【17】破滅


 二〇二〇年八月二十二日だった。

 二週間ほど前から行方が分からなくなっていたYoutuberの“さやぽん”こと、土井咲耶どいさやが、日本海に面した地方都市で発見されたというニュースは、朝から各メディアで大きく報じられた。

 彼女は自身のチャンネルで大食い動画やゲーム実況、心霊スポット凸、ドッキリ企画など、幅広いジャンルで活動をしていた。

 まるでアイドルのような可愛らしい容姿からは想像できないガッツ溢れるチャレンジ精神が、十代から二十代に支持されている人気Youtuberである。

 そして、その彼女を監禁していたとして、在宅SEの松崎健介という男が逮捕された。

 彼は八月八日の深夜、都内某所にある土井の自宅マンション付近で帰宅中だった彼女を待ち伏せ、スタンガンを使って拉致。

 そのまま、車で監禁場所となった廃墟に向かったのだという。因みに今の時点では監禁場所が、えびす荘であった事を報じているメディアは存在しない。

 ともあれ、その“さやぽん”というYoutuberの写真が画面に映し出されたとき、何となく姫宮あかりと似た顔だな……と、感じた江島柚希はリモコンをテレビに向けて電源を切った。

 リビングのソファーに座ったまま、深々と溜め息を吐く。

 姫宮あかりの事を思い出したのは、もう何年振りかも忘れるほどだった。

 現在の江島は二〇一六年の結婚を期にGirly7を卒業していた。

 以降は育児や家事の様子をメディアで発信する、言わば“ママタレ”として活躍の場を広げていた。

 精力的な活動と元々の愛くるしいキャラクターにより、二十代から三十代の若い母親代表として一定の評価を得ていたが、その実態は酷いものであった。

 家事や子育てのほとんどを姑に丸投げし、仕事と偽って旦那以外の男と遊び歩いていた。

 彼女が母親らしい事をするのは、メディアの前や動画撮影の時だけであり、SNSにあがっている手料理の写真のほぼすべてが、買ってきた惣菜を皿に盛りつけ直したものであった。

