【03】スピード感


「むつぼねこうせん……?」

 桜井が首を傾げ、間髪入れずに茅野が解説を始める。

「六骨鉱泉は赤牟市の近くの山中にあるわ」

「あー、あのやばい人形のあった家とかやばいトンネルの近くなんだ」

「そうね」と、茅野が桜井の言葉に頷くと、土井は眉をひそめた。

「ヤバい人形とヤバいトンネル……?」

 その言葉を無視して茅野は説明を続ける。

「名前の通り鉱泉を追い焚きした入浴施設が売りの宿泊施設だったのだけれど今は廃墟となっているわ。一応、心霊系の話はあるにはあるけれど、信憑性はないわね。どちらかというとオカルト界隈よりも、廃墟マニアの間でよく取りあげられるスポットね」

「その“こーせん”って、そもそも何なのさ? ビーム系の攻撃?」

「簡単にざっくりと説明すると、温い温泉の事ね。ただ環境省の定めた指針によると、地下から湧く泉水で、多量の固形やガス状などの特殊な物質を含むか、泉温が泉源周囲の平均気温より常に著しく高温を有するものとなっているので、温度の高い温泉も含めて鉱泉というのが正しいのだけれど」

「ふうん」

 と、いつものように興味なさそうな返事をする桜井であった。そんな彼女のリアクションに不安げな表情を浮かべる土井に対して、茅野は質問を発した。

「……それで、陽輝本人は、配信枠外で今回の件について何らかの言及を行っているのかしら?」

 土井は神妙な顔で首を横に振った。

「何も。彼のすべてのSNSは四日前からすべて止まっているわ。一応、連絡を取ろうと試みたけど、返事は今のところないわね。ただ、彼のマネージャーが言うには、あの配信があった直後に彼から通話があったそうよ」

「どんな?」と、桜井が促す。すると、土井は視線を上に向けながら答える。

「えーっと、“今回の配信は自分の意思でやっている。一週間で帰るから、心配しないで欲しい。今後についても、そのとき話し合いたい”だっけな。だいたい、そんな意味のような事を言ったらしいわ」

「嘘臭いね……」と桜井。

 茅野も頷き「これを信じるくらいなら、いわしの頭でも信じた方がマシね」

 土井はスマホの画面から目線をあげて話を続ける。

「……一応、彼のスタッフたちの間で警察に相談しようって話もあったらしいんだけど」

「本人から心配ないと連絡があった上に、配信自体は本人が自らの意思で行っていると言ってる訳だから、警察も動きようがないでしょうね。未成年に淫行を働いたという件も、被害者の具体的な素性を明かしている訳でもないし、本人の発言のみだから事実だという確証もない」

 と、茅野が言うと、土井は重々しい表情で頷く。

「そうね。因みに今のところ、女が“むつぼねこうせん”と繰り返し呟いている件について、気がついているのは私たちだけね。恐らく」

「でも、時間の問題でしょうね。そのうち誰かに気がつかれるわ」

 と、茅野が言うと、土井は再び鹿爪らしく首肯する。

「……だから、その前に六骨鉱泉に凸するつもりなんだけど、あなたたちもどうかしら? もちろん撮影はするけれど、あなたたちの声は変えるし顔も映さないわ。名前も出さない。私は約束を守るYouTuber。あなたたちは、現地に足を運んだ事のある廃墟マニアで、案内役として同行したっていうていで。どうかしら?」

 すると、茅野は桜井と顔を見合わせたのちに、がたりと椅子から立ちあがる。

 桜井が空になった皿とグラスをまとめ始めた。

 二人を見あげながら、戸惑いの色を浮かべる土井。

 そんな彼女に対して、茅野は呆れた様子で言った。

「何をやってるの?」

「え、何って?」

 きょとんとした表情で、目をまたたかせる土井に向かって、桜井はさも当然とばかり言った。

「何って、六骨鉱泉に行くんでしょ?」

「は? 今から……?」

 土井は唖然として言った。茅野は大きな溜め息を吐く。

「こういうネタは鮮度が命よ。貴女は、そんな事が解らないほどレベルの低いYouTuberではないはず」

「いや、えっ? 本当に今から行くの? スピード感、エグくない?」

 そこで茅野は、カウンター奥の壁に掛かった振子時計の文字盤に目線を這わせた。

「……六骨鉱泉まで車でだいたい一時間弱っていうところかしら? 何とか日付が変わる前には帰ってこれそうね」

 そして、桜井がいつになく瞳をきらきらと輝かせて言葉を続けた。

「もし、その大食い配信やってる人が、誰かに脅されて監禁されているんだったら、早く助けてあげなくちゃ!」

「少なくとも、六骨鉱泉に何があるのか一刻も早く確かめるべきだわ。彼の安全のためにも……」

 その言葉を発した茅野の頬は弛んでいた。

 二人の表情を見た土井は『あっ、こいつら楽しんでるな……』と思ったが声には出さなかった。代わりに再びスマホに指を這わせる。

「待って。今から私のスタッフに連絡するわ」

 どうやら、彼女も切り替えたようである。ホテルの部屋で待機しながら動画編集を行っていたスタッフにメッセージを送る。

 にわかに盛り上がり始める三人を、カウンター内から眺めていた智子は声を張りあげる。

「梨沙、何だか知らないけど遅くなるなら、ちゃんとお母さんたちに連絡しておきなさいよ?」

 こうして、桜井と茅野は六骨鉱泉が所在する赤牟市の郊外を目指す事となった。




 ちょうど、その頃だった。

 そこはコンクリートが剥き出した殺風景で広い部屋だった。

 屋外に面した窓の硝子はすべて割れ落ちており、代わりにブルーシートが貼られていた。二つ扉があったが、どちらもその荒廃した部屋には似つかわしくないほど真新しい。

 その部屋の中央には、椅子に座らされ俯く男が一人。

 YouTuberの陽輝であった。

 彼は明らかに憔悴していたが、その頬肉は数日前より浮腫むくんでおり、不健康に脂ぎっていた。髪もギトギトでゴキブリのように輝いている。

 両手を後ろ手にされ、手錠によって背もたれの裏で拘束されていた。その彼の両脇には三脚に取りつけられた照明があった。現在、明かりは消えている。

 それよりも目を引くのは、彼の下半身であった。

 ズボンや下着を身につけておらず、手錠で両足首を椅子の脚に繋がれていた。

 椅子の座面には穴が開いており、その真下には汚物を受け止めるバケツが置いてある。すでに悪臭が立ちのぼっており、何匹かの蝿が渦を巻いていた。

 そんな彼のすぐ目の前には大きな木製の机があり、そこには最低限の配信機材がセットしてあった。

 コンデンサーマイク、ビデオカメラ、リングライトなど……。

 それらから伸びた配線は、部屋の右隅にあるスチールデスクの上に置かれた災害用のポータブル電源、パソコン、ミキサーなどに繋がれていた。

 この机の近くにも三脚に取りつけられた照明が置いてある。室内に存在するのは以上であった。

 そんな中で、彼は緩慢かんまんに瞬きをしながら、これまでの経緯を振り返る――。

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