【07】共通項


 桜井と茅野が大神町に辿り着いたのは、十一時少し前であった。その途端に、天候が崩れて激しい雨が降ってくる。

 遠雷のいななきが耳をついたので、どこかで雨足が弱まるのを待ってから探索を開始する事にした。

 そんな訳で、二人は少し早めの昼食がてら『はまだ』という町中華に立ち寄る。

 二人が軒先の暖簾のれんを潜り抜け、中に入ると正面奥のカウンター席に座ってテレビを観ていた店主と思われる男が慌てた様子で立ちあがり「いらっしゃい」と二人を迎え入れた。

 いそいそとカウンター脇のスイングドアを通り抜け、厨房へと姿を消した。

 桜井と茅野は適当な席に座り、メニューを広げる。すると、ふくよかな体型の女性店員がニコニコと笑顔を浮かべながら、お冷やを持って現れる。

「いらっしゃいませ。ご注文が決まったら、またお声がけください」

 その言葉が終わる直前に、桜井が何かとても重要な事を告げるときの顔つきで口を開いた。

「カレーラーメン、天津飯、餃子……いや、やっぱり、天津飯じゃなくて、軽めにチャーハンでいこう」 

「は、はあ……」

 女性店員は目を丸くする。茅野は呆れ顔で「私は普通のラーメンだけで」と言った。

 女性店員は度肝を抜かれた様子で伝票にメモを走らせる。そして「しょ、少々、お待ちください」と言い残し、再び厨房へと消えていった。

 その背中を見送ったあと、天候の話から取り留めもない雑談を繰り広げる二人。

 やがて、運ばれてきた料理でテーブルが埋まると、黙々と箸を進めた。半分ほど食べ終ったところで桜井が、この日の本題を切り出した。

「どうする? 暗号のあった場所、ぜんぶ、巡って見る?」

 すると、茅野が首を横に振った。

「まずは『ファーストラウンド』というゲームセンターへ行ってみましょう。このゲームセンターは二〇〇七年頃に閉店しているらしいのだけれど、まだ廃墟は残っているみたいね」

「何で? そこに何かあるの?」

 唐突に出てきた店名に桜井は目を丸くする。茅野は器を両手で持ちあげ、ラーメンのスープを一口すすってから、彼女の疑問に答え始める。

「……ちょっと、これを見て欲しいのだけれど」

 そう言って、テーブルの隅に置いてあった自らのスマホを手に取って、画面を指でなぞる。

「これは、西木さんが撮影した写真に写されていた暗号が示す地名を並べたものよ」

 そう言って、スマホの画面を差し出す。桜井は餃子をかじって、もしゃもしゃとやりながら、その画面を覗き込んだ。

 そこには……。



 ・二木商会裏の森


 ・陸橋の高架下

 

 ・四津橋


 ・五頭堂


 ・六法寺


 ・コンビニの裏


 ・河野神社


 ・四津の無花果いちじく


 ・拾石ひろいし建設資材置場


「ぜんぶ、数字が入っている……いや、違うか」

「いいえ。それであっているわ、梨沙さん。この暗号のあった場所は、すべて二から十までの数字に関わる場所なのよ」

 と、茅野に己の見解を肯定されはしたが、どうにも納得のいかない桜井だった。

「でも、三がないけど」

「この陸橋のある場所の大字が三手前というらしいわ」

「じゃあ、河野神社と、無花果畑、資材置場は?」

「河野神社は八幡宮で、漢字の“九”一文字でも“イチジク”と読むわ。資材置場の方はもっと簡単で、拾石の“拾”は数字の“十”という意味があるの。因みにセブンイレブンは、美容院になったあと、現在はファミリーマートみたいね」

「はちまんぐう……って、何?」

誉田別尊ほんだわけのみことを祭った社の事ね。元は海神だったり、源氏の氏神で武運の神だったりしたらしいけど、様々な土着信仰と結びついて、今では日本のいたるところにたくさんあるわ」

