【07】ナチュラル・ボーン・キラー


 辺見が部屋を後にしてから、實田はどうにも落ち着かず、腰を浮かせて室内を迷子の野良犬のようにうろうろとしていた。

 しかし、あまり落ち着きがないのも格好が悪いと気がつき、気を鎮めようと試みる。

 何となく本棚の前で立ち止まると、そこから適当な一冊を抜き取る。


 『世界猟奇殺人大全』


 ……という、タイトルの本だった。これに目を通しながら、待っている事にした。

 再び腰をおろして座卓の上に、その厳めしいハードカバーの書籍を広げた。ページをぺらぺらと捲り始める。

 内容はタイトル通りで、辺見が興味を持ちそうな連続殺人鬼シリアルキラーたちの起こした事件が各項目ごとにまとめられていた。

 辺見から名前を聞いた事のある殺人鬼もいれば、知らない殺人鬼もいた。

 いずれの項目にも、殺人鬼本人や事件に関連した写真が掲載されている。モノクロではあったが、それがかえって生々しい。

 そうして斜め読みを続けていた實田は、ある項目で手を止める。

 そこに掲載されていた写真のいくつかが、黒いマジックでぐしゃぐしゃに塗り潰されていたからだ。

 その項目で取りあげられていた人物の名前は“ジョン・ウェイン・ゲーシー”

 彼はチャリティー活動に熱心な資産家という表の顔を持ち、パーティなどで子供たちを楽しませるために、よくピエロの格好をしていたのだという。

 上記のエピソードから、ゲーシーは“キラークラウン”などと呼ばれていた。

 かなり有名な連続殺人鬼シリアルキラーである。

 實田は辺見と話を合わせるために、ネットなどでその手の情報をたびたび検索していた。それで、彼の名前を知った。

 しかし、このゲーシーの名前を辺見の口から聞いた事は、これまでに一度もなかった。

 そうした話題が好きな者なら、真っ先に口から名前が出るであろう有名どころであるにも関わらずだ。

 そして、塗り潰された写真をよく見ると“ゲーシーがピエロの扮装をしているもの”や“ゲーシー自身が刑務所内で描いたピエロ姿の自画像”に限られていた。

 スーツ姿のゲーシーや彼の暮らしていた土地の風景、ボーイスカウト時代の写真は手つかずのままである。

 それに気がついたとき、實田の頭を過ったのは、当然ながら二〇一二年に発生したショッピングセンターの事件であった。

 あの犯人もピエロの格好をしていたのだという。

 もしかすると、辺見がこうした死にまつわる薄暗い物事に興味を示し始めたのは、その一件の影響が大きいのかもしれない。實田には、そんな風に思えた。

 母が殺されてピエロ姿の殺人鬼を目の当たりにするまでは、あの辺見和華も普通の少女のように、可愛らしいものや綺麗なものを好んでいたのかもしれない。

 それが事実だとすると、普通ではない現在の彼女が一概によいとは思えなかった。

 しかし、一方で“殺人鬼に母親を殺されなかった世界線の彼女”が、自分などに興味を持ってくれたとは思えず、實田は何とも微妙な気分におちいった。

 ……そんな益体やくたいもない思いに浸っていると部屋の扉が開き、辺見が姿を現した。

 麦茶が入ったグラスを乗せた丸盆を携えている。

「ごめん。待った?」

 實田は慌てて本を閉じて視線をあげる。

 すると、辺見は丸盆からグラスを座卓の上におろして、實田の真向かいに座った。

「……その本、読んでたんだ」

「あ、うん。ごめん。勝手に」

 實田が謝罪すると、辺見は懐かしそうに目を細めながら首を振り、右手を伸ばして本を自分の元へと手繰り寄せる。

「これ、元々はお兄ちゃんの本なの。私が小さな頃に読みたくてダダをこねたらもらったんだ……」

「そうなんだ。小さな頃って、どれくらいのとき?」

 その質問に辺見は視線を上に向けて記憶を辿りだす。

「確か、小学四年くらい」

 つまり、辺見がこうしたものに興味を抱いた切っ掛けは、あの事件ではなく兄の影響であるという事なのだろう。

「そんな前から好きだったんだね。こういうの」

「そうね。でも、今は、好きとはちょっと違うかな……」

 辺見はそう言って寂しそうに微笑む。

「正直言うと、始めは彼らの事を格好いいって思っていたわ。大勢の命を奪って、たった一人で社会を恐怖に陥れて……罪悪感を感じる事なく、他の人がやらないような事を容易くやってのける特別な才能を持った人たちなんだって」

「ああ……」

 實田が連続殺人鬼シリアルキラーに抱いていたイメージが、まさに彼女の言う“特別な人”であった。

「……でもね。彼らは特別でもなんでもなかったの。彼らの多くは、子供のときに両親を始めとした周囲の大人たちに酷い虐待を受けて育ったわ」

「ああ、うん」

 エド・ゲインは、アルコール依存性の父親の元に生まれ、狂信的で抑圧的な母親に育てられた。あのテッド・バンディの生い立ちも幸せとは言えない複雑なものだった。

「……右も左も解らない子供の頃に、そんな酷い境遇に置かれていたら、誰だって歪むわ。彼らもまた特別な人間なんかじゃないの。哀れな犠牲者なの。生まれついて・・・・・・の殺人鬼・・・・なんかじゃない・・・・・・・

「まあ、言わんとしている事は解るよ。でもさ、そんなものじゃないかな? 動機や原因もなく、人殺しなんてできる訳ないよ」

「そうかしら?」

 辺見和華は意味ありげな笑みを浮かべる。

「私はいると思うわ。“生まれながらの殺人鬼”が。この町に……」

 その言葉を聞いた實田は、はっとした。

 それは、きっと、三年前に彼女の母親を殺した犯人の事を言っているのだろう。直感的に、そうではないかと思った。

 すると、次の瞬間だった。がらがらとガレージのシャッターが開く音した。

 それを聞いた辺見は、周囲を警戒するミーアキャットのように中腰になりながら言った。

「やば……お兄ちゃん、帰ってきたみたい」

「え……?」

「ごめん。今、靴を持って来るから、裏口から出て」

 辺見はそそくさと部屋の出口へ向かう。

 實田も立ちあがる。

 

 ……それから、辺見の指示通り、辺見の私室の右隣に位置する和室から掃き出し窓を通じて裏庭に出ると、裏門から外に出た。

 そのまま、辺見邸裏手の田圃の畦道を通って家へと帰る。

 その途中、實田は疑問に思う。

 辺見が連続殺人鬼シリアルキラーに興味を持ったのは兄の影響らしい事は解った。

 ならば、彼女が自分のような目立たない人間に興味を抱き、共に時間を過ごしてくれる理由は何なのであろうか。


 ……實田郡司は特別だから。

 ……實田郡司は自分の話を聞いてくれるから。

 ……實田郡司は辺見和華にとっての恋愛対象であるから。


 どれも、違うような気がした。

 けっきょく、いくら考えても、彼がその答えに至る事はなかった。

 

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