【06】エントリー


 小関明日香は当初、冨田昌子の話をまったく信じていなかった。

 彼女が語ったクダンサマを呼び出す儀式というのが、いかにも胡散臭かったからだ。

 それでも、小関は一九九二年の九月上旬、その週の土曜日に学校が終るといったん家に帰り、約束通り大神町の外れにある『ファーストラウンド』というゲームセンターへと向かった。

 広大な田園地帯に囲まれた敷地の一画にある駐輪場に自転車を停めた途端、にわかにうなじの毛が逆立ったような気がして、思わず立ち止まり周囲を見渡す。

 それは、これから行おうとしているクダンサマの儀式に対しての緊張感ではない。単純に、この店に子供だけでやって来るのは、校則違反であったからだ。

 何度か子供同士でこっそり遊びに来た事はあったが、やはり店に入るまでは、どうにも挙動不審になってしまう。

 今回も小関は、きょろきょろと敷地の前を横切る車道へと視線を惑わせながら入り口へと向かい、重たいガラス張りの扉を押し開けた。すると、中から音の洪水が溢れ出る。

 小関は顔をしかめながら、入り口を潜り抜けて店内を見渡す。

 入り乱れる電子音と揺蕩たゆたう煙草の煙。

 ビデオゲームが並んだ右奥の壁には『ベガ禁止』という、知らない者からすると何の意味があるのか解らない文言が記された貼り紙があった。

 そして、正面奥のカウンターでは大学生くらいの不潔な容姿をした男の店員が“友情、努力、勝利”でお馴染みの少年漫画雑誌を熱心に読みふけっていた。

 客層はやはり高校生ぐらいが多く、中にはスーツを着た大人の姿も見られた。混んでいるというほどではなかったが、それなりに客は多い。

 そして、左奥の壁際に並ぶ自販機の前にある休憩コーナーだった。すでに冨田と雨宮、阿岐が椅子に座り、テーブルに缶入りの飲み物を並べ、何やら談笑していた。

 小関が休憩所の方へ向かう途中で、阿岐が気がつき手を振ってきた。

 小関も精一杯可愛らしく微笑んで手を振り返す。小走りで彼らの元へと駆け寄った。

 休憩所のテーブルはかなり大きめの楕円で、中央にはマジックやボールペンの入ったクッキー缶と、ブックエンドに立て掛けられたゲーム情報誌と新聞、コミュニケーションノートが置かれていた。

「……ごめん。待たせて」

「いや、俺も今来たところ」と、阿岐は言ったが他の二人は唇を尖らせて、小関の事を非難した。

 ギリギリではあるが、約束の時間に遅刻した訳ではない。それなのに、なぜいちいち文句を言われなければならないのか。

 小関は内心苛立ちながら、本当に阿岐がいなかったらこのグループは終わりだな……と、苦笑する。適当に冨田と雨宮の言葉を受け流した。

 ともあれ、小関が自動販売機でファンタグレープを買って、休憩所の硬い椅子に腰をかけると、阿岐が本題を切り出した。

「それじゃあ、全員揃ったところで、とっとと、やろうよ」

「……でもさ、こんなのやっぱり、嘘だって。本当なの?」

 雨宮が、ここに来て文句をたれる。

 しかし、小関も彼女に同意だった。これから、自分たちがやろうとしている事はあまりにも馬鹿げているように思えた。

 儀式の最初。

 それは、このゲームセンターのコミュニケーションノートに、参加する四名の名前を記して、ある呪文を書き込むというものだった。

 そうすると、クダンサマが夢に現れて、お告げをくだす。

 そのお告げは、予言された未来らしく、参加者はその通りに行動しなければならないのだとか。

 もし、お告げを無視したときは、クダンサマの怒りに触れ、儀式は失敗に終わり呪われるのだという。

 そして参加者は、そのお告げと同じ行動を取ったあと、再びコミュニケーションノートに名前と呪文を記す。すると、再びクダンサマが夢に現れて、お告げをくだす。参加者はお告げと同じ行動を取る。その繰り返し……。

 そうして、すべてのお告げを現実のものにすると、儀式の参加者の前にクダンサマが現れ、一つだけ参加者の望む未来を実現してくれるのだという。

「そもそもさあ……」と、小関は呆れ顔で肩をすくめて言葉を続ける。

「何で、この店なの? クダンサマって妖怪なんでしょ?」

 小関がいちばん引っ掛かるのがそこだった。

 古い伝承に出てくるような存在が、なぜ、この現代的な場所のコミュニケーションツールを使って人間とやり取りしようとしているのか。

 そう言った存在を呼び出す儀式といったら、もっと神秘的な……例えば、神社なんかの祭壇に向かって祝詞を唱えるだとか、床に魔方陣を描いて呪文を唱えるとか、そんなイメージがあった。

 しかし、このクダンサマの儀式は、あまりにもそれっぽくない・・・・・・・

 そして、もっとも疑問だったのは、この馬鹿馬鹿しい話を、冨田は、なぜ信じる気になったのだろうか、というところだ。

 自分が情報の発信源である事にこだわる彼女は、情報ソースを尋ねても常にはぐらかすばかりで口を割ろうとしない。だから、面倒で聞いていなかったのだが、そもそもクダンサマの儀式の事を彼女に教えたのは誰なのだろうか。

 その人物は、冨田にとって・・・・・・よほど信頼できる・・・・・・・・人物・・という事なのかもしれない。

 普段、あまり嘘や冗談を言わないような……。


「……すか……明日香……」

 そこで、雨宮に名前を呼ばれている事に気がつき、小関は思考の沼に沈み込んでいた意識を浮上させた。

「何?」

 と、尋ねると、目の前に開かれたコミュニケーションノートがあり冨田昌子、阿岐信也、雨宮夏子の名前が記されていた。

 そして、雨宮が黒いマジックペンを小関の方へと差し出しながら言った。

「……あとは、あんただけだから早く終わらせてよ」

「ああ、うん……」

 小関は言われた通りに雨宮夏子の著名の下に自分の名前を記した。

 すると、冨田が「かして」と言って、ノートとペンを自分の手元に持ってくる。

 そして、彼女はピンク色の小銭入れから小さく折り畳まれていたメモ用紙を取り出し、そこに記されていた文言を小関の名前の下に書き写した。

 それは、まったく見た事のない、意味も読み方も解らない漢字の羅列であった。

 そして、冨田が「これで、よし」と満面の笑顔で言ってノートを閉じた瞬間だった。

 小関はうなじの毛が逆立つのを感じて、反射的に後ろを振り向いた。

 しかし、そこには何もなく、薄暗い店内で明滅するゲーム筐体きょうたいと、それらで遊ぶ客たちの姿があるだけであった。

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