

「そうですか」

 と、篠原が相づちを打ったところで視界が開ける。まばゆい光が周囲を照らした。

 道の両側にあった杉林は、すすきや低木の混ざり合う藪に姿を変える。どうやら、そこはかつて農地だった場所らしい。

 茂みの中から錆びついたビニールハウスの骨組や農業用の支柱が顔をのぞかせている。

「……阿武隈邸は、この先の村の最奥の山肌沿いにあります。母屋は土砂崩れによって倒壊しかけているそうですが、土蔵がまだ残されているという話です」

「土砂崩れですか。目的のものは土の中……なんて事にならなければいいのですが」

 九尾は浮かない表情のまま言葉を発した。

 宿儺の右腕ほどの呪物ともなれば、土の中に埋めたまま放置という訳にもいかない。

 掘り起こして状態を見極め、適切な対処をしなければいけない。その手間を考えると、さっそく頭が痛くなってくる。

 しかし、篠原は変わらぬ様子でフロントガラスの正面を見つめながら言った。

「……まあ、そのときはそのときですよ」

 その言葉のすぐあとだった。

 沿道にぽつり、ぽつり、と、まだ倒壊していない家屋が建ち並び始める。黒のアリオンは村の中心部に辿り着いたようだ。目的の阿武隈邸は近い。

 しかし、未だに九尾には微かな呪術の気配以外、特に何も感じられない。この付近に目的の宿儺の右腕が本当にあるのか疑わしくなってくる。

 どんなに巧妙な隠蔽いんぺいを施したとしても、あの最凶の呪物の刺してくるような憎悪の残り香は隠し切れるものではない。

 両面宿儺は強烈な怨念を抱いて死んだ人間を繋ぎ合わせて作りあげた木乃伊ミイラである。

 その憎悪が強烈であればあるほど力は増大する。そこにあるだけで、周囲にありとあらゆる災厄を引き起こす。どんなに強力な封印を施したとしても、その力を完全に消し去る事は難しい。

 あの逗子で発見された宿儺の材料となった人間も、ろくな死に方をしなかったのだろう。製作者によって、筆舌に尽くしがたい残虐な末路をもたらされたに違いない。

 厳重な封印を施されてはいたが、コールタールのように粘りつく憎悪が滲み出ていた。

 それが、まったく感じられないのだ。

 もしかしたら、阿武隈邸には、もう宿儺の右腕はないのかもしれない。

 その見解を篠原に告げると、彼女は「それでも、現在、右腕の行方の手掛かりは阿武隈邸である事は間違いありませんから」と言った。

 そんな会話を交わすうちに、車は村の中心部を抜ける。

 前方に横たわる流れの速い川と、そこに架かった石橋が現れる。幅は恐ろしく狭く、欄干も人の膝丈より低い。

 篠原は慎重なハンドリングで、その橋を進む。

 橋を渡ると、正面には山肌があり、道は左右に分かれていた。篠原は右側に進路を取り、そのまま山肌と川に挟まれた道を進んだ。

 すると、それは数十メートルほど先だった。左側の沿道に連なる山肌に、苔と蔦で覆われた石垣の上に建つ、大きな日本家屋が見えてくる。

 それが阿武隈邸であった。

 遠目から見た限りでは、事前情報にあった通り、倒壊しかけているといった様子は見られない。唯一無事だという蔵も確認できた。

 しかし、そんな事よりも二人の目を引いたものは別にあった。

 それは、阿武隈邸へと続く石段から車道を挟んで反対側だった。右側の川沿いに横たわるガードレールに寄せて停めてある一台の車。

 銀色の軽自動車。

 九尾と篠原は、それを目にしたとたん、足をすくわれたような感覚を覚えた。

 篠原が怖気をにじませた声音を、喉の奥から絞り出す。

「そ、そんな……馬鹿な……」

 彼女の双眸そうぼうに映し出されるのは、銀のミラジーノ。

「……ま、まだ、その、あの二人の車だって決まった訳では」

 九尾はぎこちない微笑みを浮かべる。

 そうだ。

 偶然、同じ車種で、持ち主もまっとうな・・・・・廃墟マニア・・・・・に違いない。

 今回の件は、これまでずっと秘密にしてきた。

 何かを勘ぐられても、すっとぼけ、話を逸らし、絶対に気取られないように注意を払ってきた。

 この場に、あの二人がいるだなんてあり得ない。

 九尾は心霊の実在を信じない科学信奉者のように、あの二人がこの場にいる可能性を頭の中で必死に否定し続けた。

 しかし、その車の後ろに、自らのアリオンを停車させたあとで篠原が放った言葉は、九尾の希望的観測を易々と打ち砕いた。

「……先生、駄目です。ナンバーが奴らのものです」

「おおう……」

 九尾は右手で額をおさえて俯く。

 まさか、自分たちよりも早く到着しているだなんて……。

「腹を括りましょう」

 そう言い残して運転席をあとにする篠原。

 九尾はフロントガラス越しに見える山々の稜線に切り取られた空を、絶望的な眼差しで見あげて口を開く。

「頼むから、無事でいてよ……そして、余計な事はしないで……」

 今回ばかりは洒落では済まない。

 本来ならば毎回洒落では済まないのだが、それはさておき、九尾天全は暗澹あんたんたる未来を思い描きながら、車中をあとにしたのだった。

 

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