【File44】穴仏集落跡

【00】与太話

 

 二〇〇九年の夏。

 それは渋谷某所のクラブにて。

 ディスコボールライトが染めあげる極彩色の空間に幾人もの人影が浮かびあがっていた。それらは速いビートに合わせて身体をくねらせ揺らめかせる。

 そんな情熱的なホールの群衆を見下ろす位置には、巨大なスピーカーとターンテーブルの置かれたブースがあり、そこではDJが熱狂的なスクラッチをしきりに繰り返している。

 曲が終わる事はなく、延々と延々と繋がれてゆく。

 人々はいつまでも、いつまでも、休みなく踊り狂う……。

 そうして、夜も更けて、その泡沫うたかたが永遠に続くのかと誰もが錯覚し始めた……そのときだった。

 フロアに落雷のような銃声が轟く。

 凍りつく時間。

 ビートだけが時を刻む。

 それから間もなく阿鼻叫喚が、すべての熱狂と情熱をかき消した。

 すると、二発目の銃声が鳴り響いた。



 二〇一九年の九月半ばの事だった。

 来津市蛇沼新田で女性のものと思われる人骨が発見された件は大々的にニュースで報じられた。

 そして、その女性を殺害し、死体を遺棄いきしたとされる小茂田源造が、複数人の警官に囲まれて玄関のひさしの奥から姿を現したところがテレビ画面に映し出された。

 彼はうつむきながら暗い眼差しで自分の手首に掛けられた手錠へと視線を落としている。

 その表情には、かつての覇気はまったく見られない。鈍色にびいろしおれていた。負け犬のように背中を丸め、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 その小茂田の惨めな末路を鼻で笑い、棚橋雄二はテレビのリモコンを手に取ってチャンネルを変える。

 棚橋は十年以上前に“黒鬼死隊”と呼ばれる県下最大の暴走族に在籍しており、その総長が小茂田であった。

 彼は暴力の扱い方が上手く、力ずくで他人を従わせる能力に長けていた。当時は誰もが小茂田を恐れ、誰も彼に逆らう事ができなかった。

 そんな小茂田を多くの取り巻きたちは“最強の男”などと持てはやし、自分たちの王だと担ぎあげていた。

 当時の棚橋も表向き・・・周囲に倣っていたが、内心はまったくの逆だった。

 本来の小茂田は小心者で、自分では何もできないから暴力で他人を動かそうとしているにすぎないのだと……。


 “弱い犬ほどよく吠える”


 このことわざほど彼を的確に表している言葉はないと、棚橋は当時から小茂田の事を内心で侮蔑していた。

 それでも黒鬼死隊の副総長として彼を立てて補佐し続けたのは、当時の小茂田が使えた・・・からだ。

 不良の世界のロジックは単純である。

 躊躇ちゅうちょなく暴力を振るえるやつが力を持つ。誰よりも声がデカいやつがトップに立てる。

 その辺の才能について、小茂田は誰よりも優れていた。しかし、それだけで上に行けるのは餓鬼のうちだけである。

 だから、棚橋は高校を卒業して、県外の大学に進学したのを切っ掛けに小茂田・・・を切った・・・・


 ……もうこいつは使えない。


 その予想が当たっていた事を一連の事件の報道で知った棚橋は、よく冷房の効いた小綺麗なオフィスルームでほくそ笑む。

 今の彼は県内でホストクラブや風俗店を経営する実業家であり、裏では違法薬物の売買や密輸、特殊詐欺などにも手を染める犯罪集団のトップとなっていた。

「ゲンちゃん……」

 棚橋は、かつての小茂田の呼び名を口にする。そして、書斎机の隅にあった水晶の灰皿を手繰り寄せ、引き出しを開ける。栄樹ブライアのシガーケースと純銀のシガーカッターを取り出した。

 ケースの蓋を開けて、コイーバの高級葉巻を取り出し、端を落とす。ダンヒルの高級ライターで炙り、口に咥える。煙をくゆらせてから口元を冷笑に歪めた。

「いつまでも不良ガキクセェ事をやってっからだよぉ……。頭を使えっての」

 そう言って、煙を吐き出しながら自らのこめかみを突っつき、ハーマンミラーのオフィスチェアに座ったまま、ふんぞり返る。

 彼の人生は小茂田とは違い、すべてが順風満帆であった。

 

