【04】ハニートラップ


 それは四日前の事だった。

 人気YouTuberの陽輝こと山添春樹やまぞえはるきは飢えていた。

 二〇二〇年の二月頃から全世界で猛威を振るい始めた新型コロナウィルスのせいで遊び歩けなくなってしまったからだ。

 お陰で世間の人々は巣籠もりをするようになり、その影響で彼のような配信者の需要は高まる。

 だが、それを差し引いても溜まりに溜まった性的欲求を解消し辛くなってしまった事は大きな痛手であった。

 このときの山添のもて余した肉欲は暴発寸前だった。

 もし、彼がもう少しだけ冷静ならば、このあとに起こりうるすべての災難を回避する事ができたであろう。しかし、性欲の虜となった彼の脳裏には分別や理性的な思考というものが欠片も残されていなかった。

 この日の山添は、久し振りに女性ファンと顔を合わせる予定であった。いわゆる、オフパコ目的である。 

 彼は昼過ぎに身支度を整えると都内某所にあるホテル『ムーラン・ルージュ』へと向かった。

 因みに、ここを待ち合わせ場所に指定してきたのは相手の方であった。

 時間が昼過ぎなのは、相手がまだ十五歳で親の目があるため、夜間に出歩く事ができないからだった。

 彼女は陽輝のメンバーシップ歴半年くらいで、配信時のチャットやSNSでの言動を見た結果、筋金入りのガチ恋勢らしく、そこに嘘はなさそうだった。何度か自撮り写真を送らせ、容姿の確認も怠らなかった。

 すべてに抜かりはない。そう思い込んでいた。

 ともあれ、山添はサングラスや大きめのベースボールキャップ、口元にはマスクをつけて人相を隠し、普段の配信で見せているイメージとはまったく違うB系ファッションに身を包んで、意気揚々と現地へと向かった。

 そして、約束の時間十分前に、閑散とした地下駐車場の一画へと車を停めて運転席を降りる。地下階の入り口へと向かおうとしたところで、背後から誰かに声をかけられた。

「すいません」

 男の声だった。

 そこから先の記憶がない。



 後頭部に鈍い痛みを感じて目を覚ました。

 顔をあげると、目の前には大きな木の机。その上にはコンデンサーマイクとビデオカメラ、白く輝くリングライト……なぜか、机の端には紙ナプキンに乗せられたナイフとフォークがあった。

「……何だこれ?」

 山添は辺りを見回す。

 椅子の両脇と、右手の壁際のスチールデスクの近くに置いてある三脚に取りつけられた照明。

 その光に浮かびあがった部屋は見知らぬ場所だった。汚れたコンクリートの床や壁。ブルーシートの張られた割れ窓。まるで、どこかの廃屋のような……。

 そこで、彼は自分の格好がおかしい事に気がつく。

 なぜか上半身だけ黒いスーツ姿で、下半身は何も身につけていない。

 そして、手錠によって両手両足を拘束されているではないか。

「な……何だこれ」

 ようやく脳に血が巡ってきて、自らの置かれた状況が深刻である事を理解する山添。身を捩って叫び散らす。

「おい! おい! 何だこれは!? こんなん、シャレになってないぞ!? ふざけるな!? おいっ!」

 しかし、答えはない。

 耳の痛くなるような静けさの中、ギシギシ……と、椅子が軋むのみであった。

「おい! ふざけるな! 何かのドッキリか!? どこのチャンネルだこれ!? 本当にいい加減にしないと、訴えるぞ!?」

 すると、そのときだった。

 彼の鼻先に、ふわりと食べ物の匂いが漂った。

 焼けた肉の香り……。

 それは、徐々に近づいてくる足音と共に、次第に強くなっていった。

 やがて、二つある扉のうちの一つが錆び付いた音を立ててゆっくりと開く。

 その向こうから姿を現したのは、白髪の男だった

 痩せぎすで身長はかなり高いようだ。作業着に革のエプロンを着けている。右肩に釣りかゴルフに使うような細長いバッグを担いでいた。

 そして、湯気立つ大皿を乗せたステンレス製のキッチンワゴンを押して、室内へと足を踏み入れる。扉を閉めた。

「何だ、お前? 誰なんだよ!? どういうつもりなんだ?」

 男は何も言わずにワゴンの上から大皿を両手で持ちあげ、ニタニタと笑いながら山添の方へとやって来る。

「おい! 何だそれは! おい!」

 やはり男は山添の言葉には返事をしなかった。両手に持った大皿を机の中央に置く。

 その皿に乗せられたのは、大量のハンバーグだった。一つの大きさが掌ほどもある。

 男は目を細めて神経質そうに笑った。

「あー。美味しそうだろう?」

「お前、お前、何なんだよ……いったい、何が目的なんだ? お前、誰なんだよ……」

 男は山添の疑問に答えようとしない。まるで、独白のように淡々と語り続ける。

「彼女の好物だった」

「おい! 何の話をしているんだ? 何を言っている!?」

 必死に声を張りあげる山添。しかし、男は答えようとしない。

「……他にも、ステーキ、カレー、牛丼、ミートソーススパゲッティ。どれも子供が好きそうな料理ばかりだ」

 男はコンデンサーマイクやビデオカメラのスイッチを入れてゆく。

 そして、右手にあるスチールデスクの元まで歩み寄り、近くの壁に長細いバッグを立て掛けた。それから机の上に置かれていたパソコンを立ちあげ始める。

 山添がよりいっそう声を張りあげる。

「おい! いい加減にしろ! 訳のわからない事ばかり……」

「井筒朔美」

 男は壁に立て掛けた細長いバッグを手に取り、ファスナーを開けた。そして、中から取り出したのは、レミントンM700であった。

 男はエプロンのポケットから摘み出した弾丸を込め始める。

「な……何だよ!? 何なんだ、それは? 本物……じゃないよな? おい!!」

 やはり男は山添の言葉には答えず、銃口を天井に向けるとおもむろにトリガーを引いた。

 轟音が山添の鼓膜をつんざく。

 その瞬間、彼は驚きのあまり粗相をしてしまった。

 排泄された汚水は座板に空いた穴から、真下のバケツへ流れ落ち湯気を立てた。

 男が硝煙立ちのぼる銃口を山添に向ける。

「もう忘れてしまったのか? 私の娘の名前を……」

 そこで山添は、ようやく思い出す。それは、かつて自分がもてあそんだ少女の名前だった事を……。

 男は目を細めて凄絶せいぜつな笑みを浮かべた。

「これから、お前には私の言った通りにしてもらう。もしも逆らえば、その瞬間に躊躇ちゅうちょなく殺す。返事は『はい』だ」

「はい」と言う以外になかった。

 こうして、地獄のような配信が始まった。

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