【10】証拠の動画


 水槽の中には土が四分目くらいまで入っており、流木や石、植木鉢の欠片などが置かれている。上部はライトと金網で覆われていた。

「……たぶん、何らかの昆虫を飼育していたみたいだけれど」

 と、水槽を向かって左側から順番に覗き込んでいた茅野であったが、三つ目の水槽の前でぴたりと動きを止めた。

「梨沙さん……」

「何かあった?」

 桜井が茅野の後ろから水槽を覗き込んだ。

「あそこ」

 そう言って、茅野は中腰で、水槽の硝子を人差し指でコツコツと叩いた。その爪の先。水槽の右奥の角だった。ビニール袋の端が乾燥した土からほんの少しだけはみ出ている。

「……何か埋まっているわ」

「よし」

 と、意気込んで、桜井は金網を力任せに外し、水槽の中に手を突っ込んだ。

 そのまま、飛び出ていたビニール片を摘まんで引っ張りあげる――。




 二〇一五年。

 辺見和華の家に招かれた翌日の朝、實田郡司は漠然とした期待と不安を胸に学校へ向かった。

 すると、通学路の途中で辺見和華と顔を合わせる。

 彼女はいつも通り「おはよう」と、何気ない笑顔で挨拶をすると、自分が現在進行形で興味を抱いている事柄について一方的に話し始める。いつもの事であった。

 因みに、この日は、中世の魔女狩りについてである。

 實田は彼女の話に耳を傾けつつも、頭の中は“なぜ彼女は自分のような目立たない人間と一緒にいてくれるのか”という疑問でいっぱいになっていた。

 とうぜんながら気の小さな彼は、そんな疑問を口に出せる訳もなく、何の滞りもないまま辺見の話は続き、学校へと着いてしまう。

 それから、いつも通りの日常が繰り返され、何も起こらないまま放課後となる。

 そして、ホームルームが終わり、教室にいたクラスメイトが部活や帰路へと向かう最中、辺見和華が實田の机に近づいてきた。

「……キミ、今日は、これから用事あったりする?」

 とうぜん、實田は首を横に振った。すると辺見は皮肉めいた笑みを浮かべながら肩をすくめる。

「そうだと思ったけど」

 その言葉に唇を尖らせる實田。

「じゃあ、聞かないでよ」

「今の質問は、キミへの優しさなんだけど……」

 そう言って、辺見は空いた前方の席に腰をおろして實田の方へと向き直る。

「ちょっと、話して行こうよ」

「別にいいけど」

 この会話を聞いていたものからすると、實田のリアクションは素っ気ない風に思えるかもしれないが、内心はまったくの正反対だった。

 辺見は周囲を見回して近くに誰もいない事を確認してから、珍しく殊勝しゅしょうな表情で話を切り出してきた。

「昨日は、ごめんね」

「何が?」

「ほら。お兄ちゃんがとつぜん帰ってきて、急かしちゃって……」

「ああ」

 實田はまったく気にしていないといった調子で、彼女の言葉に応じる。

「……俺は別に君のお兄さんを悪く思ったりはしてないけどね。きっと、俺に当たりが強かったのも、妹の君に悪い虫がつかないか心配だったんだろうし」

 あくまで、實田は気軽な調子だったが、辺見の顔色は冴えない。眉間にしわを寄せてかぶりを振り、彼の言葉を否定する。

「違うの……そんなのじゃない。お兄ちゃんは……」

 痛みと悲しみがないまぜになった表情で、言葉を詰まらせてうつむく辺見。

 その様子に、ようやくただならぬものを感じた實田は言葉を失う。


 ……これは、自分が踏み込んでよい事なのだろうか。


 彼女が抱えているものが何なのかは、人生経験の少ない實田には予想もつかなかった。

 しかし、普段とは違うしおらしい態度を見れば、辺見の心をさいなませているものが、一筋縄ではいかないものであろう事は容易に想像がついた。

 だが、一方で、本当に立ち入って欲しくない事ならば、そんな話題すら口にしなければよいのだ。

 こうして、言いかけて言葉を詰まらせているという事は、彼女も話を聞いて欲しいに違いない。

 たっぷりと逡巡しゅんじゅんしたあと、そう結論付けた實田は、どうにか勇気を振り絞って声をあげた。

「お兄さんと……何かあったの……?」

 静かに頷く辺見。

 そして、もう一度、周囲を用心深く見渡すと、彼女は声を潜めて語り出す。

「……一年前の春、新照小学校で飼っていた兎が殺された事件、あったでしょ?」

「え? うん……」

 まったく話が予想外の方向に飛んで、目を丸くする實田。

 その一件についてはとうぜん覚えていた。

 体育館裏の小屋で飼育されていた五匹の兎が、何者かに殺された。

 詳しい概要は知らなかったが、どうも変質者の犯行らしい。飼育小屋の扉には一応鍵が掛かっていたようだが、ハンマーのような鈍器で金具ごと破壊されていたのだという。

「……私、飼育委員だったから、今でもショックで……」

「そ、そうなんだ……」

 当時の事を思い出したのか、辺見和華は表情をゆがめて己の肩を抱いた。

 因みに實田も辺見と同じ学区であるから新照小学校の生徒であったが、彼女が飼育委員をやっていた事は初耳だった。

 小学校の六年間、辺見と一度も同じクラスになった事はなく、接点がまったくなかったとはいえ、以前から彼女がほんの身近にいた事が改めて不思議に思えた。

 それはさておき、辺見の話は更に続く。

「それから、けっこう最近も、この辺りで、猫とか犬とかが殺される事件が続いているよね?」

「ああ……」

 新照市では数年前から定期的に猫や犬が何者かに殺されるという事案が相次いでいた。

 先週の全校集会の話題でも取りあげられ、町内の回覧板でも不審者への注意喚起がなされていた。

「でもさ、それが、どうしたの? お兄さんと何の関係が……」

 そう言いかけて、實田は、はっとする。

「まさか……」

 静かに頷く辺見。

「私は、お兄ちゃんが犯人だと思う」

「何で!?」

 話の突拍子もなさに、實田はつい声を張りあげてしまう。辺見は唇の前で人差し指を立てて彼をいさめた。

「しっ。声が大きい」

「ご、ごめん……」

 實田は苦笑して周囲を見渡す。幸いにも既に教室には、彼ら以外の人影はない。

 辺見が話を再開する。

「……お兄ちゃんは異常者よ」

「そんな……」

 そこで實田は思い出す。辺見が連続殺人鬼シリアルキラーなどの猟奇的な物事に興味を持ったのは兄の影響であった事を……。

 つまり、彼女の兄もまた、そうした薄暗い世界を好んでいるのだ。

「……これから、私が、そう思った根拠を見せてあげる」

 辺見は険しい表情でスマホを取り出し、その動画を再生した――




 桜井が摘みあげて、地中から引っ張りあげたビニール袋の中には……。

「USBメモリ……?」

 桜井が首を傾げると、茅野は悪魔のように笑う。

「これは、面白い事になってきたわね。さっそく、中身を見てみましょう」

 そう言って、鞄の中からタブレットを取り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る