 ……しかし、およそ一年後、自らの身に破滅が訪れようなどと、このときの彼には思ってもみなかった。




 その破滅の始まりは、二〇二〇年四月の事だった。

 コロナ禍の影響で、棚橋が経営していたホストクラブや風俗店が何軒か廃業や休業に追い込まれる事となった。そういった事情から、棚橋はこれまで以上に裏稼業に力をそそぐようになる。

 特に彼が目をつけたのは、コロナ禍に便乗した特殊詐欺であった。

 “かけ子”と呼ばれる役割が市の職員を装い、標的の家に電話を掛ける。そして“新型コロナの関係で市から給付金が支給される。手続きのために口座情報が必要になる”などと偽って、“受け子”と呼ばれる役割が通帳やカードを標的から騙し取る……というのが、主な手口となる。


「……で、“番頭”を誰にするかですけど」

 と、棚橋のオフィスルームの中央に鎮座する高級な応接で彼と向き合うのは、枝本廉えだもとれん。棚橋の腹心であった。

 彼の言う番頭とは、特殊詐欺グループを取り仕切る役割の事だ。

 本来なら、この手の役割は蕪木克巳というホスト崩れの男が担っていたのだが、彼は昨年の夏に交通事故で無残な死を遂げていた。

「あー……どうしよっかなぁ……」

 と、枝本の対面でソファーにふんぞり返って、葉巻を吹かす棚橋。

「……何か、レンちゃんの方で決めてよ。最近、見込みのある若いのでさあ……」

「解りました」

 淡々とした様子で頷く枝本。

 棚橋はそんな彼に煙と質問を投げ掛ける。

「ほんで、新しい名簿の方は?」

 名簿とはターゲットの個人情報が記されているリストの事を指す。

 主にリストに並んでいるのは、かつての特殊詐欺の被害者の名前である。

 因みに名簿は個人情報保護法に抵触する違法なものである場合がほとんどで、こうした情報を扱う“闇の名簿屋”から購入する。

「……ええ。打率五割越えっていう触れ込みの名簿を仕入れましたよ」

「マジかよ」

 と、枝本の答えに半信半疑な様子で煙を吹き出す棚橋であった。

 詐欺という犯罪において、もっとも重要なのは“いかに上手く騙すか”ではなく“いかに騙され易い者を探すか”にある。

 そういった意味で、この名簿の存在は特殊詐欺において、何よりも重要な鍵となるのだ。

 打率五割……つまり、リストの名前を一通り当たって成功率が五割などといえば、かなり優秀な名簿である。

「……まあ、兎も角、こういうのは旬を逃すと駄目だから、なるはやでお願いね? レンちゃん」

「解りました」

 と、慇懃いんぎんに答えたあと、枝本はジャケットの内ポケットからセブンスターとオイルライターを取り出した。

「俺も一本、いいっすか?」

「どうぞ」

 そして枝本が唇にフィルターを挟んだところで、唐突に思い出し笑いをした。

 棚橋は怪訝けげんな顔で枝本に問う。

「どうかしたの?」 

「いや……つまらない与太話を思い出してしまって」

「何?」

「いや、本当に馬鹿馬鹿しい話なんですがね」

「いいよ。言ってよ。気になるでしょ」

 棚橋に促され、枝本は苦笑しながらポツポツと語り始める。

「……名簿屋から出た話らしいんですがね。妙な噂がありまして」

「何が?」

「名簿の中に“呪われた名簿”っていうのがあるらしくて……」

「呪われたってさあ……」

 棚橋が白煙を吐き出しながら、呆れた様子で膝を叩く。

「……話、続けて?」

「ええ。それって、かなり打率が高い名簿らしいんですが、その中の一つに掛けちゃいけない電話番号があるらしくて……」

「そこに掛けると、どうなるの?」

 神妙な表情で身を乗り出す棚橋。枝本は真面目な顔で言った。

「……グループ全員が呪われて死ぬそうです」

 棚橋の表情が固まる。そして、枝本と視線を合わせた。

 それから、数秒間の沈黙のあと、二人は呵々かかと大笑いする。

「……んな、馬鹿な!」

「……ですよね」

 棚橋と枝本は再び顔を見合わせて大爆笑した。

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