「ふうん……武運の神か。いいじゃん」

 何やら興味を抱いたらしい桜井だった。何となく彼女の考えていそうな事は想像がついたので、特に尋ねるような事はせず、茅野は話を本題に戻した。

「……それで、二から十までしかないから、一がどこかにあるのではないかと思ったの」

「それが『ファーストラウンド』っていうゲームセンターだった訳ね」

「そういう事よ」

 と、首肯する茅野。

 そこで、桜井がずっと抱いていた疑問を口にする。

「でもさ、この暗号、例の連続自殺と関係があると思う?」

「さあ」と茅野は、肩をすくめてから言う。

「クダンサマのゲームに関係あるのか、ないのか、それは今の段階では何とも言えないけれど」

 と、言ったところで、カウンターの方から桜井と茅野は視線を感じた。

 そこには、再び厨房から姿を現した店主がいた。

 何やら言いたげな様子だったので、茅野は声をかけてみる事にした。

「何か……?」

 しかし、男は「いや、すいません」と言葉を濁して、新聞に視線を落とす。

 桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせたのちに、再び食事に取り掛かった。

 やがて、十二時近くになると、地元民らしき客が何組かやってきて、静かだった店内がにわかに騒がしくなり始めた。

 その頃になると少しだけ雨脚は落ち着いていたので、桜井と茅野は支払いを済ませ、店をあとにした。




 錆びついたトタン屋根の庇を支える鉄骨の間に渡されてた黄色と黒の縞ロープを潜り抜け、硝子張りの扉の前に立つ。内側に暗幕が垂れ下がっており、中の様子は窺えない。

 鍵は閉まっていたが、硝子は割れ落ちており、まったく意味をなしていなかった。

 開錠して扉を開け、暗幕を押し退ける。二人は『ファーストラウンド』の廃墟へと侵入を果たした。

 かつてはところ狭しと並んでいたゲーム筐体きょうたいの多くは見当たらず、店内は閑散としていた。

 残されている筐体もあったが、ほこりや蜘蛛の巣にまみれ、その画面は暗くなったままだった。

 とうぜんながら壁のポスターや貼り紙はすべて剥がされており、奥のカウンターは無人で、景品のショーケースは空だった。

 床にはゲーム筐体の置かれていた跡と硝子片、侵入者によって投棄された空き缶や煙草の吸殻などのゴミが散乱していた。

 天井からは照明のコードが蔦のように垂れ下がっており薄暗い。

 二人は壁に沿って、右回りに店内を一周する。

「あの暗号ないね……」

「そうね。一見すると見当たらないけれど……」

 壁や天井、床などを丹念に見渡しても、例の“ro2y2o5”から始まる文字列はどこにも見られない。

「……これは、外れだったかしら?」

 茅野は思案顔でうつむく。

 そして、それは左の壁際に辿り着いたときだった。

「循!」

 桜井が声をあげた。茅野は視線をあげる。それは、楕円の大きなテーブルだった。

 その中央に、ぽつんと一冊のノートが置いてある。

 よくある学習用のノートで表紙には『みんなの交流ノート』とマジックで記されている。

「これは……」 

 茅野は何気ない調子で、そのノートを手に取り、ぱらぱらと捲り始めた。それを横から覗き込む桜井。

 アニメ調のイラストや、何やら日記めいた独白、特定の個人に当てた私信、友だちや同好の士を募集する書き込み、卑猥な落書きなどで埋めつくされていた。

「……これ、この店のお客が書いたの?」

「そうね。インターネットのない時代は、こうしてオタクたちは交流していたのね。中々、興味深いわ」

「ふうん……」と、解ったような、解っていないような返事をする桜井。

 そして茅野は、あるページでぴたりと手を止める。

「梨沙さん、これって……」

「うん。見たことある」

 二人の視線の先。

 冨田昌子、阿岐信也、雨宮夏子、小関明日香という四名の名前の下部に、何と読むのか解らない文字列が記されている。

 その日本語を知らない外国人が適当に書いた漢字のような文字は、かつてグリーンハウスのパティオで発見した小猿の頭蓋骨に記されていた文字と良く似ていた。

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