【13】撮影者の正体


 二〇一五年八月末の深夜。

「……な、何よ、その格好」

 辺見和華は、リビングの入り口に立つ兄の静馬を見て後退りした。

 静馬の格好は奇妙だった。

 中央でオレンジと青に割れた、だぶだぶのツナギ。

 胸元から下腹部に掛けてならんだ赤いボンボン。

 襟元や袖口に広がる白いひだ

 両足には爪先の反り返ったピエロブーツ。

 二股に別れたジェスターハットを頭に乗せており、顔は白塗りであった。右の目元に涙のような模様が描かれており、赤く縁取られた口元は無表情でも笑っているように見えた。

「……どっ、どういうつもり!? そんな格好で」

 辺見は、また一歩だけ後退りする。

 道化師の格好をした静馬が、無言のまま一歩だけ前に出る。その右手には、鈍色にびいろの金槌がしっかりと握られていた。

「あぁ……あぁ……そんな格好で……私を怖がらせようとしても……無駄……なんだから!」

 などと、強がったような言葉を吐くが、辺見のひざは盛大に笑っていた。息は荒く、その顔色は完全に血の気が失せている。

 そのまま、おぼつかない足取りで、再び一歩だけ後退りした。

 すると、彼女の臀部でんぶに、部屋の壁際にあった棚の縁が勢いよく当たった。その衝撃で上に並んでいた卓上カレンダーや花瓶が、少しだけ揺れる。

 そこで辺見は膝を折り、へたり込んでしまう。

 道化師がにじり寄る。

 金槌の柄を握る彼の右手は、よほど強い力を込めているのか小刻みに震えていた。

 それは、感情のうかがえない白塗りの内側からにじみ出る、明確な殺意の顕れでもあった。

 しかし、辺見和華は立ちあがる事すらできない。反撃しようという意思がまったくら見られない。

 明らかに彼女は脅えていた。

 目の前の兄に……兄の格好に……道化師に……。

「あぁ……あぁ……やめて……お願い……やめて……」

 白塗りの中に瞬く双眸そうぼうが、恐怖に歪んだ彼女を見おろす。

 金槌を持った右手が振りあげられた。

 辺見和華が悲鳴をあげる。

 その断末魔を鈍い打撃音が、かき消した。





「……それで、けっきょく、この動画を撮りながら、どうぶつたちを殺しているのは誰なんだろう。ネットの噂通り、失踪した女の子のお兄さんなのかな?」

 桜井が投げ掛けた疑問に対して、茅野は首を横に振る。

「恐らく違うわね。動物を殺し回って、この動画を撮影していたのは、その失踪した女の子・・・・・・・・・じゃないかしら・・・・・・・?」

「へ? マジで?」

 と言って、桜井が目を白黒させて驚く。その反応に満足げな笑みを浮かべながら、茅野は仮説を展開する。

「……まず、これをもう一度だけ見て欲しいのだけれど」

 そう言って茅野は、タブレットの画面をタップし、あの兎小屋の動画を再び再生した。

 そして、シークバーを動かして、目的の場所で一時停止する。

「ここなんだけど」

 それは、扉が揺すられ、南京錠が金具ごと地面に落ちた直後。大きな雪片がカメラのレンズに張りつき、それを滑り止め付きの軍手に包まれた手が拭ったところだった。画面には軍手の掌がいっぱいに映し出されている。

「……もしも、ネットの噂通り、失踪した女子中学生の兄が集合体恐怖症……トライポフォビアだったとしたら、こんな軍手を身につけるはずがないわ」

「あ……」

 と、そこで桜井も気がつく。

この滑り止めの・・・・・・・イボイボ・・・・!」

 その桜井の言葉に茅野は頷き、更に話を続ける。

「ええ。もちろん、トライポフォビアといっても、その心理的影響の度合いには個人差があるだろうし、そもそも、ネットの情報自体が正しいとは限らないのだけれど……」

 と、前置きを入れてから、茅野は三つの水槽の方へと視線を戻して語り出す。

「このUSBメモリが、水槽の中に隠されていた事が“彼女の兄はトライポフォビアであった”という噂の信憑性を高めているのよ」

「というと……?」

「私の仮説が正しいとするなら、とうぜんながら彼女は身内である兄に、この動画を見られたくなかった」

「うん。だろうね」

「すると、彼女は兄の目がもっとも届かない場所に、このUSBメモリを隠したかった」

「だろうね」

「そうなると、いちばんベストな隠し場所は、この何らかの昆虫が飼育されていたと思われる水槽の中なのよ」

「ああ。なるほど。水槽の中に虫がうじゃうじゃいたら、普通の人でも躊躇ちゅうちょするのに、とらい何とかの人なら、ぜったいに無理だよね」

「その通りよ」

 茅野は満足げに頷く。すると、桜井の口から新たな疑問がもたらされた。

「でもさ、何で、その女子中学生は、どうぶつにあんな可哀想な事を……」

「それは、まだ何とも言えないけれど……」

 そう言って茅野は、タブレットを鞄にしまった。それから、本棚へと視線を移す。

「あそこに並んでいた本に載っているような、連続殺人鬼シリアルキラーたちの多くが、殺人に至る前段階として動物虐待を行っていた事はよく知られているわ」

「あー……彼女も変態サイコだったと? そうなっちゃったのは、やっぱり、お母さんが殺された事件の影響なのかな?」

 と、桜井が言うと、茅野は思案顔でかぶりを振る。

 そして、ぐるりと室内を見渡して、部屋の入り口に向かって右側にあった納戸の扉へと目を止める。

「何となく見えてきたけれど、まだ材料が足りないわ」

「そか」

「もう少しだけ、彼女の事を知る必要がある。もっと、この部屋をあさってみましょう」

「らじゃー」

 と、桜井が元気よく返事をする。

 そして、茅野は納戸の中を、桜井は勉強机の引き出しをあらため始めた。

 その様子を開きっぱなしの部屋の入り口の影から窺う者がいる事に、二人はまだ気がついていなかった。

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