【12】青春の終り
辺見和華から、自らの兄を殺人者だと疑っている事を打ち明けられたあとだった。
實田郡司は彼女と別々に帰路へと就いた。それも、喧嘩別れのような形で……。
なぜ、そうなったのかといえば、そもそもの切っ掛けは辺見和華であった。
彼女は話が一段落すると「そろそろ、帰ろう」と言い出した。
實田は、殺人鬼である兄――既に彼の中では事実となっていた――の住む家に、わざわざ急いで帰らなくとも、もう少しどこかで寄り道でもしていかないかと、勇気を出して誘いをかける。
これに対して、辺見は礼を述べつつも「家でやりたい事があるから」と、彼の提案をやんわり却下する。
この彼女の返答に、實田は憤りと苛立ちを覚えた。
そんな悠長に事を構えている場合ではない事を感情に任せて訴える。
しかし、そんな彼の気持ちは辺見の心に響く事はなかった。
当たり前である。現状で彼女が家に早く帰ろうが、寄り道して帰ろうが、さしたる違いはない。實田が心情的に彼女を家に帰したくないというだけの事だった。
辺見としては、そんな自己満足に付き合い切れる訳がない。
小馬鹿にするような顔で「そんな事を言って、お兄ちゃんを口実に私を誘おうとしてない?」などと、冗談めかした口調で煽り立てた。
これには、流石の實田も怒りを
自分は、こんなにも心配しているというのに……。
その善意や好意を踏みにじられ、裏切られたような気がしたからだ。
結果、
こうして、この一件が原因となり、實田と辺見の関係は、ぎこちないものとなってしまった。
家に帰って冷静になり、感情的になりすぎてしまった事を反省した實田であった。しかし、それと同時に、彼女と次に顔を合わせたとき、どういう態度に出ればよいのか解らなくなってしまった。
これは、實田の人付き合いに対しての経験不足が原因であったが、無駄にプライドが高い彼は、その事実を己の中で認める事はできなかった。
そんな彼がくだした結論は“自分の気持ちを無下に扱った彼女が悪い”であった。
辺見の方から折れてくれるのであれば、許してやらない事もない……そんな風に實田は考えた。
しかし翌日、学校で顔を合わせた辺見から前日の謝罪は一切なかった。それどころか、彼女から實田へと近づいてくる事もなかった。
まるで、實田が知る前の辺見みたいに、彼女は教室の片隅で氷像のように佇んでいるばかりであった。
これは、實田にとって想定外の事態だった。
彼は甘く考えていたのだ。
心のどこかで、どうせ辺見には自分しかいないと思っていたし、何だかんだで彼女は自分の事を憎からず思っているのだろうと……。
實田郡司は辺見和華にとって、必要な人間なのだろうと……。
彼はそう思っていた。
だから、すぐに彼女の方から謝ってきて、また昨日と同じ二人だけの毎日が何事もなかったように始まるのだと、實田は信じて疑っていなかった。
しかし、その確信を裏切る現実に、彼は失望しつつ、大きな焦りを覚えた。
やはり、辺見が自分の相手をしてくれていたのは、単なる気まぐれの産物であり、話し相手など誰でもよかったのではないか……。
昨日の一件で、辺見の機嫌を損ねてしまった自分は彼女に捨てられてしまったのではないか……。
あらゆる悪い想像が、頭の中を駆け巡るも、實田は自分から辺見に歩みよろうとはしなかった。
自分は悪くない。
自分の善意と好意を馬鹿にした彼女が悪い。
實田は最愛の女神から見放されたという絶望感を、自己正当化によって打ち消し、心の平静を保つ。
そうして、辺見和華が、その手を再び差し伸ばしてくれるのを、じっと待ち続けた。
しかし、そんな奇跡は、待てども、待てども……いっこうに訪れる気配すら見せなかった。
そうこうするうちに七月となった。
その日、辺見は学校にきていなかった。いつものずる休み……とは、思えなかった。
彼女が兄に何かをされてしまったのでは……と、気が気ではなかった。
しかし、変なプライドが邪魔をして、連絡を取る事すらできなかった。その不安は苛立ちとなり、彼の気を立たせた。そんなタイミングだった。
それは、体育の授業の前だった。
更衣室で着替えているとき、あるクラスメイトが實田に向かって言った。
「……お前さ、辺見と別れたの?」
いつもなら、適当に流せただろう。しかし、このときの彼の精神状態は最悪だった。
何も知らない癖に、お気楽な態度で首を突っ込んでこようとするクラスメイトに、實田は深い嫌悪感を覚えた。
一気に脳裏が怒りで満たされ、気がついたときには手が出ていた。
鼻っ柱を抑えて踞るクラスメイト。
更衣室の床に赤い斑点が、ポタポタと滴り落ちる。
「……何、すんだ、テメェ……」
鼻血を
その頭を右足で踏みつけようとしたところで、實田は別なクラスメイトに羽交い締めにされて止められた。
すぐに生活指導の体育教師がやってきて、騒ぎは大きくなる。
結果、この一件で實田は停学処分となった。
教師に叱責され、両親に悲しまれ、被害者のクラスメイトに頭を下げに行き、何の意味があるか解らない反省文を原稿用紙五枚も書かされた。
その間も頭の中にあったのは、辺見和華の事だけだった。
彼女は無事だろうか。
もし、彼女が今回の件を知ったら、どう思うだろうか。
呆れるだろうか。
心配するだろうか。
見直してくれるかもしれない。
……などと、實田は虫のいい妄想に浸った。
しかし、いっこうに彼女からの連絡は来なかった。實田も彼女へと連絡を取ろうとしなかった。
そうこうするうちに夏休みに入り、實田は一度だけ彼女にメールを送った。
文面は何度も消して、何度も書き直し、けっきょく『久し振り。最近、調子はどう?』という不自然なほど素っ気ないものとなった。
そのメールの返事は、いくら待っても来る事はなかった。
そうして、夏休みが終わり、同時に實田の停学期間も明けた。
期待と不安を抱き、久々に学校へと向かった實田であったが、そこに求めてやまない彼女の姿はなかった。
いよいよ不安が胸の内ではち切れそうになり、實田は辺見和華の家を訪ねみようか迷い始めた矢先の事だった。
彼女の兄が自宅の庭先で自殺した。更に辺見和華の行方も解らないらしい。
もう意味が解らなかった。
事態は完全に、普通の中学二年生でしかない實田のキャパシティを軽く凌駕していた。
こうして、實田郡司は現実の途方もなさに打ちのめされて、脱け殻のようになってしまった。
後にインターネット上で、辺見和華の家が“道化師の館”などとよばれ、一連の事件に様々な考察がなされていた事を知るまで、彼は自分が主人公になる事を諦めていた。
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