【06】お宅訪問



 辺見和華と初めて言葉を交わした翌日、實田群司は緊張した面持ちで学校へと向かった。

 想い人とのファーストコンタクト。

 昨日の事は夢だったのではないか……という不安が心を占めていたが、それは杞憂きゆうに終わる。

 辺見は朝のホームルーム前に、さも当然といった様子で實田の席に近づいてくると、気軽に話しかけてきたからだ。

 とうぜんながら、その光景を目の当たりにした他のクラスメイトたちは驚愕する。

 あの孤高を貫いてきた美少女の辺見和華が、冴えない實田群司と親密な様子で会話をしている。

 羨望せんぼう憧憬しょうけい、嫉妬、困惑……。

 それらの視線を一手に集める實田は、有頂天になった。

 やはり、自分は主人公だったのだ。

 昨日の辺見和華とのファーストコンタクトを経て、ようやく物語が始まった。

 その確信を深めて、その日はずっと夢見心地のまま過ごした。




 辺見と話してみて、實田が真っ先に抱いた感想は“やはり普通とは違う”だった。

 彼女の好奇心のベクトルは、まっとうな青春を謳歌おうかする他の同年代とは、真逆の方向にあった。

 それは、陰、闇、黒、夜、悪、死……。

 辺見は、そうした“普通の少女”たちが忌避してやまない物事に深く惹かれていた。

 特に彼女が興味を抱いていたのは、海外の連続殺人鬼シリアルキラーたちについてであった。

 エド・ゲイン、テッド・バンディ、ピーター・サトクリフ、リチャード・ラミレス、エドワード・エミール・ケンパー、ヘンリー・ルー・ルーカス、アルバート・フィッシュ、アンドレ・チカチーロ、ハーマン・ウェブスター・マジェット……。

 彼女は嬉々として、その生い立ちや犯行の詳細に至るまで、實田に語って聞かせた。

 それらの話は普通ならば、すべて眉をひそめるような、凄惨で胸糞の悪いものばかりであった。

 實田も本来ならば、そんな話は聞きたくもなかったが、じっと堪えて聞き役に徹していた。

 自分を主人公だと信じて、ありもしない物語が始まるのを何もせずに待ち続けた空っぽの彼には、代わりに彼女の興味を惹けるような話題を持ち出す事などできなかったからだ。

 そして、何より、辺見がとても楽しげに、それらの話を自分にしてくれるのが単純に嬉しかった。

 きっと、彼女はこれまでに、こういった話を誰ともする事ができずにいたのだろう。實田は、そう推察した。

 そして、自分が彼女の唯一の話し相手になれているのだという事実が、彼の心を優越感で満たしていた。

 自分は辺見和華というヒロインに選ばれた特別なのだ。

 その思いが、もともとあった實田の“自分は周りとは違う”という選民意識を加速させ、彼は前にもまして、平凡な同年代を内心で見くだすようになった。

 周囲の者たちは、そうした實田の心中を彼の態度から敏感に感じ取り、次第に距離を置くようになった。

 気がつけば、實田群司は学校で更に孤立するようになっていた。

 しかし、それでも彼は幸せだった。

 隣に最愛の辺見和華がいてくれたのだから……。




 それは、二〇一五年六月の日曜日であった。

 實田群司は、初めて彼女の家に招かれた。

 この頃の辺見邸は、庭こそ少し荒れ気味ではあったが、屋内は綺麗に片付いていた。

 少し古びてはいたが、センスのよい調度類は、すべて亡くなった両親が遺してくれたものらしい。

 ともあれ、實田は玄関から一階の奥にある彼女の部屋へと向かう途中で、ずっと気になっていた事を小声で尋ねた。

「ねえ」

「何?」

 廊下の先を行く辺見が振り向かずに返事をした。實田は言葉を続ける。

「……あの、今日は、お兄さんは……」

 それが、いちばんの気掛かりであった。

 辺見とのファーストコンタクトを果たしたあの日、彼女の兄は門前に立つ妹の同級生の事を、明らかに歓迎していなかった。

 招待されるのは嬉しかったが、あの兄と鉢合わせて、またあの怪物じみた形相で睨まれたら……と、思うと實田は気が気ではなかった。

 しかし、辺見は、その不安を打ち消すかのように、鼻を鳴らして笑う。

「……お兄ちゃん、たぶん、夕方くらいまで帰ってこないよ」

「出掛けてるんだ……」

 ほっと、胸を撫でおろす實田。そんな彼の心情を背中越しに悟ったのか、辺見はくすりと意地悪く微笑む。

「デート。彼女さんと」

「彼女なんて、いたんだね」

 あの強面とつき合おうなどという者がいた事が意外に思えたので、素直に驚いてみせた。

 すると、辺見はどこか兄を小馬鹿にしているかのような調子で、

「相手は五歳上の人で、新照小学校の教師だよ。私の担任だった人」

「そ、そうなんだ……」

 と、實田が返事をしたところで、辺見が扉の前で立ち止まる。

「ここ、私の部屋」

 そう言ってから、辺見は實田の方に向き直り、蠱惑的こわくてきな表情を浮かべる。

「……男の人、部屋に入れるの、キミが初めてだよ?」

「お、おう……」

 そう返事をするのがやっとだった。顔面が熱を帯び始める。

 すると、辺見は嗜虐的しぎゃくてきに見える微笑みを浮かべて、扉のノブに手をかける。

「……さあ、どうぞ」

 實田は、ごくり……と、喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。




 扉口に立ったまま、實田は目を見張った。

 なぜなら、辺見和華の私室は、あまりにも予想外で異様だったからだ。

「……どうしたの? そんなところにいないで早くこっちへ来てよ」

 入り口から見て左手の壁は、一面の本棚であった。

 そこに納められているのは、実録犯罪物のノンフィクションや連続殺人鬼シリアルキラーに関する書籍、そして、とうてい女子中学生が読むとは思えない犯罪捜査、犯罪心理学、法医学、プロファイリングなどの専門的な書籍が背表紙を並べていた。

 しかし、それは、まだ予想の範疇はんちゅうと言えたであろう。

 問題は、その対面の壁際であった。

 四つの大きな水槽が並べられているのだが、そこで飼育されているのはすべてが昆虫であった。

 それも、カブトムシやクワガタムシといった、飼育用として一般的なものではなかった。

 ダンゴムシやムカデ、シデムシにカマドウマまでいる。

 そういった虫たちが、それぞれの水槽でうじゃうじゃと大量に蠢いていた。

 昆虫類は、そこまで苦手ではなかったはずの實田であったが、あまりの数に生理的嫌悪感が沸き起こる。

 そんな彼の反応を観察するかのように眺めてから、辺見はクッションに囲まれた室内中央の座卓を指差して言った。

「そこ、適当に座って。今飲み物、持ってくるから」

「あ、うん……」

 實田は曖昧に頷き、彼女の言葉に従った。

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