【02】番頭と道具屋
二〇二〇年八月三十日の早朝だった。
その六畳のワンルームには、ほとんど物が置かれていなかった。
あるのは寝袋二つとゴミ袋、衣類や日用品の詰まった旅行鞄。
タワー型で十個口の電源タップが二つ。床に置かれており、大量のアダプターが差してあった。そこから伸びたコードの先は、それぞれ別なスマホに突き刺さっている。
更に折り畳み式のキャンプ用テーブルには二台のノートパソコンが背中合わせに置かれている。
そして、クッションの上で
彼の名前は
掛け子の戸脇や受け子兼出し子の瀬戸内のような、巣鴨の手足となるバイト要員は複数人いて、彼の指示によって特殊詐欺を成功に導くために動く。
グループの心臓のような役割を担う巣鴨であったが、バイトたちと顔を合わせた事は一度もない。
面接は電話でのみ行い、合格者には顔写真と身分証のコピー、履歴書を送らせるので、彼らがどんな人間なのかはある程度把握はしているのだが……。
ともあれ、その日も朝起きるとメールのチェックを一通り終える。すると、近くのコンビニに行っていた
彼はいわゆる機材などの調達やセッティング、バイト募集のホームページや偽の身分証などの作成を請け負う“道具屋”だった。
このグループではバイトたちへの報酬の支払いや騙し取った金、
「ういー、どう?」
そう言って、松田は巣鴨の対面に腰をおろす。テーブル越しにサンドウィッチと缶珈琲を彼に渡し、自分はカルビ弁当を食べ始めた。
「……今のところ、何の問題もねえな」
その巣鴨の答えを聞いて、松田はにやつき、口の中に掻き込んだカルビと米をダイエットコーラで押し流す。そして、ふと思い出した様子で語り始めた。
「ああ、そう言えばさ……あの噂」
「あの噂……?」
「名簿屋が言ってたの。呪われた名簿とかっての」
件の“呪われた名簿”の話を名簿屋から聞いて枝本にもたらしたのは松田であった。
因みに彼らも枝本とは直接顔を合わせた事はない。ダークウェブの掲示板の募集告知で雇われただけに過ぎず、枝本の上に棚橋がいる事も知らない。
そういった意味では、この巣鴨と松田も特殊詐欺グループを構成する歯車の一つにしか過ぎなかった。
「アレ、ちょっと、気になって調べたんだよ」
「へえ……」と、巣鴨は小馬鹿にした様子で鼻を鳴らす。しかし、松田は特に気にする事もなく、話を続ける。
「かなり前にさ、渋谷の『アルテミス』っていうクラブであっただろ? 銃乱射」
「ああ……」
巣鴨が視線を上にあげて記憶を辿る。
「確か二〇〇九年だっけ……? 半グレと、その女が五人くらい死んだやつ。犯人も自殺したんだよな、確か」
「そう。それ」
そう言って松田はダイエットコーラを一気飲みする。
「あれの犯人ってのが、その半グレどもの後輩で、俺たちみたいにチームを仕切ってたらしいんだけど……」
「仲間割れか?」
「表向きは、そういう事になってるらしいが、アレ、その呪われた名簿が原因だって話だぞ。呪いで頭がイカれたらしい」
松田がそう言い終わったあと、巣鴨が思い切り吹き出す。口から噴射された珈琲の滴がパソコンのモニターに汚ならしい斑を浮かびあがらせた。
「おい、やめろよ。笑かすな……やっぱ、呪いとか有り得ねーって」
巣鴨はティシュでパソコンのモニターを拭う。松田も気を悪くした様子なく
「いや、すまんな。ただ噂の名簿は、そのアルテミスで死んだ半グレたちのグループから流れたものだって話だ」
「はっ。そりゃ、おっかねーな」
巣鴨はおどけた調子でそう言って缶珈琲を飲み干した。
すると、その瞬間、部屋のインターフォンが高らかに鳴り響く。
「新聞の勧誘か?」
「くそ、うぜえ」
松田は舌を打ってノロノロと立ちあがった。そして、玄関の方へと向かう。
時間は少し戻って、その前日の事。
二〇二〇年八月二十九日の昼過ぎだった。
桜井梨沙と茅野循は今日も今日とて銀のミラジーノに乗り込み、県央の山間部を目指していた。
当然ながら心霊スポット探訪である。
「……それで、今回はどんなスポットなの?」
河川に沿って山の方へ延びた道を
「今回は穴仏集落
「血の涙……よく聞くよね。海外で“キリスト像とかマリア像”とかが、血を流すみたいなの」
「ええ。そうね。割りとオカルト界隈ではオーソドックスな現象よ。今月の始めにも、イタリア南部レッチェ県カルミアーノのパオリーノ・アルネザーノ広場のマリア像が血の涙を流したらしいわ」
「へえ。最近でもあるんだ」
「そうね」と、頷いて茅野はドリンクホルダーから、たっぷりと甘くしたコンビニのアイス珈琲のカップを手に取って
「……ただ“像から血の涙が流れる”という現象は、キリスト教圏では神のもたらした神聖な奇跡とされているけれど、穴仏集落の石仏は、それとは少し異なるわ」
「と、言うと……?」
のんびりとしたハンドル捌きを見せながら、桜井が問う。
茅野は再びストローでアイス珈琲をずるずると
「……この石仏の前で怨んでいる人の名前と、その人物から受けた仕打ちを口にすると、石仏が血の涙を流す事があるそうよ。そうすると、口にした名前の人物に災いが降り掛かるらしいのだけれど……」
「へえ。でも、それは確かめる訳にはいかないね。あたし、別に怨んでる人いないし、もしも、そんな人がいても、
「私も同じだけれど、直接はやめてあげなさい。その人が死んでしまうわ」
「そだね。やめる」と、桜井。
そして、茅野が右手の人差し指をメトロノームのように振る。
「……それに、実は、今回はその石仏がメインじゃないわ」
「というと……?」
「実は、その穴仏集落は、
「おっ、そなんだ。お決まりの過疎化で住民が途絶えたやつ?」
桜井の言葉に茅野は首を横に振る。
「……大規模な火災が起きて、住民の多くが死んだらしいわ。その一件で住む人がいなくなったそうよ」
「ふうん……原因は?」
「住民の一人が焼身自殺を図ったらしいわ。その火の手が風に煽られて飛び火したみたいね」
そして、茅野はフロントガラスの向こうに視線を置きながら不敵に笑う。
「そのとき死亡した住民の霊が出現するらしいわ」
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