【14】嫌いなもの


 二〇一四年四月前であった。

 そこは県庁所在地の駅前に広がる飲み屋街の裏通りだった。

 その一画に所在する古びた雑居ビル地下の喫茶店『異邦人』

 クラシックな調度類に彩られた薄暗い店内で、辺見静馬は一人の女性と向き合っていた。

 まるで人目を忍ぶかのように地味な服装で身を固め、背中まである黒髪を首の後ろで大雑把にまとめている。メイクも最低限しかほどこしていない。

 ただし、その小動物じみた顔立ちはコケティッシュな魅力があり、妙に人を惹きつけるところがあった。

 名前を常磐知世ときわともよという。

 新照小学校の教師で辺見和華の担任だった事もある。

 その彼女から『和華ちゃんの事について、話したい事がある』と、唐突に電話で連絡を受けたのが昨日の夜中であった。

 内容を尋ねても、彼女は『込み入った話になるので、電話口では話せない』と、言葉を濁すばかりだった。

 しかし、その口調から何かただならぬものを感じた静馬は、彼女に会う事を決めた。もちろん、妹の和華には内緒で……。

 ともあれ、静馬は約束通り、ランチタイムを少し過ぎた十三時に喫茶店『異邦人』を訪れる。

 静馬がカウベルを鳴らして店の扉口を潜り抜けると、奥のテーブル席で既に待っていた常磐が控え目に右手をあげて微笑んでいた。ランチタイム明けで空き始めた店内を横切り、彼女の元へと向かう。

 席に着くと、定型的な挨拶を交わし合う。そうするうちに店員がやってきたので、珈琲が飲めない静馬はホットミルクティを頼んだ。そして、当たり障りのない雑談をしていると、じきに注文が運ばれてくる。

 ほとんど外出しないため、妹以外の人間と会話する機会があまりない静馬の受け答えは、たどたどしいものであった。しかし、常磐の人当たりの良さに、彼の緊張は徐々にほぐれてゆく。そんな頃合いに、ようやく話が本題に移る。

「……それで、その……妹の話というのは」

 始めに口火を切ったのは静馬の方であった。

 その言葉が出るやいなや、朗らかだった常磐の表情が一気に固いものとなる。

 おもむろに漂い始めた緊張感に、静馬は肩をこわばらせて身構える。

 それから、彼女はたっぷりと言葉を選んだあと、カップの底に残っていたわずかな珈琲を、まるで薬か何かのように飲み干す。そのあと、ようやく口を開き始めた。

「先日、学校で飼育されていた兎が変質者に殺された件は、ご存知でしょうか?」

「あ……ああ。はい」

 その一件はローカルニュースでも取りあげられていたので、静馬も知っていた。

 しかし、それが、妹の和華と何の関係があるのかは、この時点ではピンとこなかった。

 いぶかしげに眉をひそめていると、常磐は言い辛そうに話の続きを口にした。

「その日の事なんですけど……」

「何日でしたっけ?」

「三月十九日です」

「ああ……」

 その日は、この時期にしては珍しく雪がちらついて荒れた天候だったので、静馬もよく覚えていた。

「その日がどうかしたんですか?」

 常磐が店内の片隅で時を刻む柱時計の文字盤に視線をやりながら、質問を返す。

「その日の、ちょうど今くらいの時間に和華ちゃんは、何をされていたかご存知でしょうか……?」

「えっ……」

 質問の意図が理解できずに面食らう静馬であったが、記憶を辿って素直に答えを述べた。

「……確か、昼ご飯を食べたあと、珍しくどこかへ出掛けて行きましたよ。十六時くらいまで家にはいなかったです」

 すると、常磐は暗い顔で鬱々うつうつとした溜め息を吐き出した。

「いったい、何だっていうんですか?」

 更に困惑を深める静馬。そんな彼に、常磐は思い切った様子で言った。

「……実は、あの日、学校で和華ちゃんを見たんです」

「えっ……」

 静馬は大きく目を見開いた。

 そもそも、辺見和華はずっと不登校気味で、滅多に学校へは行かなかった。

 であるから、のちに實田郡司が彼女と同じ学校に通い、家も近所であるにも関わらず、その存在を記憶していなかった事については必然であったのだが……。

 それはさておき、そんな不登校気味の妹が、もう卒業式も終えて用がなくなった学校に、わざわざ足を運ぶとは思えなかった。

 そして、ようやく話の行き先が見えてきた静馬は、額に冷や汗を浮かばせる。

「それは、間違いないんですか……? 本当に妹だったんですか……?」

 静馬の問い掛けに、常磐は重々しく頷いて言葉を続けた。

「はい。遠目から、校舎の窓越しでしたが、和華ちゃんで間違いありません。タータンチェックのマフラーに白のボンボンがついたニット帽、それからコバルトブルーのコート……校門から出てゆくところでした」

「あの日の……和華の……服装と同じだ……」

 静馬は唖然として、唇を戦慄わななかせる。

 そんな彼に、常磐はとどめを刺すかのような言葉を発した。


「……そのあとすぐでした。飼育小屋の兎が無惨な姿で見つかったのは」





「辺見さんっていうんだね。失踪した女子中学生」

 と独り言ち、桜井は名前の記された数学の教科書を机の引き出しの中に入れた。すると、背後から茅野の声がする。

「そっちはどうかしら?」

「こっちには特に何もないね。教科書とかノートを見たけど、たぶん成績はあたしより良いと思う。それぐらい。そっちは?」

 そう言って、桜井は振り向いた。

 すると、納戸の前で、茅野がオレンジ色の冊子を開きながら思案顔を浮かべていた。

「何それ?」

 と、桜井が茅野の元へと向かい、その冊子を横からのぞき込んだ。

 それは、どうやら小学生の頃の文集らしかった。紙面には手書きプロフィールが掲載されている。

「……梨沙さん、これを見て」

「ん? どれ」

 それは、この部屋の主であった辺見和華のプロフィールであった。アニメ調の女の子の絵が書かれており、その下に“好きな食べ物”だとか“将来の夢”だとか、様々な項目が並んでいる。

 茅野は、その中の一つを指差した。そこには……。


 ・苦手なもの ピエロ……理由は怖いから


「えっ。これって……」

「どうやら、この文集は小学三年の頃のものらしいわ」

「小学三年? つまり、この子のお母さんが道化師の殺人鬼に殺される前って事?」

 桜井の言葉に茅野は頷く。

「じゃあ、彼女は、お母さんの事件がある前から、道化師恐怖症だった?」

「程度の差はあるかもしれないけれど、そういう事になるわね」と茅野。

 すると、桜井は難しい表情で両腕を組み合わせる。

「何かおかしくない?」

「というと?」

 茅野に促され、桜井は自分が感じた違和感を口にする。

「だって、元々、道化師恐怖症の女の子のところに、たまたま道化師の格好をした殺人鬼が現れて、彼女のお母さんを殺したの? 何かできすぎてない?」

「私もそう思うわ」

「じゃあ、犯人が道化師の格好をしていたのは、彼女を怖がらせるため? 彼女が道化師恐怖症だった事を知っていた人が犯人? でも、初めから彼女が目的なら、何でわざわざショッピングセンターのトイレなんかで犯行に及んだんだろう。お母さんを殺した理由も解らないし」

始めから・・・・そんな道化師の・・・・・・・殺人鬼・・・なんて・・・いなかったとしたら・・・・・・・・・?」

「は?」

 桜井は目を丸くする。

 そこで、茅野は悪魔のように微笑みながら言った。


全部・・彼女の嘘だった・・・・・・・としたら・・・・?」

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