【01】人気者
二〇二〇年九月七日の放課後であった。
桜井と茅野は授業が終わると、いつものように部室へと向かった。この日は茅野が持ってきたDVDを鑑賞する予定だった。
生徒玄関で靴を履き替え、グラウンドの隅にある部室棟を目指す二人。
「……それで、どんな映画なの?」
「今日は、
「何が
などと、呑気に言葉をかわす二人。
すると、おもむろに、桜井の首からネックストラップで吊るされていたスマホが、着信を報せる電子音を奏で始めた。
桜井は足を止めてスマホを手に取り、画面を
「……あ、お姉ちゃんからだ」
「智子さん? 何かしら」
茅野は
「もしもし……うん、うん、うん……え? うん……解った」
通話はごく短時間で、智子が何やら一方的に用件を告げて終わったらしい。
「智子さんは何て?」
その茅野の質問に、桜井はどこか釈然としない顔つきで答える。
「何か、お店にあたしたちを訪ねて人が来てるみたい」
お店とは桜井のバイト先であり、智子とその旦那が経営している『洋食、喫茶うさぎの家』の事だ。
ともあれ、茅野は眉をひそめる。
「誰なのかしら……?」
「さあ? “ドイサン”だって」
桜井が肩を
「ドイ……土井……ドゥーイ……心当たりがまったくないわね」
「だよね」
「それで、その人は私たちに何のようがあるのかしら?」
「何か、あたしたちにお礼がしたいそうだよ。待ってもらってるから、今すぐ帰ってこれないかって」
その言葉を聞いた茅野の表情は、ますます混迷を深める。
「待って。お礼? いつも好き勝手放題にやり散らかしている私たちが、人にお礼を言われるような事なんかしているはずがないわ」
「名推理だね」と、あっさり同意する桜井。
茅野は目を細めて
「……これは、怪しいわ」
「だよね」
「とりあえず、何にしろ、面白い事が起こりそうだから、今すぐ行ってみましょう」
「らじゃー」
二人は
からからとカウベルを鳴らしながら店の入り口を潜り抜けると、一人の女性客が目に入った。
地味な色合いのバケットハットを被り、大きめのサングラスを掛けているため、人相はよく解らない。珈琲カップを片手にカウンターを挟んで、智子と和やかに談笑をしている。
平日でピークタイムではない店内には、彼女以外の客の姿は見られない。
その人物は、店内に姿を現した桜井と茅野の姿を見るやいなや、ストゥールから腰を浮かせて二人の元へとやって来る。
「……お久し振り。その節はどうも」
などと、第一声を発するが、桜井と茅野はピンと来ていない様子で顔を見合わせる。すると、その人物は申し訳なさそうに笑い、帽子とサングラスを取った。
「ごめんなさい。突然、押し掛けて」
しかし、桜井は……。
「誰?」
茅野の方も……。
「さあ。誰だったかしら?」
と、わざとらしく首を傾げた。すると、その人物は眉を吊りあげていきり立つ。
「ちょっと、ちょっと! 私よ、私! この顔を見れば解るでしょ!?」
「あー……!」
桜井はようやくピンと来たようである。一方の茅野は、意地悪な笑みを浮かべていた。どうやら、最初から解っていたようだ。
「まったく、この一流YouTuberの私の顔を忘れるだなんて……!」
彼女こそ、登録者数八十八万人の女性YouTuber“さやぽん”こと土井咲耶であった。
桜井と茅野は、夏休み終盤に訪れた心霊スポット“えびす荘”にて、監禁されていた彼女を偶然にも救出していた。
アイドル風の清楚なルックスに似合わず、ガッツ溢れる企画動画を次々にアップし続ける彼女は既に一定の評価を集めてはいたが、今回の一件で世間の注目を更に集め、
「……ごめん。あたし、ゆーちゅーぶは、格闘技と料理と、どうぶつしか見ないんだ。夏休みの宿題もあったし……」
桜井が申し訳なさそうに謝る。基本的に彼女の記憶力はよい。しかし、興味のない事についてはとことん脳のリソースを割かない気質が災いして、土井の存在をすっぽりと忘却の彼方へ葬り去っていたようだ。
一方、茅野は呆れた様子で肩を竦める。
「……いや貴女、二週間前まで変質者に監禁されていたのに、元気過ぎないかしら?」
この言葉に土井は鼻を鳴らして、どや顔で言い放つ。
「むしろ、これをネタに出来なかったらYouTuber失格よ。別に何かされた訳でもないし。監禁してくれてありがとう! お陰で登録者数が爆アゲです! ごちそうさまでした! あざーっす! 変質者のおっさんっ!」
「循、この人、頭おかしい……」
「メンタル強すぎて怖いわね……」
さしもの二人も、土井の狂気にどん引きであった。
そこで、カウンターの中から事の次第を見守っていた智子が声をあげた。
「何だか知らないけど、座ったら?」
三人は彼女の言葉通り、店内最奥にある四人掛けの席に腰をおろした。
着席して早々、桜井が「おやつを作ってくる」と言ってバックヤードへと消えた。
じきに智子がアイス珈琲を持ってきて、人数分のグラスを置いて立ち去る。
すると、茅野は自らのグラスにガムシロップを投入しながら質問を発した。
「よく、私たちの素性が解ったわね。それも、この短期間で」
えびす荘で土井を救出した際、桜井と茅野は己の素性をいっさい彼女に明かしていなかった。
だから、なぜ彼女が自分たちの元へと辿り着けたのか、純粋に不思議だったのだ。
土井はもの凄いどや顔で鞄の中からスマホを取り出し、画面に指を這わせ始めた。
「それは、これのお陰よ」
と、彼女が掲げたスマホの画面に映し出されたのは智子の写真であった。この店の店内で撮影されたものらしく、ふりふりの可愛らしい制服を身に着けて、トレイを抱えた彼女が写し出されていた。
それを見た茅野は得心した様子で頷いて一言。
「なるほど」
それは、およそ一年前の夏に、店を訪れた客によって撮影されたものだった。この写真は後にネットへとアップされ“可愛いメイドさんのいる店”として一部で反響を呼んだ事があった。
「……この写真を偶々知っていたから、後は簡単だったわ」
桜井梨沙と、その姉である武井智子の年齢は離れているが、容姿自体はよく似ている。それで、土井はピンと来たらしい。
「……この店の事を調べて、人気者の私が、あなたたちに会いに来たっていう訳。どう? 嬉しいでしょ?」
茅野は冷静な様子でアイス珈琲を一口だけ
「私たちにお礼がしたいそうだけど」
すると、土井は今し方、本題を思い出したような調子で身を乗り出す。
「そうよ! 私は義理堅いYouTuber。受けた恩は忘れない。だから、あなたたちを、このさやぽんの恩人として、私のチャンネルに出してあげる!」
得意げに胸を張る土井。しかし、茅野は……。
「嫌よ」
「これで、あなたたち二人も全国区の有名人になれるわ! 私のチャンネルで顔出しすれば、一夜でSNSのフォロワー数が爆あがり! どう? 嬉しいでしょ? あなたたち、二人とも可愛いから、すぐに人気者になれる! 私が保証するわ!」
興奮のあまり、話を聞いていない土井に対して、茅野は絶対零度の声音で同じ言葉を繰り返す。
「嫌よ」
そこで、ようやく土井は茅野の言葉が耳に入ったらしく、大きく目を見開いて
「嫌?」
「嫌」
「嫌って何が?」
「貴女の動画のネタにされるのが」
その茅野の言葉に、場の空気が一気に凍りついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます