【17】心霊スポット特有


 二〇一二年のショッピングセンターの事件において、たった一人だけ辺見和華に疑いを持った人物がいた。

 兄の辺見静馬である。

 彼は二年前の父親の葬式で、妹の笑顔を目撃してしまった。

 そのときから、自分の妹が常軌を逸した心理の持ち主なのではないかという恐れを常日頃から抱いていた。

 そこで、今回の母親の死を受けて、疑惑がよりいっそう確信に近づいたのだが、一方で血を分けた妹が己の両親を亡き者にしたなどと、どうしても信じたくなかった。したがって、その最悪の想像を否定し、忘れようと努力した。

 一方で、辺見和華はというと、その兄の嫌疑を敏感に察知していた。

 すぐに三人目、四人目と被害者の山を積み重ねたかったが、下手に動くのは危険であると考えて殺人を自重する。

 兄を殺す事も考えたが、そうなってしまえば、今度こそ自分に警察の疑いの目が向くかもしれない。

 せめて、次の殺人は、もう少し大人になって、子供の今よりも自由に動けるようになってからにしようと決める。それまでは、動物で我慢する事にした。

 そんな時期に、彼女は實田郡司と出会う。

 辺見は彼を少し観察して、すぐに悟る。

 實田はプライドが高く自分を特別だと勘違いしている操り易い人間であると。後にクラスメイトへの暴行事件を起こす事となる、内に秘めた暴力性も彼女は見抜いていた。

 辺見は實田の心を操って、彼に兄を殺させる事にした。しかし、この計画は失敗に終わる。

 原因は主に二つ。

 まず一つ目は、想定よりも實田の行動力がなかった事。

 兄を異常者にしたてあげ、囚われの姫君を演じても、彼は一向に動こうとしなかった。

 確かに實田は、自分は特別でありたいと思っていたが、その反面で己の凡庸さも深く自覚していた。彼は良くも悪くも普通で、簡単に殺人を行えるほど異常な人間ではなかったのだ。その辺りを彼女は見誤っていた。

 そして、二つ目。

 それは、二〇一五年八月二十五日に、常磐知世が自宅近くの高架橋の階段で足を滑らせて亡くなった事だった。

 この事故に関しては、まったくの偶然で、辺見和華はいっさい関わっていなかった。

 しかし、兄の静馬はそう思わなかった。

 妹を止めるため、そして、両親や親しくなり掛けていた常磐の仇を討つために、彼は復讐者となった。

 人殺しの怪物である妹が、唯一苦手とする道化衣装を身にまとって……。

 こうして、辺見和華は兄の静馬に殺され、その静馬もまた自らの犯した罪を償うために、庭木へと紐をかけて首をくくった。一度は妹の死体を隠して、殺人の隠蔽を図ろうともしたが罪の意識に耐えられなかったのだ。

 こうして、辺見家には誰もいなくなった。

 しかし、コルロフォビアの妹とトライポフォビアの兄の闘争は、その肉体が朽ち果てても終わる事はなかった。




『……その失踪した女子中学生、そこにまだいるわ・・・・・・・・

 九尾天全の声が、桜井の手の中のスマートフォンから響き渡る。

 どうやら、まだ仕事先の逗子らしい。桜井から送られてきた写真を見て、気になってしまったようだ。

 その九尾からの通話に、桜井がワンコールも待たずに出て、スピーカーにする。

 それから、茅野がこのスポットについて知り得ている情報を説明し終わったところであった。

「じゃあ、彼女の死体が、まだこの家にあるかもって事?」 

 その桜井の問いに、九尾は『ええ』と肯定して話を続けた。

『具体的な詳しい場所までは流石にちょっと電話越しだと解らないけど、その死体のせいで、女の子の霊は、この土地に縛られている』

「地縛霊? センセ」

『そうね』

 と、桜井の言葉に答える九尾。すると、ここで、黙って話を聞いていた茅野が口を開く。

「この家に死体を隠されている……という事は、当時の唯一の同居人であった彼女の兄の仕業かしら?」

『だと思うけど……』

 その九尾の返事を聞いて、ご満悦な笑顔を浮かべる二人。死体を探す気満々である。

 ともあれ、九尾の話は更に続く。

『そのお兄さんと妹の霊は互いに牽制し合ってて、その力は拮抗しているみたいだから、それほど危険はないけれど……』

「何だ……」と、しょんぼり顔の桜井。

 九尾は電話の向こうで苦笑する。

『ただ、“相性”の近い人が近くにいたら、かなり危険かも……』

 万物には“相性”という物がある。その“相性”が離れている物事は、干渉し合えない。

 その“相性”が近寄り、霊から干渉を受ける事を“祟り”や“呪い”という。

 逆にこの“相性”が離れていれば、何をやっても祟られないし、呪われる事はない。

『誰かに憑依してしまえば、その土地から自由に動けるようになるし、きっと女の子の霊も、それを目論んでいるはず。あなたたちとは“相性”が遠いみたいだから、安全だと思うけど……』

