【05】追憶と雨音
屋根を打つ雨音が薄暗い店内に響き渡っている。昼近くになり、とつぜん激しい雨が降り始めたのだ。
大神町の役場前を横切る大通りに
客は妙な二人組しかいない。どちらも十代と思われる女子で、明らかに余所者であった。
一人はやたらと背が高く、もう一人は対照的に小柄であった。
しかし、その小柄な方がよく食べる。
チャーハンとカレーラーメン、そして、餃子もどうやら彼女のものらしい。
対する背の高い方は、醤油ラーメンのみだ。
そんな二人の容姿は垢抜けてはいるが、そこが逆に奇妙だった。こんな、何もない田舎に何の用があるのだろうか……。
と、オーダーをすべて作り終えたあと、カウンター席に腰をおろして、ぼんやりと二人の素性に思いを巡らせていると、背の高い方と目があった。
『はまだ』店主の賓田覚は気まずそうに目を逸らし、手に持った新聞を広げたまま、つけっぱなしだった古びたテレビを見あげる。
すると、ちょうど国会中継の様子が映し出されていた。どうやら時事系情報番組のVTRらしい。良く見知った顔の国会議員が何やら強い剣幕で捲し立てている。元芥川賞作家の
どうやら、政府のコロナ対策に関して何やら物申しているらしい。
そのままテレビに目を止めていると、不意に賓田の耳に、その単語が耳をつく。
「クダンサマ……」
例の二人組の客だった。
賓田は思わずはっとして、彼女たちの方を見た。
すると、その視線に気がついたらしい二人も彼の方へ顔を向けてきた。
「何か……?」
背の高い方が
賓田は一瞬だけ言葉に詰まり、気まずそうに笑うと「いや、すみません」と謝罪した。手に持った新聞へと視線を移す。
すると、厨房へと続くスイングドアの向こうから、妻の茂美が片手にお冷やのピッチャーを持って姿を現した。
茂美はいつも通りニコニコと笑いながら、二人の席に近づいてゆく。
「空いてるお皿、おさげしますねー」
そう明るい声で言って、お冷やをつぎ、空いた皿を手に持って再び厨房の中へと戻ってゆく。
その間、ずっと賓田は紙面の文字を目で追っていたが、まったく内容は頭に入っていなかった。
このとき、彼の脳裏にあったのは、今から二十八年前、一九九二年の思い出であった。
当時の賓田覚は中学三年生だった。現在の妻である塚田茂美と交際を始めたのも、この頃である。
そして、“何で塚田茂美なんかと付き合ったのか”と頻繁に質問を受けたが、賓田からすれば、なぜそんな質問をされるのかがまったく理解できなかった。
彼からすると塚田茂美は魅力的であり、性格もよく、まるで女神のような存在であったからだ。その認識は四十三歳になった今となっても、何一つ変わっていない。自分にとって彼女は運命の人だったのだろうと、本気で思っていた。
賓田覚と塚田茂美は幼馴染みで物心ついたときから、ずっと一緒だった。
それゆえに、賓田は彼女の見る人をほっとさせる笑顔や、常に周囲の気配りを忘れない優しさを、誰よりもよく知っていた。
やがて、お互いに成長し、小学五年生くらいになると、急に彼女の態度がよそよそしくなり、距離ができた事もあった。
あとから本人に聞いたところによると『自分のような女の子は、覚くんのそばにいるのに相応しくないと思っていた』との事だったが、賓田からするとまったく意味不明であった。
むしろ、当時は自分が彼女に嫌われてしまったのだと、思い込んでいた。
しかし、それでも、賓田の彼女に対する想いは潰える事はなかった。
ときおり、彼女が学校で独り寂しそうにしているところや、理不尽な言葉をかけられて引き
しかし、彼女に嫌われているかと思うと、二の足を踏んでしまい、行動に移す事ができなかった。そして、そんなとき、彼は深い自己嫌悪に陥り、彼女に対して強い罪悪感を覚えたりもした。
そんな
結果、賓田は一九九二年の節分の日――茂美の誕生日である――に、勇気を振り絞り、彼女に交際を申し込んだ。
結果、OKをもらい、晴れて交際をスタートさせる。
それからは、天国のような毎日が続いた。なぜもっと早くこうしていなかったのだろうと、賓田は後悔しつつも、彼女との青春を謳歌する。
そんな折であった。
彼の通う大神中学校の生徒が立て続けに自殺したのは……。
それは、一九九二年十月十九日の事だった。
この日は朝から、学校全体に不穏な空気が充満していた。この二日前に、二年の女子が町内の団地の屋上から飛び降り自殺をした事が原因であった。
その女子の名前は冨田昌子という。
賓田は直接の繋がりはないが部活の後輩に聞いたところ、どうやら歳上に気に入られるタイプらしく、交遊関係は幅広かったらしい。
そんな少女が、ある日突然、自ら命を絶った。
遺書は残っていなかったが、団地の屋上に彼女の靴が揃えて置いてあった事から自殺で間違いないであろうという話だった。
ともあれ、その日は朝から全校集会で、その話題が取りあげられ、命の大切さを説いた校長の長い話を拝聴する破目となる。
賓田にとって、顔も知らない後輩が死んだ事に関しては、いまいち実感が湧かないというのが正直なところであった。しかし、心優しい茂美はずいぶんと痛ましげな顔をしていたのを今でも覚えている。
そんな最愛の人を少しでも元気づけようと、賓田は全校集会が終わったあとの授業が始まるまでの短い休み時間に、彼女の元へと向かった。
当時、茂美とは違うクラスだった賓田は、自らの教室を出ると、彼女の教室を目指した。
そして、その戸口を潜りぬけようとしたとき、唐突な大声が彼の耳をついた。
「……嘘を吐かないでください!」
驚いて賓田は足を止めて、教室内を見渡した。すると、茂美と見知らぬ女子が睨み合っているではないか。
その女子は内履きに入ったラインや靴紐を見るに二年生らしい。
窓際の席に座った茂美を正面から見おろし、凄まじい形相で
茂美は戸惑いを隠しきれない様子で目を白黒させており、周囲の人間は遠巻きにそれを眺めている。
「おい! ちょっと、どうしたんだよ!?」
賓田は慌てて最愛の人の元へと駆け寄った。
しかし、見知らぬ女子は、そんな彼の事などまったく眼中にない様子で、茂美の机に両手をついて声を張りあげる。
「お願いです、先輩! 教えてください! クダンサマの儀式を止める方法を……このままだと、本当に私たち……」
「あの……何の事かぜんぜん……」
苦笑する茂美。
「だから! しらばっくれるなっ!」
女子が茂美に掴み掛かろうとする。
「おい! やめろ!」
流石に止めに入る賓田。女子の肩に手をかける。
「はなしてっ! 何も知らない癖に!」
そのタイミングで、生活指導の
女子は腕を掴まれて半狂乱のまま、無理やり教室の外へと連れて行かれた。
この騒ぎの二日後だった。
その少女――雨宮夏子が、同級生の阿岐信也と共に、自宅近くの公園にあった桜の樹に縄を掛けて首を吊ったのは……。
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