【03】母方の祖母


 国枝美春は阿武隈一男から届いた封筒を持って、和室から寝室に移動する。机の上のスマートフォンを手に取るとベッドの縁に座った。

 そのとき、横目に映った障子戸の向こうで、裏庭に生えた八手やつでの影が風に吹かれて揺れる。まるで、昔みた映画の中のゾンビみたいに見えた。

 そんな不吉な想像を掻き消すかのように、スマホの画面を乱暴に指でなぞる。

 そして、画面に現れた電話番号と、吉城弘之という登録名を見つめながら溜め息を吐いた。

 母との離婚の原因は聞いていない。

 別に恨んでもいないし、恋しさもない。だからこそ、気まずかった。母の葬儀の際にも、ほとんど事務的な会話しか交わさなかった。

 一応、いつでも電話を掛けていいとは言われているが、何か申し訳なさと遠慮が先に立った。

 躊躇ちゅうちょしつつ、何となく卓上カレンダーに目線を移した。

 この日は九月十三日、日曜日。

 休日の昼下がりならば、いきなり電話をしても迷惑にはならないだろう。

 それを言い訳にして、思い切って、通話ボタンをタップする。

 実父は思いの外早く電話口に出てくれた。国枝は少し緊張気味に言葉を発する。

「もしもし。国枝です」

 数秒の間があり、聞き覚えのある声が受話口から聞こえてきた。

『……何だ。美春か』

「うん。ごめん。お父さん」

『で、何だ?』

「うん。あの……お父さんは、うちの親戚で阿武隈っていう名前の人がいるの知ってる?」

『あぶくま……』

 どうやら吉城にも心当たりがないようだ。

「お母さんの兄妹らしいんだけど……」

 と、国枝が情報を付け足すと、吉城は『ああ』と何事かを思い出した様子で声をあげた。

『麗菜のお母さんとお父さん……つまり、お前から見て母方の祖父母は、麗菜がまだ生まれたばかりの頃に離婚したらしい。麗菜によれば、祖母の方の家とは疎遠になっているらしく、結婚式のときも呼ばなかったんだが、確かそっちの方の家が“阿武隈”だった気がする……いや、確かに、阿武隈だった』

「そうなんだ……」と、相づちを返す国枝。

 取り敢えず“阿武隈”なる親戚は実在するらしい。

 吉城は続けて質問を発した。

『……で、その阿武隈さんがどうしたんだ?』

「いや、実家に届いた郵便を整理していたら、その人の手紙があって」

『そうか』

 吉城はそう言っただけで、特に深くは突っ込んでこなかった。国枝も手紙の内容には言及しなかった。

 やはり実父といっても、彼はもうこちらの家とは無関係なのだ。そんな無意識下に横たわる思いが、彼女の口をつぐませた。

 因みに店を始めた事も、現状についても彼は何も知らない。

『用件はそれだけか?』

 その質問に国枝は「うん」と迷いなく答えると、吉城は少し寂しげに鼻を鳴らした。

『そうか。また、何かあったら、いつでも電話してこいよ?』

「うん。お父さんも元気でね。じゃあ……」

 その言葉と共に通話を終えた。

 次に国枝は阿武隈一男の元に電話を掛ける事にした。



 便箋に記された電話番号をスマホに打ち込み、通話ボタンを押した。

 実父とは対照的にずいぶんと待たされ、受話口から聞こえてきたのは不機嫌な声だった。

『はい……誰……』

 自分よりも年配の男性の声だった。

 怖じ気づきながらも、どうにか声を絞り出す。

「……あの、国枝、美春と申します」

『国枝ぁ……?』

 いぶかるような声。一瞬、電話番号を間違えてしまったのかと後悔する。

「あ、はい。国枝麗菜の娘です。阿武隈一男さんですよね?」

 すると、一瞬の間が開き……。

『ああ! 国枝麗菜さんの!』

 ぱっと、声音が明るいものに変化する。

「その、お手紙……拝見させていただいて」

『ああ! はいはい。そうです。私が一男です』

「あの……この度はお悔やみを申しあげます」

『お悔やみ……? ああ! はいはい』

 まるで、今その事を思い出したかのような反応だった。国枝は微かに違和感を抱く。

『で、麗菜さんは?』

「あの……母は三年前に、その他界しておりまして」

『おおう……』

 何かを考え込むような沈黙。

 そのあと、次のような微かな呟き声が国枝の耳を打った。


『……別に・・娘の方でいいか・・・・・・・


「は?」

 意味が解らず国枝は聞き返す。しかし、受話口の向こうの彼は誤魔化すように笑って話を進めた。

『あー、そうだね。手紙に書いた通りで、兄妹で遺産の分与についての話し合いをしようと思ってて、そういう事なら麗菜さんの代わりに美春さんに参加して欲しいのだけど』

「あ、はい。でも、その……」

『何か?』

「いえ、ずいぶんと母はそちらの家とは疎遠でしたし、その……私なんかが、でしゃばっても、いいのかなと……」

 その言葉を聞いた彼は、気安い調子で笑う。

『そうだね。いろいろとあったみたいだけど、ママ・・はいつも麗菜さんの事を気にかけていたんだよ。だから、ぼくたち兄弟としても、是非、麗菜さんには……いや、麗菜さんの娘である貴女にも、ママ・・の遺産を相続する資格は充分にあると思っているんだ』

 一瞬“ママ”というのが誰の事なのか解らなかったが、すぐに自分にとっての祖母である阿武隈礼子の事であると思い至った。

 国枝は特に口を挟もうとせず、男の話に耳を傾け続ける。

『だから、是非とも君にもママ・・の遺産を受け取って欲しい。まだ話し合いの結果がどうなるか解らないけど、それでも、それなりの額になるはずだから』

 話題の向きが傾いたので、国枝は思いきって、下世話な質問を口にした。

「……それで、その、不躾ぶしつけなのですが」

『何?』

「だいたい、いくらぐらいになるのでしょうか?」

『ん、ああ……まだ何とも言えないけど、数千万とか……それぐらいにはなるんじゃないかな?』

「数千万……」

 冷静に考えなくても怪しい話である。

 しかし、このときの国枝は、是が非でもお金が欲しかったのと、絶望に心が曇り、平常心ではなかった。

 どうせ、このまま野垂れ死ぬならば……という、破れかぶれの気持ちもあった。

 彼女はけっきょく阿武隈一男の誘いに乗って、九月十八日に隣県へとおもむく事にしたのだった。

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