【14】後日譚


 二〇二〇年九月十七日の昼過ぎ。関東圏某所。

 そのビルは繁華街の裏通りにあった。

 窓にはすべてブラインドが掛かっており、入り口のテナント看板はまったくの空白であった。エントランス最奥にある硝子張りの玄関扉は大きくひび割れ、ガムテープで補強がされている。

 その五階だった。

 古びた扉の表札には『株式会社ビザール』とある。

 扉板の向こうから物音はせず、人の気配は感じられない。

 そのインターフォンに人差し指が伸びる。電子音のチャイムが室内から微かに聞こえ、数秒後に恐る恐るといった様子で扉が開いた。

 中から顔をのぞかせたのは、白髪を長く伸ばした男だった。どうやら、大きな怪我を負った事があるらしく、左腕の肘から先がなかった。

 彼は怪訝けげんな表情で、扉の外側をうかがった。その瞳に映し出されたのは、黒いスーツをだらしなく着崩した垂れ目の男だった。

 ホストか何かだろうか。だったとしても、何の用があるというのか。

 白髪の男は眉間にしわを寄せ「何か用?」と尋ねる。すると、ホストのような男は懐から取り出したそれを開いて掲げた。

 警察手帳である。

 ホスト風の男の名前は夏目竜之介。

 警察庁の特殊な案件を取り扱う部署に身を置いている。

 白髪の男は大きく目を見開き、扉を急いで閉めようとするが、差し込まれた夏目の爪先が邪魔をする。

「……くっそ!」

 白髪の男がドアノブから手を放して背を向けた。

 次の瞬間、扉が勢い良く開け放たれ、伸ばされた夏目の右腕が逃げようとした彼の襟首を鷲掴みにする。

 白髪の男は後頭部を鷲掴みにされて、右の壁に顔面を押しつけられた。

 夏目が嗜虐的な笑みを浮かべて、白髪の男の耳元で囁く。

「……アンタ、白井サンだよね?」

「だっ、だったら、何なんだよ……」

「ちょっと、思い出話をしたくてね。今から十六年前の話なんだけど……」

「んな、昔の事なんざ、覚えてる訳ねーだろ! 馬鹿が!」

「へえ、そうかい……」

 夏目は更に力を入れて白井の顔を壁に押しつける。

 すると、彼は涙目になって悲鳴をあげた。

「警察手帳を見て逃げたって事は、ぶっ叩けば、ほこりがたくさん出てきそうじゃねーか。別件でパクってやっても構わねーけどな」

「ふざけるな! こんな横暴……警察だろ、お前……」

「じゃあ、逆に聞くがよ、こんなナリした俺がマトモなポリに見えんのか? おめーは……」

「わかった、わかった……何だよ、聞きたい事って……何でも話すから! 放せ! 放せって!」

「じゃあ、その前にもう一度、聞くぞ?」

「だから、何だよ!?」

「十六年前、お前が逗子から持ち去ったお宝・・についてなんだけど……」

 その瞬間、大きく見開かれたままだった白井の瞳が深い恐怖の色に濁った。




 その日の夜だった。

 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン

 その二階居住スペースのリビングにて。

 胡桃ウォルナットの座卓に乗せられたノートパソコンの画面に映し出されているのは、警察庁の穂村一樹であった。

『……両面宿儺の右腕の行方が解った』

 その画面に向き合う九尾天全は息を飲む。

 両面宿儺の右腕に関しては、九尾も得意の探知能力を駆使して行方を探っていた。

 しかし、かなり高度な隠蔽いんぺいが施されており、手掛かりすらまともに掴めていなかった。

白井博一しらいひろいちという呪術師の仕業だ。やつが持ち去った。目的は金だったそうだ』

 因みに白井がどこから両面宿儺の情報を得たのかは、まだ解っていない。

 その事に話が及ぶと、彼は何かに脅えて貝のように口を閉ざしてしまうのだという。

「……その白井って人、よく無事だったわね。今まで」

 九尾の言葉に穂村は皮肉めいた笑みを浮かべた。

『やつは左腕を失っている。右目も視力がほとんどないそうだ』

「そう……」と、口にしたあと、九尾は座卓の上にあったミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、キャップを捻る。

 口の中の渇きを潤してから言葉を発した。

「……それで、その右腕はどうしたの?」

『白井によれば、阿武隈礼子・・・・・という名前の同業者に売ったらしい。因みに、その阿武隈は二〇〇五年に他界している。彼女の住居は、地震による土砂崩れで半壊したらしいが、廃屋となって今も残っているらしい』

「その住居はどこに……?」

 九尾の質問に穂村は答える。


『日本海側にある“牛首村”だ』




 ちょうど同じ頃だった。

 大神町大字四津。

 暗闇と静寂の中に沈んだ田園地帯に響き渡る、砂利道を走る車のエンジン音とヘッドライトの光の帯。やがて、その音がぴたりと止まる。

 そして、車中から姿を現したのは、桜井梨沙と茅野循であった。

 二人は懐中電灯の明かりをつけて、砂利道に停めた銀のミラジーノの前方数メートル地点から右側へ伸びる細い道の先へ行く。

 そこには、田圃の真ん中にこんもりと盛りあがった塚があった。

 五頭堂である。

 先日、九尾から教えてもらったクダンサマゲームで廻る場所の中でも、“本物の場所”の一つであった。

「そういえば、ここって何か楝蛇塚にふんいきが似てるよね」

「そうね」と、茅野は桜井の言葉に答えながら、祠の前で屈む。

 鞄の中からピッキングツールを取り出し、口にペンライトをくわえながら両開きの扉にさがった南京錠を外した。

「さて、何が出てくるかしら……?」

 と、言いながら、楽しそうに揉み手をして扉を開け、中を照らす。

 すると、扉のすぐ内側に、奇妙な紋章の描かれた壁代の布がさがっていた。

 その布を手で払うと、奥には十五センチ程度の木彫りの像が納められている。

 身体部分は胡座あぐらをかいた仏像であったが、首から上は牛であった。

「これが、クダンサマ?」 

 と、彼女の肩口から祠を覗き込んでいた桜井が何とも言えない表情で言った。

 そこで茅野が再び壁代の紋章の方へと注目する。

 丸の中に逆三角や曲線を組み合わせた奇妙な図形が描かれていた。

「……これ、どこかで見た事があるわ」

「まじ?」

 と、桜井が言うと、茅野は立ちあがり、ポケットの中のスマホを取り出して指を這わせる。

 しばらく、記憶を辿りながら検索を繰り返し、その結果を桜井に見せた。

 そこに表示されていたのは、ある廃墟マニアのブログに掲載された画像であった。

 傾きかけた古い蔵が正面から写されており、その庇の上には、さっき見た壁代の紋章と同じものが印されていた。

「……これって」

 桜井の問いかけに茅野は答える。

「県南にある牛首村・・・で撮られた写真よ。その村は二〇〇四年の中越震災で壊滅して以来、廃墟となったまま放置されているらしいわ」

「牛首村……」

 桜井と茅野は顔を見合わせる。

 とうぜん、二人の考えている事は同じだった。

 






(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る