【06】暴食


 それは、謝罪配信二日目。

 この日のメニューは大量のミートソーススパゲティであった。何とか一時間三十分で完食を果たす。

 配信が終わった瞬間、胃にもたれていた未消化のミートソースが物凄い勢いで食道をかけ昇った。山添は嗚咽おえつを漏らしたあと一気に頬を膨らませた。

 すると、右側のスチールデスクでパソコンモニターを眺めていた白髪の男が椅子から腰を浮かせ、近くの壁に立て掛けてあったレミントンM700を手に取った。

 素早くボルトを動かし、その銃口を山添の方へと向ける。

「一欠片でも吐き出したら殺す」

 山添は血走った目を大きく見開きながら、どうにか口腔こうこうに貯まったものを再び飲み込んだ。

 しかし、喉が胃液で焼けただれたようにひりつき、何度も激しく咳き込んでしまう。

 その間もずっと、白髪の男はレミントンを構え続けていた。

 山添はどうにか乱れた呼吸を鎮めると、銃を構える男に向かって問いただす。

「あ、明日も、まだやるんですかぁ……?」

「当たり前だろう。明日は焼き肉パーティだ。どうだ? 楽しみだろう」

 山添は目の前に置かれた大量の肉の塊を想像し、再び込みあげてきた吐き気を必死にこらえた。

 すると、男は鼻を鳴らして笑うとレミントンを壁に立て掛け、椅子に腰をおろす。

「明日は何を喋ってもらおうか。そうだな……」

 男は思案顔を浮かべたのちに再び口を開いた。

「……どうせ、あの子の他に何人も手篭てごめにしてきたんだろ? その華麗なる女性遍歴を語ってもらおうか」

「うぅ……」

 山添は呻きながら、涙を流し始める。

 配信はいつも大食いに入る前に、事前に指示された内容を喋らされた。

 一日目は、井筒朔美に行った所業についての謝罪。

 二日目のこの日は、井筒朔美と過ごした日々を思い出せる限り語った。

 配信中、白髪の男はずっとレミントンを構えているため、余計な事は何一つ、口にできない。限界でも食べ物を口の中に詰め込み続けなくてはならない。

 その緊張感が胃袋を収縮しゅうしゅくさせ、更に大食いを困難なものにしているのだが、それでも山添は食い続けなければならなかった。

 そのお陰で、彼は既に食事という行為から得られる喜びを忘れつつあった。

 もう何も口に入れたくない。水も飲みたくない。永遠に続くかのような膨満感ぼうまんかんと、ときおり喉の奥で暴れ回る吐き気。

 食べ物が美味しいという感覚を思い出せない。

 しかし、その一方で、井筒朔美についての様々な情報を思い出す事ができた。この地獄のような配信が始まる前は、名前すら忘却の彼方だったというのに……。

 彼女の顔。

 抱き心地のよい身体。

 いじめられていた事があり、中学の頃はあまり学校に行ってなかったらしい。そんな毎日で陽輝の配信が心の支えだったと、少し照れ臭そうな笑顔で語ってくれた事。

 食品加工工場で働く母との折り合いが悪い事。

 その母のクレジットカードを使ってスーパーチャットを送っていた事がバレて大喧嘩になったらしい事。

 自分の素行については口煩く言う癖に、母親は男と遊び回っているらしい事。

 いつも冗談っぽく、大人になったら結婚して、貧乏な実家から抜け出して幸せになりたいと語っていたが、あれは本気だったのだろう。

 そして……。

 山添はパソコンで何やら作業中の白髪の男の顔をうかがいながら思い出す。

 井筒朔美が言うには・・・・・・・・・彼女の父親は・・・・・・ずっと昔に・・・・・交通事故で・・・・・亡くなって・・・・・いるのだという・・・・・・・。 


 ……では、あそこにいる男は誰なのだろうか。


 山添は背筋をかけ昇る怖気おぞけに、その身を震わせた。




 四人を乗せたミニバンの車窓は藤見市郊外の田園から山深い山林へと移り変わっていた。

 駒場が合流してから桜井と茅野の身支度に時間を取ったため、時刻は既に十八時に近づこうとしている。

 何かの予兆めいた不吉な色合いの夕陽が、長く伸びた木々の影を路面に横たわらせていた。

 このまま順調に行けば日が沈む前に、目的の六骨鉱泉に辿り着く事ができるだろう。

 ともあれ、このときの車内では、茅野が饒舌に語り始めていた。

「……監禁と大食い動画といえば、Kateケイト Yupヤップを思い出すわね」

「けいと、やっぷ……?」

 桜井が首を傾げ、茅野が解説を始める。

「Kate Yupは二〇一八年の四月頃から活動していた正体不明の女性Youtuberね。登録者数は、そこの助手席に乗ってる人より三十万人以上多いわ」

「すぐ抜くし……」

 などと、むっとした顔をする土井であった。茅野は話を進めて、さらっと流す。

「彼女が投稿していたのは、いっけんすると普通の大食い動画なのだけれど、いろいろと不自然な点がある事で有名なのよ」

「不自然な点……例えば?」

 桜井の質問に茅野が答えを述べる。

「例えば、彼女の口元や腕に傷痕が見られたり、ある動画では急かすような男の声が入っていたり」

「歯が抜けたけれど、大食いを続行した動画もあったわね」と、土井が声をあげた。茅野は頷き、話を続ける。

「……大食いの最中に、おかしなリズムで指を動かして机を叩いていたり、二〇一九年十月二十五日に投稿された最後の動画では、Kate本人が『この一口で安心して死ねる』なんて言葉を残しているわ。これらの不自然な点を考察する人が現れ初めて“彼女は監禁されて、無理やり大食いをやらされているのではないか”という疑惑が一部で持ちあがったの」

「大食いの最中に指を動かしているのは、助けを求めるモールス信号ではないのかという話もありましたね」

 と、駒場が言った。けっきょく、土井以外にも敬語を使う彼女だった。

 それは兎も角、一連のKate Yupに関する説明を聞いた桜井の表情は、更なる混迷の色に染まる。

「けっきょく、そのケイトさんの動画は何だったの?  普通の大食い動画じゃなかったの?」

 そんな彼女の発した疑問に対して、茅野はかぶりを振り、肩をすくめた。

「……真相はよく解ってないわ。まあ、監禁は嘘で、Kate Yup本人の自作自演だというのが定説ではあるのだけれど」

「そなんだ。確かに、何でわざわざ監禁して大食いやらしてるんだって話だよね。あたしなら監禁されなくても大食いするよ」

 桜井は得心した様子で頷く。

 すると、茅野が鹿爪らしい表情で右手の人差し指を立てる。

「……梨沙さん。それは、今回の陽輝の配信にも言える事よ。彼が何者かに大食いを強要されているのだとしたら、その意図は何なのか」

「少女を弄んで自殺させた罪に対する罰でないの?」

 その土井の言葉に、茅野は首を横に振る。

「だったとしても、わざわざ大食いをさせる意味が解らないわ。その自殺した少女の復讐が目的なら、陽輝を殺したって構わない訳だし、苦しめたいなら、もっと簡単で効果的な拷問方法なんかいくらでもあるわ」

「怖い事、言うのね」

 土井が苦笑する。すると、茅野は思案顔で言った。

「……わざわざ、こんな事をするぐらいだから、きっと、何かの意味があるはずよ」

「……本当に何なんでしょうかね」

 そう言って、駒場はフロントガラスを見据えたまま、表情を曇らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る