【03】第一村人発見


 二〇〇九年。

 渋谷某所に所在するクラブ『アルテミス』で発生した銃乱射事件は、その現場の凄惨さから各種メディアによって大々的に報じられる。

 被害者の五名は関東圏内を活動範囲とする準暴力団組織の関係者で、いわゆる“半グレ”と呼ばれる者たちであった。

 それゆえに、犯行に及んだと目されたのは、対立する反社会勢力の関係者であると思われていた。しかし、現場に居合わせた目撃者の証言によれば、どうやら犯人は被害者と同じグループに所属する十八歳の少年であるらしい。

 名前は大室一生おおむろいっせい

 彼が犯行に用いた銃は中国製のトカレフで、これは現場となったクラブの床に落ちていたのを機動捜査隊の警官が発見している。

 一方、大室本人の姿は見当たらず、当初は他の客や野次馬に紛れて逃亡したと思われていた。

 そして、事件から数時間後。

 大室は変わり果てた姿で品川駅近くにあるビジネスホテルの一室で発見される事となった。




 ホテルの廊下に張られた黄色い規制線を潜り抜けると、警視庁捜査一課の津田寛次郎つだかんじろうは、その部屋の開かれた入り口の扉を覗き込む。

 すると、中では紺色の作業着に身を包んだ鑑識員たちが、粛々しゅくしゅくと己の役割をまっとうしていた。

 その少し後にスーツ姿の刑事が制服警官と連れだって廊下へと出てくる。

 その顔つきは、どうにも浮かない。“狐につままれた”という慣用句がしっくりとくる表情をしている。

 津田は怪訝けげんに思いながら、部屋から出たスーツ姿の若い刑事を呼び止めて、話を聞く事にした。

 彼は大室の死体が発見されたという一報を受けて、現場にいち早く駆けつけた所轄署の刑事であった。津田は挨拶もそこそこに本題を切り出す。

「……それで、遺体発見時の状況に何か不審な点でもあったんですか?」

「ああ……実は、ちょっと、おかしな事になってまして」

 と、所轄署の若い刑事――村岡むらおかは、疲れた様子で苦笑する。

「おかしな事とは……?」と、津田が眉間にしわを寄せながら促すと、村岡は語り始めた。

実は死亡推定時刻・・・・・・・・が合わないんです・・・・・・・・

「合わない? どういう事です?」

「『アルテミス』で銃撃事件があったのは、今日の深夜一時過ぎですよね?」

「ああ……」と、津田は記憶を辿りながら頷く。すると、村岡が到底信じがたい事を口にする。

「……ですが・・・発見された大室の・・・・・・・・遺体は・・・どう考えても・・・・・・死後二十四時間以上・・・・・・・・・経過しています・・・・・・・

「はい?」

 津田の顔に更なる困惑の色が浮かんだ。何気なく腕時計を見る。現在の時刻は朝の十時前だった。

「……詳しい検屍をした訳ではありませんから、何とも言えないところですが、私の目で見ても、あのホトケが死んで半日も経過していないだなんて、とても考えられません」

「部屋に暖房は……」

「ついていませんでしたよ」

 と、村岡は津田の質問に即答する。このとき、季節は秋の終わりである。暖房でもつけていない限り、死体現象が早く出る事はあり得ない。

「……ここで見つかったホトケが、大室とは別人という可能性は?」

 この津田の問いに村岡は首を橫に振った。

「いいえ。所持品や人相、更に着ていた服装も『アルテミス』で目撃された犯人のものと一致していますし、首を一周するコブラの刺青も大室の特徴と同じです」

「どういう事なんだ……」

 津田の吐き捨てるような言葉に、村岡は無言でかぶりを振った。

 因みに大室の死因は、刃物で滅多刺しにされた事による失血死で、凶器となったバタフライナイフは現場に落ちていたのだという。


 ……後日、検屍の結果、大室の死亡推定時刻は『アルテミス』での銃乱射が発生するより前であった事が確定された。

 しかし、彼の両手首からは硝煙反応が検出され、現場に落ちていたトカレフからも彼の指紋が見つかった。

 けっきょく、この一件は、常識外の案件を扱う警察庁の特殊な部署へと持ち込まれる事となった。




 二〇二〇年八月二十九日。

 左側にはガードレール。右側には樹の根が剥き出した赤土の壁が連なっている。

 頭上には張り出した枝葉が屋根を作っており、その蛇行した坂道にトンネルであるかのような闇をもたらしていた。

 路面や側溝、ガードレールなどは、おびただしいこけに被われていた。本当に、この道の先に人が暮らす場所があるのか、怪しく思えてくる。

 特殊詐欺グループの受け子兼出し子の瀬戸内浩介は、黄色いハスラーのハンドルを握りながら、その山道の先にある穴仏集落を目指していた。

 時刻は十三時四十三分。

 掛け子が指定した十四時までにターゲットの家に着かなければならない。少し急いだ方がいいかもしれない。

 瀬戸内はアクセルを力強く踏み込んだ。

 すると、じきに右曲がりのカーブが前方に見えて来る。その直前の左の沿道に立つミラーへと視線を向けたが、鏡面が苔に侵食されて曇っており、何の意味もなしていなかった。

 その役に立たないミラーの脇を通り過ぎ、ハスラーはカーブを曲がり始める。

 すると、次の瞬間、瀬戸内はぎょっとする。

 カーブを曲がり切った数十メートル前方の右側の沿道に一人の少年がぽつんと立っていた。

 虚ろな眼差しで、瀬戸内の来る方向をじっと見つめている。

 薄暗い山間の道で何をするでもなく、じっと立ち尽くす彼の姿は不気味であった。しかし、そんな事よりも、瀬戸内が強い違和感を覚えたのは、彼の服装であった。

 オーバーサイズのパーカーとデニム、バンダナを巻いた赤いベースボールキャップ。

 まるで、どこかのギャングのような風貌だ。

 ふざけた仲間に置き去りにでもされたのか。

 だが、もしもそうなら、瀬戸内の車を停めようとするはずだ。彼は何のリアクションも示さず、ぼんやりとハスラーの動きを目で追うばかりであった。

 ならば、これから向かう穴仏集落の住人なのだろうか。

 ……だったとしても、あまりにも似つかわしくない。

「何だ、あれは……」

 瀬戸内は苦笑する。

 そして、その少年の脇を通り抜けたときだった。

 瀬戸内は・・・・彼の首にコブラ・・・・・・・の刺青がある事に・・・・・・・・気がついた・・・・・

 しかし、それは、彼にとって、何の意味もなさない事柄でしかなかった。

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