【05】トライポフォビア
「……失踪した少女の兄は、この辺の地元の同年代の間では、けっこうな有名人だったと言われているわ」
「というと?」
桜井と茅野の二人は、目的地から少し離れた場所にあるスーパーの駐車場に車を停めると、そこから徒歩で移動する事にした。
古びた住宅街の路地を何食わぬ顔で
煮しめた
骨董レベルの理髪店や金物屋。
交差点の隅には、暑さで
それらの側を通り過ぎる二人は、まるで友人の家に遊びに来た普通の女子高校生といった雰囲気を全身にまとっている。
因みに、この日の装いは、いつものハイカー風ではなく、普段着といって差し支えないラフなものだった。誰が見ても心霊スポット狂いのイカれた連中に見えはしないだろう。
ともあれ、茅野はファッションやアイドルの話をするかのような面構えで、失踪した女子高生の兄についての話題を続ける。
「例のオープンチャットでも、奇行が多かったという書き込みがいくつか見受けられたわ。いっけんすると内向的な性格だけれど、身体が大きくて、いったん暴れ出すと手がつけられなかったそうよ。中学一年生のときに、クラスメイトと喧嘩をして怪我を負わせた事もあるみたい。その一件から、彼と積極的に関わろうという人間はいなくなったというわ」
「何でも暴力で解決しようとするのは、よくないよね」
と、桜井が本気とも冗談ともつかない顔で言った。茅野は特に突っ込もうとはせずに話を続ける。
「……もっとも有名なエピソードは、理科室の掃除当番のときの出来事よ。彼は準備室にあった水槽を、奇声をあげながらひっくり返した事があったらしいわ。水槽の中にはカエルの卵があったらしくて、かなりの大惨事だったみたい。これは、当時の在校生の間では、かなり有名な事件みたいね」
「何で、そんな事を……」
桜井は眉をひそめる。すると茅野が、すかさずこのエピソードについて捕捉した。
「これについては、元同級生を名乗る人物の書き込みで、彼は“トライポフォビア”であったのではないかという指摘がされていたわ」
「とらいぽ……ふぉびあ……?」
桜井が首を傾げ、茅野が解説を始める。
「トライポフォビアは、小さな穴や水玉みたいな細かい模様のパターンなどに対する恐怖症の事ね。日本語だと集合体恐怖症と言われているわ。これは、人間が持つ、皮膚病や感染症などへの忌避感が根源にあるとされているの」
「ふうん……」
と、相変わらず、話を聞いていなさそうな顔で返事をする桜井。
そろそろ、二人の足は古びた町並みの端へと差し掛かろうとしていた。
「……もっとも、この情報についての真偽は定かではないのだけれど」
「まあ、ネット情報だしねえ……」
「それから、もう一つ、真偽不明だけれど、気になる噂があるわ」
「なになに?」
「彼が自宅で、ピエロの格好で首を吊る数年前から、この新照周辺で、犬や猫が何者かに殺されるという事件が相次いでいたそうよ。小学校で飼育されていた兎が犠牲になった事もあったみたい」
「まさか……」
桜井が厳しい表情で、隣を歩く相棒の横顔を見あげた。
茅野は前方を見据えたまま頷く。
「ええ。彼がその犯人だと疑う書き込みがいくつもあったわ」
二〇一三年頃――。
砂利の敷かれた地面を、そっと踏みしめる音に、興奮を抑えたかのような息遣いが重なる。それ以外の音は何も聞こえない。
それは、どこかの廃材置場であった。
真っ黒に錆びた鉄パイプや、コンクリート片。
どこぞから運ばれてきた大量の土砂は、よく育った藪枯らしの蔦に覆われている。
周囲にあるのは田園ばかりで、ブリキの波板に囲まれているため、人の目につく事はない。普段は誰も立ち寄る事ない場所である。
しかし、その足音の主は、確かな目的を持って、この忘れ去られた場所へ来訪していた。
やがて、廃タイヤやドラム缶が並べられた一角の前まで来ると、足音はぴたりと止まる。
いったん、スマホカメラのレンズを軍手に覆われた指先が、そっと拭いて離れる。それから再び足音が廃タイヤの方へと近づいてゆく。
微かに何かが身動きする音が聞こえた。
カメラのレンズが、その音が聞こえた方にあったドラム缶の影へと向けられる。
そこには、一匹の猫がいた。
白黒の
それらを
縦に割れた両目を見開き、軽く口を開いて牙を見せてはいるが、突然の来訪者に脅えて逃げ出す様子は見られない。どうやら、ずいぶんと慣らされているようだ。
おもむろに差し出された右手にも、一瞬だけ身を引くような仕草を見せるも、すぐに鼻を鳴らして顔を寄せて来る。
そして、猫は何かを訴えるような鳴き声を発して、来訪者をすがる目つきで見あげた。
来訪者は、ポケットの中から猫の餌の缶詰を取り出してプルタブを引き、少し離れた地面にそっと置く。
すると、猫は一目散に、その缶詰へと鼻先を突っ込む。
スマホのカメラは、その様子をじっと撮影している。
すると、そのスマホを構えた方とは逆の手が、近くに落ちていた野球ボールくらいの石を拾った。
猫が動きを止めて、視線をあげる。
しかし、すぐに缶詰へと集中し始める。
石を握りしめた手が、ゆっくりと振りあげられる。
猫はまだ缶詰の中身を頬張り続けている。
「ふふん」と、悪意の籠った含み笑い。
その直後、凶弾が放たれた。
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