【01】被害者の会


 二〇二〇年九月十八日の夕方だった。

 九尾天全は背を丸めなから、恐る恐る周囲を見渡した。

 大きめの手荷物を片手に忙しなく行き交う人々。発着時刻が記された電光掲示板。黄色い点字ブロックにホームドア。

 天井に掛かった屋根と屋根の隙間からは、分厚い雨雲に覆われた空がうかがえた。

 そこは日本海側にある県庁所在地の新幹線ホームであった。

 九尾は指名手配犯のような顔つきで、駅構内へと降るエスカレーターへと向かう。

 彼女がいつも以上に挙動不審な理由は、この地が奴ら・・の生息地であるからだ。

 まったく霊感を持たない癖に、舐めた態度と女子高生らしからぬスペックで数々の心霊スポットを踏破し続ける桜井梨沙と茅野循。

 今回ばかりは、あの二人に己の目的を知られる訳にはいかなかった。ここにいる事を気取られる訳にはいかない。

 九尾がこの県へと訪れた目的。それは、逗子から十六年前に持ち去られた最凶の呪物“両面宿儺”の右腕を探し出すためだった。

 きっと、あの二人は面白がって関わろうとしてくる。それだけは何としてでも阻止したかった。

 九尾もすでにあの二人の実力は認めていた。なにせ、桜井と茅野がいなければ、日本屈指の危険スポットである夜鳥島の攻略は叶わなかっただろう。

 ド素人で舐めた態度を取ってばかりいるが、間違いなく頼りになる。しかし、それでも今回の件には絶対に関わらせる訳にはいかなかった。

 先日、この件を担当していた警察庁の夏目竜之介が大怪我を負った。

 どうやら、逗子で両面宿儺の本体を発見したときにもらってしまった・・・・・・・・らしい。

 基本的に彼や穂村一樹のような、常識では計り知れない事案への対応を専門とする担当官は、霊的な影響を受けにくい資質を持ったものが選ばれる。 

 それに加え、夏目は宿儺探索の際には厳重な呪い避けを施していた。

 その彼ですら、命に別状はないものの、しばらく療養を余儀なくされる怪我を負ってしまったのだ。

 このように、あまりにも強力すぎる呪いの力は防ぎようがない。知力や武力でどうにかできるものではないのだ。

 あの二人は規格外の対怪異能力を持っているとはいえ、普通の女子高生・・・・・・・である。そうした呪いの力を防ぐ手立てを持っていない。

 だから、この件に巻き込んで生命の危険に曝す訳にはいかないのだ。

 今回の件を頑なに秘密にしようとするのは、プロとしてのプライドも当然ながらあったが、九尾としては、彼女たちの事を思ってこそであった。

「……それにしても、よりによって、この県だなんて」

 失われた宿儺の右腕が、二人の在住するこの県にある可能性が高いという情報を得たとき、運命めいたものを感じずにはいられなかった。

 まさか行く先々で殺人事件に遭遇する推理小説の名探偵のように、あの二人が怪異を引き寄せているのかもしれない……。

「まさかね……」 

 そんな心の中に浮かんだ益体もない考えを鼻で笑い飛ばし、九尾天全は改札口を潜り抜けた。

 すると、正面に立つ、スーツ姿の凛とした女性の姿が目に入る。

 視線が合うと、その女性は改札から吐き出される人の流れに逆らい、九尾へと近づいてきた。

「……こんにちは。お噂はかねがね。県警の篠原です」

 彼女は、こちらの県の担当官で、今回の宿儺の右腕捜索に同行してくれる。

 噂では、ずいぶんとあの二人に頭を悩ませているらしい。早速、親近感を覚える九尾であった。

「……あ、九尾です。よろしくお願いします」

「取り敢えず、ホテルまで送りますね。荷物を置いてから、明日の予定でも……」

 篠原が歩き出す。因みに目的のものがあると思われる牛首村へと向かうのは、明日という事になっていた。

 今日は飲まずに早めに寝ようと心に決めながら、「そうですね」と答え、九尾も彼女のあとに続いた。




