【11】桜井梨沙、憤る


 

 動画が始まる。

 木枠に金網を張った扉が映し出されている。その南京錠にハンマーが振りおろされていた。

 しかし、打撃音は聞こえない。なぜなら、ごうごうと風の唸り声が鳴り響いていたからだ。

 ときおり画面の端に、ちらちらと綿菓子のような雪が舞う。周囲は薄暗かったが、真夜中という訳ではないらしい。

 ともあれ、ハンマーは振るわれ続け、やがて南京錠をぶらさげていた金具がひしゃげてしまう。

 扉の木枠を画面の外から突き出た右手が掴み、激しく揺すった。すると、南京錠が金具ごと地面に落ちる。

 その瞬間、大きな雪片がカメラのレンズに付着し、滑り止めつきの軍手の掌が、そっと画面を拭った。

 扉が開かれた。

 画面は薄暗い小屋の中へと進む。すると、少しだけ嵐の音が遠退き、かさ、かさ……と、床に敷き詰められた藁を踏み潰す音が微かに聞こえ始める。

 おもむろにカメラがパンして、小屋の隅にうずくまる五匹の兎が映し出される。

 画面は、ゆっくりと、その兎たちへと近づいてゆく。

 そして、ハンマーが振りあげられ、凶行が始まった――



「久し振りにキレちまったよ」

 水槽から発見されたUSBメモリにはいくつかの動画データが収められていた。その中の一つを見終わった桜井は、いきどおりを露にした。

 そこに映し出されていたのは、どこかの飼育小屋で兎たちを虐殺する光景だった。

 動物好きの桜井は、憤怒の炎をその瞳に宿しながら言葉を続ける。

「……兎は気温の変化に弱いのに、今どき、こんな外の小屋で飼育しているだなんて、ありえないよ」

「突っ込みどころは、そこなの!?」

 流石の茅野も驚きをあらわにする。

「確かに、こういう学校などで行われている旧態依然きゅうたいいぜんとした不適切な飼育方法は、割りと問題にはなっているけれど」

「いや。動物虐待をする輩は、もちろん処刑・・だよ。そんな事はわざわざ、言うまでもないからね」

「し、処刑……」

 茅野は、さらっとした調子で、友の口から放たれた言葉の重みに恐れおののく。比喩ではなく、その処刑が実現しかねないからだ。

 そんな彼女を尻目に、桜井は更に言葉を続けた。

「そもそも、外で飼育なんかしているから、こういった変質者に狙われて、痛ましい事件が起こる……」

 桜井が握り締めた右拳を見つめる。

「……この怒りを拳に乗せる」

 茅野は取り敢えず「人殺しは駄目よ」とだけ、言っておいた。



 二〇一五年。

 誰もいなくなった教室で、その動画が終了したあと、實田郡司は血の気の失せた表情で辺見和華の顔を見た。

 彼女は動画を再生していたスマホをしまうと、申し訳なさそうな顔で微笑んだ。

「やっぱり、キツかった? ごめん」

 實田は首を横に振って問う。

「今の動画って……」

 動画の画面端に記載された年月日は二〇一四年三月十九日。

「これって、小学校の……」

 その實田の言葉に頷く辺見。

「これ、お兄ちゃんのパソコンの中に入っていたデータをコピーしたの」

「嘘……じゃあ、君のお兄さんが、兎を……」

 再び頷く辺見。

「他にも、たくさん。猫とか犬を殺す動画があった。いちばん最近のが先週の日付で、もっとも古いものが二〇一〇年になってる」

「マジかよ……」

 實田は強い確信を抱いた。あのフランケンシュタインのような強面の兄は、彼女のいう通り異常者だったのだ。

 動物を享楽のためになぶり殺せる変質者。

 そんな男が、自分の想い人と一つ屋根の下で暮らしているという事実に、強い嫌悪感と危機感を抱いた。

「最近、事あるごとに、お兄ちゃんの視線を感じるの。たぶん、この動画をコピーした事に気がつかれているのかもしれない」

「……は、早く警察に」

 焦る實田。このままでは、遅かれ早かれ辺見の身に危険が及んでしまうかもしれない。

 しかし、その本人は首を横に振って實田の提案を却下する。

「証拠がないわ」

「証拠!? いや、その動画があるじゃん」

「……コピーした動画を全部見たけど、撮影者の姿が映っているものや、声が入っているものは一つもなかった」

「そんな……」

「だから、きっと、どうとでも言い逃れができる。そうなったら、逆に私が何をされるか解らないわ……」

「でも、でも……」

 それでも、實田は異常者かもしれない男と辺見が一緒に暮らしている事が我慢できなかった。

 一刻も早くあの家から離れるべきだと、そう思った。

「ねえ、君だけでもどこかに避難できないかな? 一時的に親戚の家とかに」

 辺見は悲痛な顔で首を振った。

「うちは親戚とは疎遠だから。両親の遺産の事で揉めちゃって……」

「そんな……そんな……なら……」

 

 ……俺の家に来ないか。


 唐突に始まる、好きな女の子との同棲生活。

 そんな漫画かアニメかラノベのような展開を脳裏に思い描いたが、すぐに打ち消した。

 当たり前だが、そんな事は現実的ではない。

 實田の両親を何と言って説得すればよいのか。彼女の兄に対して、どんな建前を用意すればよいのか……。

 彼女が黙って家出をしても、その間の生活費はどうすればいいのか。

 實田は自分があまりにも無力な中学二年生でしかない現実を思い知らされ、深い絶望を味わった。

 そんな傷心の彼を慰めるかのように、辺見は優しく微笑みながらゆっくりと首を振った。

「大丈夫。向こうだって、こっちが疑っている事は知ってるはずだから、逆に滅多な事はできないと思う」

「でも……」

 どうにもならない事は解っていたが、なおも食いさがろうとする實田。

 辺見は、その不安を更に煽り立てるような事を口にする。

「そんな事より、多くの連続殺人鬼シリアルキラーは、殺人の前段階として動物虐待を行っているけれど……」

「ああ、うん」

 彼女の言う通り、連続殺人鬼シリアルキラーの多くが、幼少期などに動物虐待を行っている事は、實田も知っていた。

 初めは小さくて仕留めやすい獲物から。それが徐々に大きくなり、最終的に人間を標的にするようになるのだ。

「もしかしたら、お兄ちゃんは、もう人を殺した事があるのかも」

「まさか……」

 辺見は鹿爪らしい顔で頷くと、その言葉を吐き出す。


「……私は、お父さんとお母さんを殺したのも、お兄ちゃんだと思っている」

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