【08】蠢く誘い


 それは、古びた住宅街を抜けた先にある田園地帯を割って延びた一本道の入り口だった。

 その左側に、蔦で覆われた塀の内側から、こんもりと盛りあがった木立がはみ出ていた。

 道化師の館である。

 この謎のベールに包まれた心霊スポットへと、頭のイカれた女子高生二人が、もうすぐ到着しようとしていた。

「……それで、この噂は、関係があるかどうかは解らないのだけれど」

「なにさ?」

「例のピエロの格好で自殺した彼の死体が発見される二週間ほど前に、隣町に在住していた小学校教師の女性が事故で亡くなっていて……」

「うむ……隣町? 関係なさそうだけど」

 桜井が首を傾げる。茅野は右手の人差し指を立てて、話の続きを口にした。

「それが、この女性、ピエロの彼と交際していたという噂があるらしいの」

「ええ……いかにもネットで適当にでっちあげられたゴシップって感じがするけど」

 桜井が渋い表情で腕を組み合わせる。そのリアクションを受けて、茅野は苦笑した。

「まあ、確かに真偽不明どころか、限りなく怪しい話なのだけれど、一応調べてみたら二〇一五年の八月二十五日に、その女教師とみられる人物が不慮の事故で亡くなっているのは本当みたいね」

「ふうん」

「……で、どうやら、その女教師は、失踪した女子中学生の通っていた小学校に勤務していて、彼女の担任だった事もあるという話があるわ」

「何だか、微妙に関係ありそうな、なさそうな……」

 桜井は難しい顔で腕組みをする。

「……まあ、この情報を裏付けるソースは見つける事ができなかったのだけれど、狭い田舎の人間関係ですもの。そういった繋がりはさほど珍しくはないと思うわ」

 と、言って、茅野が肩をすくめた。さほどこの噂話については重視していないような口振りであった。

「それにしても、何かいろいろな噂が飛び交っているスポットだねえ」

「あの家がスポットとして有名になり始めたのが最近の事というだけで、女子中学生失踪にまつわる一連の出来事は、ネット界隈では、よく知られた未解決事件として有名だったわ」

「まあ、だいぶパンチの効いた事件みたいだしね」

「そうね。だから、ちょっと掘り返しただけで、この手の真偽不明な噂話や、考察という名の憶測がたくさん出てくるわ」

「ふうん……」

 などと、話すうちに二人は、いよいよ道化師の館の門前に到着する。

 その門柱を覆った蔦の隙間から『辺見』と記された黒い表札がわずかにうかがえた。

 それを一瞥いちべつしたのちに、桜井は赤錆にまみれた門扉を押し開く。

「さて、行きますか」

「ええ」

 と、先陣を切った桜井が、門の向こうへと足を踏み入れた、その瞬間だった。

「梨沙さん」

 背後から、囁くような茅野の声。

 桜井は前を向いたまま、足を止めずに「何? 循」と小声で返事をする。

 すると、すぐに密やかな返答があった。

「……今、玄関の真上にある窓の向こうから、誰かが、こちらをのぞいていた」

「ピエロ?」

「カーテンの隙間から、ちらりと見えただけだったから解らないけれど、たぶん違うと思うわ」

 その言葉を耳にしながら庇を潜り抜けた桜井は、鹿爪らしい顔で呟く。

「何にしろ、こんなところに来るやからなんか、やべーやつにきまってる」

「そうね」と、茅野は特に突っ込む事なく相づちを打ち、言葉を続けた。

「兎も角、気がつかなかった振りをして、一階から確実にクリアリングしていきましょう」

「らじゃー」

 桜井は慎重に玄関のドアノブへと手を伸ばした。

「鍵、開いてる」

「それは、手間が省けたわね」

 こうして、桜井と茅野は何食わぬ顔で、道化師の館の内部へと侵入を果たしたのだった。





 その少し前だった。

 實田郡司は玄関から館の裏手へと延びた廊下をまっすぐ進んでいた。

 途中にあったリビングの入り口を覗き込んでみると、だいぶ荒らされてはいたが、調度類はそのまま残されているようだった。

 彼がまず目指したのは、この廊下の突き当たりの右側にある辺見和華の部屋だった。辺見と過ごした思い出の場所をもう一度だけ目にしたかったのだ。

 当然ながら、年月と心ない侵入者たちによって荒れ果てた彼女の部屋を見たくないという気持ちはあった。

 しかし、それでも實田は、一刻も早く輝かしい青春時代の甘い記憶を反芻はんすうしたかったのだ。

 ともあれ、その一心で歩みを進めると、前方の薄暗がりを照らす懐中電灯の明かりの中に、廊下の突き当たりが浮かびあがった。

 その直後だった。

 どこからともなく、声が聞こえる。


 ……實田くん。


 苗字ですら一度も呼ばれた事はなかった。

 いつも“キミ”だった。

 しかし、實田の耳へと不意に届いたその声は、明らかに彼女のものだった。

「……あああ。和華……」

 彼もまた、一度も声に出して呼んだ事のない彼女の名前を口にする。

 自然と足が止まり、肩が震え、涙がこぼれた。

「ううううぅ……」

 嗚咽おえつが漏れ出し、膝が震えた。

 辺見和華が……求めて止まなかった最愛の彼女がそこにいる。

 そのまま咽び泣く實田。

 そんな彼の耳に、何かが擦れるような……何かを引っかくような……たくさんの音が届く。前後左右。それは彼をぐるりと取り囲んでいる。

 實田は慌てて涙を拭うと、周囲を懐中電灯で照らした。

 すると、床や、壁や、天井が、いつの間にか無数の虫たちに覆い尽くされていた。

 ダンゴムシ、シデムシ、ムカデ、カマドウマ……それらは、かつて辺見和華の部屋で飼われていたものと同種の虫たちだった。

 嫌悪感はまったく湧かなかった。むしろ、懐かしさに頬が弛んだ。

「ああ……やっぱり、君はまだ、この家のどこかにいるんだね?」

 その問い掛けに答えるかのように虫たちの群れが脈動を始める。


 ……實田くん。こっちに来て。私を解き放って。


 辺見の声に導かれるかのように、床を埋め尽くしていた虫たちが蠢き、廊下の両脇へと寄って道を作る。

 その常識では考えられない光景を見て、實田は歓喜した。

 やはり、これは、自分の物語なのだと……。


 ……この虫たちが、キミをお兄ちゃんから守ってくれる。


「ああ、和華。君はやっぱり、あのお兄さんに……」

 そのまま實田は、まるでモーゼのように廊下の奥へと進んだ。

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