 そのまま、九尾と篠原は南口へと出る。入り口で待ち合わせをしていたらしい男女の脇を通り抜け、駐車場へ向かった。そこに停めてあった黒アリオンに乗り込む。

 そして、車が走り出し、駐車場を抜けた直後だった。篠原がぽつりと口を開く。

「ところで先生は、あの二人とずいぶん懇意こんいであると聞きましたが……」

「はい。いや、その……」

 九尾は一瞬だけ言い淀むと、気まずそうに言葉を吐いた。

「……いや、すみません、あの二人がご迷惑をお掛けしているようで」

 すると、篠原が小さく吹き出す。

「何で、先生が謝るんですか」

「それも、そうなんですが……」

 と、自分でもなぜ謝罪したのかわからずに言葉を濁す九尾。

「何にせよ、篠原さんとは旨いお酒が飲めそうです」

「本当ですよね」

 篠原はフロントガラスの向こうに視線を置いたまま、乾いた笑いを漏らす。

 そして、次のように続けた。

「……今回は、流石にあの二人でもどうにもならないモノが相手ですからね」

「ええ」

 九尾が相づちを打つと前方に見えていた信号が赤に変わった。黒のアリオンはゆっくりと減速をし始める。

「……ところで、九尾先生」

 おもむろに篠原が切り出す。

「何です?」

「阿武隈礼子については、どれくらいご存知で?」

 九尾は以前に聞きかじった事のある話を思い出しながら、篠原の質問に答える。

「元左翼の活動家で、腕の良い呪術師だとしか……」

 特に呪物制作の腕はかなりのもので、あのhogに匹敵する技量を持っていたのだという。

「確かに、かなりの危険人物であったという話でしたが、一九六九年以降、生まれ故郷である牛首村に帰ってからは、すっぱり、そちらの活動から足を洗って、隠居生活を営んでいたそうです。一九七一年に結婚して、翌年に子を一人もうけましたが十年後に離婚しています」

「その子供は……」

「離婚を機に阿武隈の元夫と一緒に村を離れ山形へ。二〇一七年、四十五歳で病死しています。今のところ不審な形跡はありませんが……」

「なるほど……」と、九尾は言葉を返す。

 そのあと、少しだけ沈黙が続いたあと、信号が青になり、再び車が走り出した。すると、篠原がその疑問を口にする。

「先生」

「はい?」

「阿武隈はなぜ、宿儺の右腕だけを欲したのでしょうか……?」

 九尾は思案顔を浮かべたのちに己の見解を語る。

「うーん。隠居したというのは嘘で、実は裏で何か大きな災禍を起こそうと企んでいた。宿儺の力をそのために利用しようとしたが手に余るため、右腕のみを利用しようとした……とか?」

 一応、筋は通っているように思える。しかし……。

「でも、先生。阿武隈の本当の目的が何だったのかは解りませんが……」

 そう篠原は前置きして語り始める。

「それ、宿儺の右腕じゃなければ、ならなかったのでしょうか?」

「ああ……」

 もっともだと、九尾は思った。

 何か大きな災禍を起こすにしても、わざわざ、超危険な両面宿儺の右腕を切り取って使うよりも、別な呪物を自分で作りあげた方が簡単なはずだ。

 現に宿儺の右腕を切り取った白井博一は、左腕と右目を失った。そして、阿武隈本人が地震で負った怪我も時期的に宿儺の右腕の影響だろう。

 hogと並び称される呪術師であった彼女ならば、もっと術者にとって安全性が高く、効果的な呪物を作る事は充分に可能であったはずだ。宿儺の右腕でなければ達成できない目標というのが、ちょっと思い当たらない。

「確かに、なぜ、阿武隈は宿儺の右腕を……」

 九尾は目の前の虚空に視線を置いたまま、ぽつりと呟く。

 すると、その直後、フロントガラスに大きな雨粒が落ちて弾けた。

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