【07】桜井梨沙、ついに殺る


 二〇二〇年八月二十九日の十五時過ぎ。

 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン』にて。

 この日も朝から怪しげな占いグッズの並ぶ店内に客の姿はなかった。

 九尾天全はというと、バックヤードの整理に勤しんでいた。

 思いの外、熱中してしまい、そろそろ休憩をしようとカウンターへと戻ったところで、充電したままだったスマホにメッセージの着信がある事に気がついた。

 嫌な予感を覚えながらも、スマホを手に取って確認してみると、案の定、送信者は桜井梨沙である。

 いつものように、メッセージに本文はなく、一枚の画像が添付されていた。

 それは、一見すると焼け焦げた木材が所々からのぞく、熊笹のやぶであったが、この世ならざるモノを見透す九尾の目には別なモノも映っていた。

「……これは相当、不味いわね」

 彼女が写真の中に視たモノとは、熊笹の藪の到るところにたたずむ大勢の人影だった。

 その年格好は若者から年寄りまで幅広く、全員が血の涙を流していた。

 ……恐らくは、この地で命を落とした者たちの成れの果て。

 そして、それ以外の強力な霊的存在とも結びついているようだ。

 かなり、強い怨念を秘めているが、幸いにも撮影者にはまったく興味を示していない。しかし、それでも、かなり危険性が高い事には間違いなかった。

「……もう。また、あの二人は」

 と、いつものようにぼやいて九尾は桜井に電話を掛けた。

 すると、三コールで通話は繋がる。

「……ちょっと、梨沙ちゃん、今度はどこにいるの!?」

 と、少し強めに問い質すと、桜井が返答しだす。しかし、それは、いつもの彼女らしからぬ、重く真面目な声音だった。

『センセ……』

 明らかな異常を察し、ごくりと喉を鳴らす九尾。

「り、梨沙ちゃん……どうしたの?」

あたし・・・ついに・・・殺っちゃった・・・・・・

った!? 何を!?」

『また、電話するよ』

「ちょっ、待って、梨沙ちゃん!」

 そこで、通話が途切れる。

 九尾は呆然とスマホを見つめながら言葉を吐き出す。

ったって、何を……」

 誰もいない店内に、その疑問の答えをもたらす者はいなかった。




 時間は少しさかのぼる。

「うりゃあー」

 と、若干、気の抜けた雄叫びをあげながら、桜井は藪を掻き分けて血の涙を流す男に突っ込む。

 男は意に介した様子をまったく見せず、棒立ちのままだった。

 これは、楽な展開だ……桜井は、そう思った。

 そして、男の前まで来ると素早い踏み込みから、一直線に相手の胃袋を右ストレートで打ち抜いた。

 拳が着弾した瞬間、ゴムタイヤを金槌で打ちつけたかのような音が鳴り響く。手応えは満足のいくものであった。

 刹那、血の涙を流す男の身体がくの字にへし折れる。

 桜井は素早く拳を引いてバックステップを踏んだ。

 男は脱力し、そのまま膝をついて前のめりに顔から倒れる。

 明らかにやばいダウンの仕方である。

「……むっ。これは、やり過ぎたか」

 桜井が倒れたまま動かない男の元で屈み、首筋に右手の人差し指と中指を当てた。そして、数秒後、沈痛な表情で首を横に振った。

 男に向かって手を合わせ、数秒の黙祷を捧げたのちに立ちあがる。斜面の上から事態を静観していた茅野に向かって右手をあげた。

「循ー! ちょっと間違えて殺っちゃったー!」

 すると、その直後、彼女の首にぶらさがったスマホに九尾からの着信が届いた。



 桜井が通話を終えると、冷静に倒れた男の検死をしていた茅野が声をあげた。

「……梨沙さん、貴女は無実よ」

「それは、よかったよ。流石に殺しはやばい」

 桜井が緊張気味だった表情を和らげた。そして、地面に突っ伏したまま動かない男を見おろして問う。

