【03】名推理?



「犯人は、店内に残っていた兄だ!」 


 フロントガラスを見据え、きりっとした顔つきで言い放つ桜井。

 それは、助手席に腰を埋めた茅野の口から、二〇一二年のショッピングセンターで起こった事件のあらましを聞いた直後の事であった。

「……兄が店内で万引きした包丁を持って、いったん店を出た! 外から女子トイレの窓を使って侵入し、母親をった! 妹の見たピエロは、兄があらかじめ用意していた変装!」

「動機は?」と促す茅野。桜井はしばし思案顔を浮かべてから、再び己の推理を口にする。

「……お菓子をねだったが買ってもらえなかった事に対する怨恨!」

「なかなかの名推理ね」

 とは言ったものの、茅野は首を横に振る。

「でも、残念ながら、それは不正解よ」

「そか……」

 しょんぼりと、眉をハの字にする桜井だった。茅野は言葉を続ける。

「まず、店内に残っていた兄は、当時、すでに二十一歳で、体格もかなりの大柄だったそうよ。それに、凶器の包丁の出所は今のところわかっていないけれど、少なくとも事件の前に、現場となったショッピングセンターから持ち出されたという話はどこにもないわね。もちろん、報道されていない可能性もあるけれど」

「じゃ、違うかー」

「それに、犯行が突発的だったとして、犯人はなぜピエロの格好なんかしていたのかしら?」

「まあ、人相を隠したいだけなら、もっと簡単な方法があるよね」

「そうね。それから、男性である兄が事前の下調べもなく、外に面した窓から女子トイレに侵入できる事を知っていたとは考え辛い。普通そういったトイレの窓みたいな場所のセキュリティは、店舗側も気を使うはずだもの。現場となったショッピングセンターは、その辺が、ずいぶんとガバガバだったみたいだけれど」

「つまり、犯人は女! ピエロの格好はぶかぶかだから、体型から女性であると悟られないために着ていた!」

 再び眉を、きりっとさせて推理を口にする桜井であった。

 意気盛んな友の様子に茅野は、くすりと微笑んでから己の見解を述べる。

「……犯人がピエロの格好をしていた理由の方はなんとも言えないけれど、なかなか面白い推理よ、梨沙さん」

「それは、どうも……」と、気のない調子で言ったあと、桜井は一拍置いて端的に問うた。

「でも、違うんでしょ?」

 のんびりと走るミラジーノの横を、長距離トラックが苛立たしげに抜き去ってゆく……。

 そのテールランプを見送りながら、茅野は「そうね」と、頷いた。

「梨沙さんは、忘れているみたいだけど、唯一の目撃者である妹は、犯人について、声からすると男・・・・・・・であると述べているわ」

「あー」と、得心した様子の桜井。茅野は更に話を続ける。

「それに、私としては、被害者が延髄えんずいを刺されているのが気になるわ」

「というと?」

「まず、延髄を刺されていたという事は、背後から襲われたという事になるわよね?」

「うん」

「妹の証言から推察された通りの事が起こったのだとすると、母親が奥の個室を開けようとしたところで、中央の個室が開き、包丁を持ったピエロ姿の犯人が現れた……」

「うん。それで?」

「それなのに背後の延髄にしか傷がないというのが、どうにも不自然に感じるわ。防御創ぼうぎょそうも見られなかったみたいだし」

「ぼうぎょ……そう……?」

 桜井が首を傾げ、茅野は解説を始める。

「刃物で襲われたとき、顔面や頭部を守ろうして、主に腕の肘から先の部分にできる傷の事ね」

「ふうん」

 と、話を聞いていない風の顔でいつもの返事をする桜井であった。

「兎も角、いきなり、そんなピエロの格好をしたおかしい人が現れたら、まず確実にそちらの方を向くわ。それから、身の危険を感じたとしても、狭いトイレの中で背を見せて逃げようとしたとは思えないし……」

「確かに……おかしいね」

 と、桜井は難しい顔をする。

「もっとも、妹の方は個室にいて、殺害時の状況を直接、目にした訳ではないのだから、前提条件そのものが間違っている可能性は充分にあるわ」

「確かに、妹が聞いた音だけが手がかりだしね」

「ただ……」

 と、茅野は、そこで右手の人差し指を立てる。

「いずれにせよ、犯人はそのショッピングセンターの女子トイレが、外から侵入可能だと知っていた人物である事は間違いないと思うわ」

「ならば、ピエロの格好をした変態か」

「その説はあながち否定できないわね……」

 などと、会話を交わすうちに、二人を乗せた車は目的地へと近づきつつあった。




 館の中は荒れ果てていた。

 周囲を取り囲む合歓ねむたぶの木立のお陰か、中は薄暗くひんやりとしており、墓所のように静まり返っていた。

 広々とした玄関から延びた廊下の床板は、うっすらと砂埃すなぼこりに覆われ、いくつかの靴跡が浮いていた。

 部屋の扉は、ほとんどが外されており、壁や天井がところどころ剥がれている箇所があった。

 しかし、それ以外は、實田郡司が過去に一度だけ訪れたときと何ら変わらない。

 懐かしさと、記憶の中の光景が荒れ果ててしまった事への胸の痛み……。

 それらの感情がない交ぜになり、眼球の裏側が熱を帯び始める。

 しばらく、思い出に浸りながら佇んだあと、實田はショルダーポーチから、用意してきた懐中電灯を取り出す。

 点灯したあと、そっと思い人の名前を呟いた。

「和華……」

 彼女の失踪について、實田は一つの確信を抱いていた。

 恐らく、二〇一二年の事件も、辺見和華の失踪も、彼女の兄の静馬しずまによって引き起こされたのであろうと……。

 あの異常者・・・が、辺見和華を死に至らしめた。

 そして、彼女の遺体は、未だにこの館のどこかにある。

 それを見つけだし、さ迷える辺見和華の魂を解放する事が“自分の物語”であると、そう信じ込んでいた。

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