【04】漢


 その顔は冷蔵庫の右隣の壁に浮かびあがっていた。しかし、染みや汚れだと言われれば、そんな気もしてくる。そういったレベルのものだった。

「これは、本物なのかな……」

 桜井の発した問い掛けに茅野は首を横に振り「まだ、何とも言えないわね」と言った。

 すると、そこで、松本が声をあげる。

「私の家で写真を見返してたら、この顔に気がついて。それで凄いって、なって……」

 楪が続いて口を開く。

「それで、私は『シミュラクラ現象の可能性もあるんじゃないか』って……」

「しみゅらくら……?」

 首を傾げる桜井。茅野が解説し出す。

「シミュラクラ現象は、“三つの点や線の集合体が形作る逆三角形を人の顔だと認識する”という人間の脳のプログラムの事よ。これは、人間が瞬時に敵味方を判断するために必要なものだと言われているのだけれど、大抵の心霊写真は、このシミュラクラ現象が起こす錯覚と言われてるわね」

「ふうん……」と桜井のいつもの調子の相づちが響き渡る。そして、茅野が感心した様子で言う。

「それにしても、よく勉強してるのね」

 すると、楪は「えへへ……」と照れ笑いを浮かべた。

 対する松本は、少しだけしょんぼりした様子であった。

「実は、せっかく私の撮った心霊写真が偽物って言われたみたいな気がして、それで、少しゆずちゃんとケンカになっちゃって……」

「で、でも、すぐ仲直りしたよ!」と、慌てた様子でフォローを入れる楪。

 再び松本が話し始める。


「それで、ゆずちゃんと、もう一度、あの廃墟に行ってみようって事になって……」




 それは二〇二〇年八月二十五日の二十時頃であった。

 松本姫子は入浴を済ませ洗面所で髪の毛にドライヤーを当てていると、リビングから母の呼ぶ声が聞こえてきた。

 何事かと首にタオルを掛けたまま向かってみると、固定電話の受話器を持った母親の姿があった。

「楪ちゃんから電話よ」

「ゆずちゃんから……」

 一瞬だけ躊躇ちゅうちょする。

 昨日、あの螺木町の空き家探索のあと、心霊写真の件で口論になったままだったからだ。

 松本も解っていた。楪は別に“あの写真が偽物だ”と言った訳ではないのだ。自分を馬鹿にした訳ではないと……。

 しかし、せっかく心霊写真らしきものを自分が撮影できたという喜びに水を差されたような気がして、ついつい嫌な態度を取ってしまった。

 自分が悪いのは解っているのだが、やはり昨日の今日で顔を合わせるのは気まずい。

 でも、このまま楪と喧嘩したままでいるのも嫌だった。

「ほら、どうしたの?」

 その背中を押すような母親の声で、松本は意を決して受話器を受け取った。耳に当てて、恐る恐る声を発する。

「ユズちゃん……?」

「姫ちゃん」

 と、そこで松本は楪が言葉を発する前に声をあげる。

「ごめんなさい! 嫌な態度を取って……」

「いやいや、いいよ! ぜんぜん、気にしてないから!」

 と、楪も慌てた様子で即答する。

「……ホントに?」

「本当」

「なら、よかったけど……」

 緊張気味だった松本の表情に、笑みが零れ出す。

「私も、ユズちゃんが帰ったあと、あの写真をもう一回見てみたら、何かやっぱり、偽物っぽく思えてきて……」

 と、正直な心情を吐露とろすると、楪は、

「じゃあ、それを確かめに行こうよ。もう一回、あの家に」

「もう一回……でも……」

 確かに、あの写真が偽物なのか本物なのかは興味があった。しかし、もしも、あの写真が本物の心霊写真で、あの廃屋に本物の幽霊がいるかもしれないと思うと、どうにも気が進まなかった。

 松本は見栄を張らずに、その思いを素直に明かした。すると……。

「……大丈夫だよ、姫ちゃん。私に考えがあるから」

 楪が自信ありげに言い放った。




 その少し前だった。

 宮野颯天はリビングで父と一緒にスポーツ中継を観ていた。

 すると、傍らに置いてあったスマホがメッセージの到来を告げる。

 何気なく画面を確認した途端、宮野颯天は息を飲んだ。

 メッセージの送り主は、彼の思い人である戸田楪であった。

 その文面は以下の通りである。


『明日、姫ちゃんと一緒に出かけるんだけど、よかったら、宮野くんにもついて来て欲しいなって』


 宮野は目的地を尋ねるよりも先に、一も二もなく了承の返事を送っていた。

 戸田楪と同じ時間を共有できる喜び。そして、近頃の彼女は松本姫子と共に行動する事が多く、何だかよく解らない難しい話ばかりをしていたので、少しだけ寂しく感じていた。

 その仲間に加われるのであれば是非もない。

「おっ、女の子からのお誘いか。お前も隅に置けないなあ……」

 と、父の啓介が横からスマホの画面を覗き込んで言った。

「ちょっと! 勝手に覗かないでよ!」と、声を荒げると、キッチンで夕食の後片付けをしていた母の優香が仕切り棚越しに反応する。

「どうしたの?」

「颯天、明日はデートみたいだぞ?」

 そう啓介が答えると、優香は「あらあら」と、にやにや笑う。

 宮野は頬を赤らめ「そんなんじゃないから……」と言って、もじもじと頬を赤らめるのだった。




 二〇二〇年八月二十六日の朝だった。

 待ち合わせ場所のコンビニ前に行くと、既に楪と松本の二人が駐車場の隅に自転車を停めて待っていた。

 右手を上げて二人の方へと向かう宮野。

「ごめん、待った?」

 すると、楪と松本は顔を見合わせてから首を同時に振った。

 そこで、宮野はどこへ行くのかまったく聞いていなかった事に気がつく。

「……そういえば、今日って、どこに行くの?」

 楪も自分が行き先を告げていなかった事を思い出して、はっとした表情になる。松本が呆れ気味に笑う。

「ユズちゃん……」

「ごめん、ごめん……」と笑って誤魔化す楪。宮野が食い気味で、まったく質問を挟まずに、即答で誘いに乗ってきたので、ついつい忘れてしまっていただけだった。わざとではない。

 ともあれ、楪は端的に、この日の目的を宮野に告げる。

「心霊スポットだよ」

「は!?」

 宮野は両目を大きく見開き、驚愕をあらわにした。

「マジで……?」

 楪と松本は「マジで」と言って頷いた。そして、松本はキッズ用のデジタルカメラをポシェットから取り出して、昨日の写真を宮野に見せた。

「これ、本物なの!?」

 またもや、目を丸くする宮野。当たり前である。そんな彼のリアクションを気にした様子もなく、松本は続ける。

「この写真が、本物の心霊写真か確かめたいの。でも、私たちだけだと、怖くって……」

 宮野颯天は文武両道で顔もよくモテる。頼りになると同級生たちには評価されている。しかし、実は、かなりのヘタレでもあった。

 本来ならば、心霊スポットに凸するなど、死んでもごめん被りたい……しかし、

「ダメ……? 宮野くん……」

 不安げな表情で、小首を傾げる戸田楪。

 惚れた女子が、せっかく自分を頼ってくれたのだ。

 おとこ宮野は決心する。

「あ、ああ。別にいいよ。幽霊なんて、怖くないし!」

 思い切り胸を張って強がる。

 楪と松本は手を合わせて喜んだ。

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