「……じゃあ、この男の死因は?」

「これを見て」

 と、茅野がビニール手袋に包まれた右手の指で男の延髄えんずいの少し上を押した。

 すると、不自然なほど深く、彼女の指先がめり込む。よく見れば、その周囲の頭髪が赤黒く濡れそぼっていた。

「循……これは……」

「頭蓋骨が砕けているわ。脳にも相当な損傷を負っている。恐らく即死だったはずよ」

「ああ。この人、さっきは前のめりに倒れたもんね」

「そうね。腹にボディブローを受けて、うつ伏せに倒れて、後頭部にこんな打撲傷がつく訳がないわ」

「……でも、この傷はどうやってついたの?」

 当然の疑問を口にする桜井。

 すると、茅野は立ちあがると、男が立っていた周囲の藪を掻き分けて何かを探し始める。

 そして、藪の分け目を覗き込みながら、茅野は声をあげた。

「これを見て頂戴ちょうだい

「どれ……」

 桜井は茅野の元に寄って、彼女が視線を落とす藪の分け目を見た。すると、そこには地中から露出した、ブロック片の角があった。その角は赤黒く濡れそぼっている。

「これって、血?」

 桜井の問いに神妙な顔で頷く茅野。

「たぶん、男の死因は、後頭部をこのブロック片で打ちつけた事による打撲傷よ。恐らく最初に聞こえた悲鳴は、ここに頭を打ちつけたときに発したものじゃないのかしら?」

「でも……じゃあ、何で」

 桜井は倒れたまま動かない男の方へ再び視線をやった。

「この男はさっき動いていたの? 即死だったんだよね?」

「ええ。何か、常識では図り知れない力が働いていたのかもしれないわね。血の涙を流していた事も、石仏の伝承と符号しているし……」

「そだね」

 と、二人はしばしの間、何とも言えない表情で死体を見おろしながら佇む。

「……で、どうする? 取り敢えず、篠原さんに電話しとく?」

 その桜井の言葉に首を振る茅野。

「……状況から見たら男が転んで後頭部を打ちつけただけだし、死体の位置を直して、どこかの電話ボックスから、こっそり通報しましょう」

「あー、怒られそうだしね」

「変な疑いを掛けられても面倒臭いわ」

 二人は血痕のあるブロックを枕に死体を寝かせ直したあと、来た道を引き返し始める。

「……なかなか、不気味なスポットだったわね」

「そだね。最近で一番、ひやっとしたかも……。それはそうと、ほっとしたらお腹が空いてきたよ……」

「ならば、今日は、久々に速見さんのところで食べるというのはどうかしら?」

「いいねえ……焼き肉」

 などと、何事もなかったように帰路に着く二人だった。それから、二人は銀のミラジーノに乗って山を降り、荒北町の中にある古びた煙草屋の軒先から警察に通報を済ませた。


 ……しかし、通報を受けて穴仏集落跡に駆けつけた警邏隊けいらたいの警官は、男の死体を発見する事ができなかった。

 藪に埋もれたブロック片の不自然な血痕は見逃され、通報は悪戯だと処理された。




 十六時になった。

 『Hexenladenヘクセンラーデン』のカウンター内で、スマホ画面を凝視しながら律儀にも桜井の折り返しの電話を待つ九尾だった。

「……大丈夫かしら? 梨沙ちゃんと循ちゃん」

 あの二人に限って滅多な事はないと信じているが、それでも不安にかられてしまう。あの電話での桜井の声は、いつもの彼女と比べるとかなりシリアスな調子だったからだ。

「やっぱり、こっちからもう一回……」

 と、桜井に電話を掛けようとした寸前でメッセージが届いた。

 送信者は当の桜井梨沙である。

 文面は以下の通り。


 『ごめん。センセ、やっぱ、ってなかったわ(謝罪を表すスタンプ)』


「殺!? ええええ……」

 “やる”が“殺る”だと知って、ますます不安になる九尾であった。

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