 そんな江島に対して、旦那と姑は“金になるから”と、当初は彼女の世間に対する嘘に目を瞑っていた。

 しかし、近頃は我慢の限界を迎え、現在は離婚寸前まで関係がこじれてしまい、その報道が世間を賑わせていた。

 目下のところ、彼女は家族と別居中で、懇意の女性人権派弁護士と相談し、どうやって旦那のDVの証拠をでっちあげるのかを目論んでいる最中だった。

 そんな殺伐とした日々を送る中で、記憶の彼方に葬ったはずの思い出したくもない過去を思い出し、江島は大きく気分を害してしまった。

 絶対にメディアでは見せられないような顔で、舌打ちをしてキッチンへと向かう。

 冷蔵庫の中から度数の高い缶チューハイを取り出し、リングプルを押しあげて一気に煽った。

 酒気が喉を駆け抜け、胃の腑に溜まる。次第に前頭葉が痺れて、微かな浮遊感が身体を包み始めた。

 それと共に、江島はできるだけポジティブに未来を思い描く。

 まずは離婚調停を自分の有利に進めて、どうにか世間の同情を買う。親権も当然ながら勝ち取る。

 育児など、まっぴら御免であった。だが今後は“優等生的なママタレ”から“女手一つで子供を育てるシングルマザー”に方向転換するために、子供の存在は必要であった。

 きっと、旦那や姑は真実を暴露し、これまで築きあげてきたママタレとしてのイメージを崩しに掛かるだろう。

 しかし、そこで向こうの言い分をすべて嘘だと突っぱねて“哀れな被害者”を演じる……。

「大丈夫……きっと、また騙せる」

 姫宮あかりが自殺したときもそうだった。

 江島は高槻志歩と共に、メディアのインタビューで姫宮の事を語り、彼女の死を悼む振りをして涙まで流して見せたのだ。その嘘を世間はまったく疑う事もなかった。

 このときの成功体験が、江島の中で大きな自信となっていた。今回も嘘の涙で乗り切れると、頑なに信じていた。

 そうして、そのままキッチンで缶の半分を開けた頃だった。

 リビングの方でローテーブルに置いてあったスマホが、電話の着信音を奏で始めた。

 チューハイの缶を持ったままリビングへと戻る。テーブルの上に缶を起き、スマホを手に取る。

 すると、画面に表示されていた名前は、あの高槻志歩であった。彼女とは自らの結婚式以来、会っていない。

 あまり関わりたくない相手だったので、居留守を使おうとしたが、しつこく何度もかけ直してくる。

 再び江島はテレビでは絶対にお見せできない顔で舌を打ち、遂に電話ボタンを押した。スピーカーフォンにしてスマホをローテーブルの上に放り投げた。

『ゆず……?』

 何かに脅えたような声。尋常ではない様子に息を飲む。

「どうしたの? シホ。仕事は?」

 高槻は二〇一八年のGirly7解散以降は大手芸能事務所に移籍し、女優に転向していた。枕営業と事務所のゴリ押しで、今や清純派女優の地位を確立していた。

『……あのね……ゆず……』

「だから、何?」

 そこで江島は受話口の向こうから聞こえる、カタカタと何かが小刻みに震える音に気がつき、眉間にしわを寄せた。

「何、この音」

『な、何の事……?』

 次の瞬間、その音の正体に気がついてゾッとする。これは、高槻が歯を鳴らす音だ……。

『……ねえ、そんな事より、柚希ぃ』

「だから、何なのよ!」

『あいつが来た』

「は?」

『だから、あいつが来たって言ってんのよッ!!』

 烈火のような怒声。

 対して江島の心は、冷え冷えと覚めてゆく。

『……あいつ、窓の外にいた……ここ十階だよ!? 凄い目で睨んでた……』

 これは、明らかに薬のやり過ぎによるバッドトリップであろう。江島は鼻白んだ気分で缶を再び手に取り缶チューハイを煽った。

「……ねえ。あんたさあ、まだ薬やってんの? もういい加減にしなって。餓鬼じゃないんだから」 

 その真っ当な助言に答える事なく、高槻は更に意味の解らない話を続けた。

『あいつ、許さないって……頭の中に話かけてくるの……ねえ、あいつ、許さないって。今も、そう言ってる。どうしよう……ゆず……』

「知らねえよ。誰だよ、あいつって」

 江島は無情な言葉を返し、缶チューハイを飲み干す。

『ねえ、ゆず……どうしたら、あいつ、許してくれると思う……? どうしたら……あいつ、許してくれるかな……?』

「うるせえな! もう、電話してくるんじゃねえって……」

 江島は通話を切ろうとスマホを手に取った。そして画面の通話終了ボタンに人差し指が触れる寸前だった。


『あいつ、あんたのところにも行くってさ』


 そして、不気味な含み笑い。

 江島はそのまま通話を切り、苛立ちに紛れてスマホを放り投げた。

「何なのよっ!」

 そう吐き捨てたあとだった。

 不意に視線を感じた。

 うなじをぬっとりと睨めつけるかのような、重く湿った眼差し。誰かが後ろに立っている。

「誰?」


 ――許さない。


 地の底からの囁きが鼓膜を震わせる。

 江島は息を飲み、気持ちを落ち着かせた。ソファーに座ったまま勢いよく振り返った。

 しかし、誰もいない。

 そして、仕切り棚の向こうのキッチンで、流しの水道から水滴が一つだけ零れた。





 『元アイドル殺害 かつてのメンバーを出刃包丁で滅多刺し 薬物中毒が原因か!?』


 女優の高槻志歩容疑者が8月28日、東京・港区でタレントの江島柚希さんを包丁で刺し、死亡させたとして、警視庁に逮捕された。

 事件は、現場となった江島さんの暮らすアパートから、高槻本人による「人を殺した」という通報により発覚した。

 警察の発表によると高槻容疑者の尿から大量の覚醒剤が検出されたのだという。

 高槻容疑者と被害者の江島さんは四年前までGirly7という人気アイドルグループで共に活動していた。

 

 (2020年8月28日 ネットニュースの記事)

 

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