【01】受け子と掛け子
台中央の液晶に表示されたスロットが止まり、何事もなかったように画面が元に戻った。
その数秒後、最後の一球が釘と釘の間を踊り狂いながら落下して虚しく飲み込まれる。
自動ドアから外に出て、エントランスのステップを降り、
すると、煌めく太陽が薄汚れた自分を馬鹿にしているような気がしたので目を逸らし、乾いたアスファルトの上に乗った自分の爪先を見つめた。そのまま、とぼとぼと歩き出すと駐車場へと向かう。
すると履いていたカーゴパンツのポケットの中でスマホが震えた。
立ち止まり画面を確認するとメールの着信があった。確認してみると、それは
戸脇は頬を弛ませると、スマホを再びポケットにしまい、弾む足取りで自らの黒い軽自動車に乗り込んだ。
戸脇明文は二〇二〇年の春先まで、県庁所在地の郊外にある居酒屋チェーンの厨房で働いていた。
福利厚生の面で不安はあったし、休みはほとんどなく、仕事も過酷であったが、この手のバイトは地方都市ではかなり貰える方だった。
漠然とした将来への不安や現状への不満は当然あったが、もともと怠惰で上昇志向の薄い戸脇にとっては、ぬるま湯のような居心地の良さがあった。
しかし、コロナ禍となって飲食業界に逆風が吹き始めた事を契機に、彼は店をクビになってしまう。
戸脇は店舗内ではベテランで、仕事はできたが、勤務態度が最悪だった。その事が原因で以前から店長と反りが合わず、おまけに自己中心的な性格から他のバイトや社員からも不評を買っていた。
これまでは店舗に人手が足らず、一から新人を育てるよりはまだマシだという消極的な理由で重用されていただけに過ぎなかったのだ。
こうして、戸脇は失職した訳だが、趣味がギャンブルである彼に貯蓄などまったくない。
いよいよ追い詰められてしまったのだが、そんな彼に救いの手が差し伸べられる。
高校のときの先輩であった蕪木克巳であった。
彼が戸脇に持ち掛けた仕事は特殊詐欺における“掛け子”であった。
掛け子とは名簿にある名前に電話を掛けて、被害者を直接騙す役割を背負っている。
とは言っても、マニュアルは事細かに定められているので、電話口で迷う事はほとんどない。
そして、電話を掛けたらその結果を番頭のアドレスにメールで報告するだけなので、手間もほとんど掛からない。
飛ばしスマホの発信場所を特定されても構わないように、自宅から離れた場所で仕事をしなければならないのと、報酬の受け渡しが駅のコインロッカーを介して行われるのだけが面倒といえば面倒だったが、苦労といえばそんなものである。
この日もどこかの
戸脇に罪悪感は一切なかった。
老い先短い死に損ないを騙して何が悪いのか。騙される方が間抜けであるし、年寄りが無駄に溜め込んだ金を有効利用
戸脇は邪悪な笑みを浮かべながらハンドルを切り、パチンコ屋の駐車場を後にしたのだった。
「ああっ、くそ!」
画面にはコンピューターグラフィックで作られた灰色の乾いた大地と、砲撃に曝された町並が映し出されており、中央には毒々しいフォントで『You are Dead』の文字が浮かんでいた。
ローテーブルの端にあった飲み差しのエナジードリンクを口にしたところで、近くの床に放り投げるように置いてあったスマホが震える。
画面を確認すると番頭からの仕事のメールだった。
瀬戸内はのそのそと立ちあがり、出掛ける準備をする。
彼は特殊詐欺の被害者からカードや通帳などを騙し取る“受け子”と被害者の口座から現金をおろす“出し子”を兼任していた。
初めの頃は喉から心臓が飛び出しそうなほど緊張していたが、二回、三回と経験を重ねるごとに何とも思わなくなった。
むしろ、わずかな時間で数万円の取り分が貰えるこの仕事を心待ちにしていた。因みに今回で五回目となる。
瀬戸内が特殊詐欺の片棒を担ぐ切っ掛けとなったのは、インターネットにあった『高時給バイト』の応募広告であった。
平凡な十八歳の大学生である彼は、遊ぶ金欲しさにあっさりと、その怪しげな広告に釣られてしまう。
もちろん、瀬戸内も自分のやっている事が犯罪行為であるという事は重々承知していた。
しかし、彼に犯罪を行っているという自覚は希薄で、まるでゲームか何かのように感じていた。そして、まだ自分が未成年である事や、誰かの指示に従っているだけという意識から、もしも警察に捕まったとしても、少し怒られて終わりなのではないかという極めて甘い見通しが、彼の罪悪感を麻痺させていた。
ともあれ、瀬戸内は学生寮を出ると近所のコンビニへと向かう。それから、マルチコピー機でメールに添付されたデータをプリントアウトした。
それは偽の名刺とネームタグで、どちらも県の職員を装ったものである。
そのプリントアウトしたものを持って再び学生寮に帰る。自分の部屋に戻り、名刺を名刺入れにしまって、ネームタグをケースの中に入れる。
窓際のカーテンレールに掛けてあった紺色のスーツとワイシャツに着替えた。これで準備万端である。
あとはメールに記された指示通りに仕事をこなすだけ……。
いったん、ベッドの縁に腰をおろしてメールを確認した。
そこで、瀬戸内は呆れた様子でほくそ笑む。
「今度は、コロナに便乗するのね。いろいろと考えるなあ……場所は、と……
スマホで地図を確認する。因みに“字”とは村よりも小さな集落の事を指す。
「県央か。ちょっと、遠いな……」
と、唇を尖らせる。鞄の中にスマホと財布を入れて、自動車の鍵を持って部屋を再びあとにした。駐車場へと向かう。
……こうして、二〇二〇年八月二十九日の昼前、瀬戸内浩介は県央の山間部にある穴仏集落へと向かったのだった。
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