 そこで、明らかに落胆する二人。

『それでも、霊同士の争いに巻き込まれて思わぬ被害を受ける可能性もあるし、確実にいい影響はないから、早くそこを出た方がいいわ』

「……と、言って、むざむざと帰る私たちだとお思いかしら?」

 と、茅野がどや顔で言い返した。すると、スマホの向こうから九尾の深々とした溜め息が聞こえる。

『デスヨネ……』

「そんな事よりさあ、センセ」

 と、桜井が急激な話題転換を図った。

「センセの方は仕事上手く行ってるの?」

『えっ。あー、うーん……仕事じゃないんだけど! 観光なんだけど!』

「いや、そういう嘘は、もういいって」

 呆れ顔の桜井。そして、茅野も続く。

「流石の私たちでも、今から逗子に押し掛けたりしないわ。だから、どんな仕事なのか参考までに教えて欲しいのだけれど……」

『あ、うーん、ごめんなさい。ちょっと、電池切れそうだから、また今度……』

「あ、センセ?」

 その桜井の呼び掛けも空しく通話を切られてしまう。

「逃げたわね」

 茅野が眉を釣りあげる。

 そして、廃屋の室内には再び静寂が舞い戻ったのだった。




 ……あの二人は、私の秘密を探ろうとしている。早く殺して!


 頭の中に響き渡る辺見和華の声に従い、かつて彼女の部屋だった場所の扉口の外から様子を窺う實田郡司。

 あの侵入者二人が何の話をしているのかはよく聞き取れなかった。しかし、ときおり室内からは笑い声があがったり、誰かと電話越しに楽しげな声音で通話をし始めたり、明らかにまともではないと解る。

 彼は包丁の柄を握り締めた右手に力を込めて、じっと待ち続けた。

 すると、何者かとの通話を終えて、中の二人が部屋の外に出ようと扉口へと近づいてくる気配がした。

 實田は喉を鳴らして唾を飲み込み、息を殺した。

 扉口の向こうから「逗子と言えば、やっぱり鯛めしだよね」などと、呑気な声がした。誰かが扉口を跨ぎ、廊下に出てくる。

 その左側から、實田は包丁を両手で握り直し、いっぱいに振りあげて襲い掛かる。

 しかし、彼の記憶にあるのは、そこまでだった。



「……いったい何なのかしら?」

 室内から聞こえた茅野の声に、扉口の桜井が答える。

「たぶん、心霊スポット特有の頭のおかしい人でしょ」

 そう言って、廊下に突っ伏したまま気絶して動かない男を見おろした。その表情には特に驚きの感情は見られない。

「……この人が循の言ってた二階の窓から覗いていた人なのかな?」

「恐らくそうじゃないかしら」と答えながら、茅野も廊下に出ると、伸びたまま動かない男の両腕を背中に回して、鞄の中から取り出した手錠で拘束した。

「死体を見つけたあとで、篠原さんに引き渡しましょう」

「そだね」

 と、二人は突然襲い掛かってきた男を廊下に転がしたまま、何事もなかったように館の探索を再開する。


 そのすぐあとだった。

 二人は辺見和華の死体が隠されていそうな場所にあっさりと目星をつける。

 それは、彼女の私室の隣。裏庭に面した和室であった。その部屋を覗くやいなや、二人は確信する。

「……ここっぽいね」

「……間違いなく、普通じゃないわね」

 それは、桜井と茅野の視線の先。

 和室の戸口の向こうに広がる畳。

 その一面におびただしい虫たちが蠢いていた。

 足の踏み場もないほど大量のダンゴムシやシデムシ、カマドウマやムカデの群が畳を覆いつくしている。

「確か、彼女のお兄さんはトライポフォビアだったわね」

「牽制してるのかな?」

 などと、会話をしながら桜井はスマホで、茅野はデジタル一眼カメラで、その地獄のような光景を収め始める。

 そして、撮影が済んだあとだった。

「……取り敢えず、一通り部屋を見て回ったら、篠原さんに連絡しましょう」

「らじゃー」

 二人は和室の前をあとにした。


 ……この後日だった。

 例の和室の床下から、十代女性のものと思われる白骨死体が発見された。

 虫歯の治療痕などから遺体の身元は、五年前に行方が解らなくなっていた辺見和華である事が断定された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る